グレナンデとマスカルの話

(単なる消化不良だという事は秘密)





 その一、グレナンデとマスカルは友人である。少なくともマスカルはそう信じている。彼がグレナンデの為に理不尽な被害に合っているのもその為だと信じている。

 その一、グレナンデはマスカルに多少なりとも興味を持っている。興味がなければ話もしない、目も向けない、鼻先で笑われるだけでも有難い程。

 その一、グレナンデがマスカルと最近会ったのは半月前の事である。毎月の日数が安定しない暦の上で半月という表現は月の満ち欠け以外に意味がない。日数に換算すれば二十八日前のことである。

 その一、グレナンデにマスカルが呼び止められたのは至極急いでいた時だった。二人は養成所とも言える学園の同期で、グレナンデが学園の与えうる全ての技術を吸収しようとして学園に残り、マスカルが先に卒業してしまった。その為、マスカルが先に冒険者という不安定な職を得た。

 その一、グレナンデをマスカルは信じている。半月前に取り付けた約束に遅れたとしても許してくれる事を。現に、グレナンデも約束の場所に姿を見せていない。



 学園が誇る大陸一高い時計塔の鐘が鳴った。

 時計が存在するだけでも威厳の象徴になるのだが、学園はそれに飽き足らず大陸で一番高い塔にその時計を設置している。その利用法は主に授業時間の管理。教師が最低限度の教育を行い、生徒に授業の開始と終了を知らせる為に。

 懐かしさを感じながらマスカルは学園内の休憩所でグレナンデを待っていた。

 マスカルは既に学園から卒業した身だが、学園の一部は一般にも公開されていた。その休憩所もその一部だ。

 甘ったるい生菓子を薄味の紅茶で流し込む。触感が優しく、歯で噛み切る必要はない。マスカルが学園に居た頃から気に入っていた生菓子だ、残念なことに生菓子は管理の行き届いた場所でしか提供されることがない。痛みが早い事が致命的だった。

 冒険者、別名は浮浪者。マスカルはその冒険者でも新参者で、現在の所一人であても無く風任せに旅をして、困り事を解決していた。一般的には大きな町に支部が置かれている組織に登録して、組織から仕事を請け負うのだが、マスカルはそうしなかった。理由は特に無い。一人身の方が楽だし、何よりいつまでも風任せの旅を続けられるとは思っていなかった。学園を卒業したという一応の実力もある。

 一人で、自由に。そういった時期を憧れていた。だからこそ、自分の憧れを目指してみたのだ。今の所、実現している。

 組織が支部を置くこともしないような小さな町で小さな仕事をもらい、時々数合わせの為に大がかりな仕事も手伝った。卒業してから三年、充実しているのは確かだ。

 仕事の一つで学園に用が出来た。その時に再会したのが共に学園時代を過ごしたグレナンデだった。

 グレナンデはマスカルと同じ時期に卒業することもできたが、全ての魔法を覚えるのだと言って卒業を見送っていた。マスカルの予想としては既に卒業していた時期であっただけに驚いた。

 久しぶりに会ったグレナンデは自作の薬品が詰まった瓶を抱えて何かを探していた。何かとは被験者の事だ。マスカルが居た頃、被験者はマスカルだった。体が丈夫だったという理由はさておき、意味も無くグレナンデはマスカルの飲み物に自作の薬品を含め、効果を確かめていたのだ。

 グレナンデが作成する薬品に治療薬は殆どなかったのは確かだ。

 マスカルは度々医務室に駆け込み緊急治療を受けていた。最終的にはマスカルも必要以上の医学的知識を得る事になった。マスカルは常に大量の解毒薬を持ち歩き、医務室以上に解毒薬が充実していた。

 その時のマスカルは懐かしさから思わずグレナンデに声を掛けていた。

 久しぶりの再会は落雷で華々しく飾られた。

 マスカルを確認したグレナンデが間髪入れず雷撃をマスカルへ向けて放ったのだ。視認から雷撃までの時間は僅か、一連の流れが完成されており、昔と変わらぬ友人にマスカルは思わず逃げた。

 学園内は勝手知ったる何とやら、通りすがりの生徒や教師を巻き込まないように中庭へ逃げ込み、一瞬足を止めたグレナンデから杖を引っ手繰った。そして、投げ飛ばされた。奪った杖を取り戻され、起き上がろうとしたマスカルの喉元へ先端が赤い宝石で出来ている杖が突きつけられた。

 久しぶりに笑ったのか、グレナンデの笑顔は引きつっていた。



 グレナンデの薬品の実験台にされ、通いなれた医務室にマスカルは転がった。解毒薬を飲んだとしても暫くは時間がかかる。長椅子に身を横たえ、手を額に当てているマスカルの横でグレナンデは嬉しそうにその様子を見ていた。

「久しぶり、マスカル」

 落雷の前に言ってほしかった、心の中でマスカルは呟いた。

「久しぶり」

 それだけで十分だった。マスカルはそう思っていた。グレナンデが杖を振り上げるまで。慌てて長椅子から転がると、医務室の長椅子は金属製の悲鳴を上げて凹んだ。医務室に来ていた生徒が音に驚き、ベッドから様子を覗き見たが見ない方が得策、と布団に潜り込んだ。

「えぇ。そうよ、『久しぶり』それだけ?」

「元気そうで、何よりだ。術に磨きがかかったな。まだ治療術は苦手なのか?」

 グレナンデが苦手な唯一の術、それが治療術だった。これもマスカルで試していたのだが、治療するという点においてグレナンデは正確性に欠如していた。しかも、治療自体を正確に行うことすら怪しかったのだ。治療していた箇所は治癒できたが、全身が猛毒に侵されているという具合に、グレナンデの深層意識には何かしら治療に対して反発があるようだった。

 本人が特に気にしていないというのが一番の問題だった。

「そう、苦手かもしれないわ」

「グレナンデさん、医務室の備品を壊さないでね」

 久しぶりに意図して破壊された長椅子を横目に、医務室に常駐している医務員がベッドから寝ぼけた頭のまま背伸びをした。先程の長椅子の悲鳴で起きた様子だった。

「あら、マスカルさん。お久しぶり、ここに仕事を探しに来ても何も出ないわよ。薬なら購買で買いなさいね」

 そう言って、医務員はマスカルとグレナンデの姿を確かめてから薬品棚に向かった。他に備品の補給が必要ないか確かめているようだった。

「いえ、仕事で来ているだけなので。少し休んだら直ぐに出発します」

 思い起こせば、マスカルが医務室に来ても解毒薬が全身に回るのを待つだけだった。殆ど休むためだけに医務室の長椅子を占拠し、経過観察をしているグレナンデに適度な運動と称されて杖を振るわれていた。犠牲になるのは大抵長椅子と背後の壁だった。

 医務員はその度に備品の要請をしていた。

「え。直ぐ?」

 珍しくグレナンデが目を丸くした。

 グレナンデはマスカルが出発する事を予想していなかった。マスカルは学園からすれば既に部外者、長居をする事はないのは分かり切っていた。しかし、分かっていたものの理解していなかった。常に居るものだと感じていたからだ。

 マスカルが卒業した時には感じなかった急激な損失感をグレナンデは感じていた。それは本当に突然で、グレナンデ自身が一番驚いていた。

「あぁ。もう少し休んだら、な」

 一息吐いてマスカルは凹んだ長椅子にもたれた。金属製の悲鳴を聞いたが、マスカル程度の体重は支えられそうだった。

 暫く考えた後、マスカルが出発する直前にグレナンデは半月後に来るよう時間まで指定した約束を一方的に取り付けた。来なければ確保している髪の毛で確実に呪ってやる、というグレナンデにすれば優しい脅し文句付きで。



 指定された時刻に一時間遅れてマスカルは約束の場所へ到着した。約束を忘れていたわけではなく、急に舞い込んだ仕事が長引いた為に遅れたのだ。しかも依頼主はマスカルへ報酬を払う前に町の衛兵に捕まり、現在その土地の領主宅への無断侵入で投獄されている。報酬を支払うにも、依頼主は殆ど金銭を持っていなかった。衛兵から全身くまなく探されても約束していた報酬には足りなかった。それでも依頼主の持ち金を全て没収して衛兵はマスカルへ渡してくれた。

 有難くマスカルは貰い受け、これ以上の報酬を望まない事を伝えて仕事を終了した。

 仕事の途中で手に入れた宝飾品と少しばかりの金銭でグレナンデにどう言い訳をしようかとマスカルは悩んでいた。

 約束の時間に一時間遅れた。一日の長さと比較すれば、それほど短くは無いが長い時間ではない。しかし、グレナンデは時間に正確で、遅刻をタダで許すほど寛大な心をマスカルに持っていない事をマスカルはよく知っていた。

 しかし、おかしなことに約束の休憩所にグレナンデも来ていない。約束の時間に来ていないのだ。マスカルが来る前に立ち去ったのでもなく、来ていない。グレナンデがマスカルを呼びつける事は学園時代から度々あったことで珍しくも無い。グレナンデが遅刻してくることは一度もなかった。

 何かあったのだろうかと心配にもなったが、グレナンデの身を学園内で案じる必要性が見当たらなかった。学園内の安全は完璧に管理されているはずだった。少なくとも、死亡の可能性は極々低い。

 探しに行こうかとも思ったが、すれ違っても困る。マスカルは仕方なく仕事の途中で手に入れた宝飾品を眺めてみた。

 宝飾品はピアスだった。しかも一対が揃っている。誰かが忘れて行ったのではないのは確かで、小さいながらも厳重な小箱に鍵付きで台座の上に置かれていた。仕事の途中で手に入れたのだから依頼主に渡しても良かったが、マスカルが一人の時に手に入れたのだからと報告せずに懐へ仕舞った。見せれば領主の娘の贈り物にされていたに違いない。

 ピアスには見事な宝石が付いており、青いそれは素人のマスカルでさえ素晴らしい物だと分かった。何せ魔力を帯びている。探せば魔力を帯びている宝石などいくらでもあるが、マスカルはその心を洗うような青が気に入った。

 自分で身に着けても良かったが、自分以上に似合う相手をマスカルは知っていた。その相手がまだ来ない。

 ピアスを送るにも箱を準備したかったが、その暇もなければ必要性も感じていなかった。箱よりも中身があれば気にならないのがグレナンデだった。しかし、ピアスを他人に送るには注意が必要だ、片方のピアスを身に着けている事は婚姻の証を意味する。つまり、ピアスを片方だけ送ることをマスカルは避けなければならなかった。

 箱は用意出来ないものの、憩いの為にと植えられている木から小枝を手折り、小枝にピアスを一対引っ掛けた。小枝を優しく曲げてやればピアスは小枝でまとめられた。

 下手に片方だけが手の中に残ってグレナンデを悩ませる事は無くなるはずだ。マスカルは確信と共に忍耐強くグレナンデを待った。遅刻して来たのは自分だと言い聞かせ、薄い紅茶にたっぷりの砂糖を加えて甘ったるい液体で喉を潤した。

 グレナンデが現れたのはそれから少し後だった。



 グレナンデは迷っていた。

 学園が与え得る全ての術を習得し、先日無事卒業した。卒業出来るだけの技術と時間、金銭を納めていたのでいつでも卒業できたのだが、マスカルが卒業してから徐々に目標を失っていた。

 このまま学園に残って教師の道を選ぶことも出来た、少なくともグレナンデは現在教鞭をとっている呪術の教師よりも上手く生徒を指導するだけの実力と自信があった。それも何となく違うと感じていた時、マスカルが突然現れた。

 雷撃を繰り出したのはグレナンデだったが、雷に打たれたような衝撃を受けたのはグレナンデ自身だった。

 その理由も分からずマスカルを襲ってはみたものの、妙な充実感がグレナンデを包んでいた。その充実感も直ぐに失われた。マスカルは直ぐに学園を経つという。その時になってグレナンデは何が欠如しているのかが分かった。膨大な知識でも、疲労でも、肉体でもなく、マスカルという存在がグレナンデの生活には欠如していたのだ。単純に言えば刺激が足りなかった。

 だからこそグレナンデはマスカルとの約束を取り付けた。

 学園を卒業する為に。人生の一つの区切りの為に。自分を迎えに来るようには言わず、ただ約束の場所へ時間通りに来るようにとだけ約束した。

 ただ、マスカルに会って何を言えばいいのかグレナンデには分からなかった。考えても分からない、仕方なくグレナンデは何度も読んだ本に没頭することで自然に出てくる言葉に頼ろうとした。

 そして約束の時間に遅れた。

 本を片付けて、大陸一高い時計塔に目を向ければ約束の時間から一時間以上経過していた。マスカルが待っているかどうかよりも、何と言えばいいのかが未だに迷っていた。口を開けば何か出てきてくれるのだと信じてグレナンデは約束の場所へ急いだ。

 案の定、マスカルは待っていた。

 木の影に隠れ、様子を窺うが怒っている様子はない。いつも通り、紅茶に五杯の砂糖を入れてかき混ぜている。マスカルは自覚していないが甘党だ。グレナンデなら胸焼けを起こすような甘い紅茶を当然のように飲み干し、時間さえあれば三杯は飲んでいる。また時間を空ければ同じように砂糖を五杯入れた紅茶を三杯。たまに砂糖と塩を交換してやれば面白い反応を見せてくれる。

 思い出は簡単に呼び出せるのに、隠れてまで考えているのに、何を言えばいいのか分からない。

 分からない。呪術で使う媒体も、天文学で利用する数式も、治療術で利用する長い言葉も簡単に分かるのに、頭の中では分かっているのか、分かっていないのか。分からない。

 いくら考えても分からないなら踏み出すしかない。

 グレナンデは思い切って隠れるのをやめ、マスカルの方へ静かに歩き出した。気付いたマスカルが手を振る。その手の中に光る物があった。何かと目を細めてみると、一対のピアスが木の枝に通されている。青い宝石、それにグレナンデの目は奪われ、マスカルへ全力で駆け寄った。

「マスカル!」

 ピアスを持つ手を力強く掴み、グレナンデは鬼気迫る表情でマスカルへ詰め寄った。

「あ、いや。遅れた事なら謝る」

 マスカルはグレナンデが遅刻したことに怒っているのだと思った。そして気が済むまで杖で殴られ、その上で呪われるのだろうと想像した。

「結婚しなさい! 私と」

 グレナンデの口から自然と出た言葉は、マスカルの目を点にさせた。

 思いもよらぬ言葉にマスカルは絶句した。そして、グレナンデの手が自分の手を、自分の手の中にあるピアスが欲しいのだと理解した。

「あ、このピアスが欲しいならやる。だから早まった事を言うな」

「えぇ欲しいわ。寄越しなさい、片方だけ!」

 再びマスカルは目を点にして、驚いた隙に手の中のピアスを奪われた。実際マスカルはグレナンデに渡すつもりだったので大した抵抗はしていなかった。

 マスカルから一対のピアスを奪い取り、グレナンデは小枝からピアスを外した。

 どうするつもりか見守るマスカルへ飛び乗り、体格差をものともせずグレナンデは暴れるマスカルへ正面から馬乗りになった。

 そして訳も分からず抵抗するマスカルへピアスを刺し込む事に成功した。

 呆然とするマスカルから退き、今度はグレナンデが残ったピアスを自分の耳へ。

「グレナンデ、一体何のつもりだ」

 どうすればいいか分からず、ピアスを外してしまおうとするマスカルへグレナンデの杖がめり込んだ。

「外さないで」

 苦しそうに体を曲げるマスカルの目には、やけに晴れ晴れとした様子のグレナンデが映った。何がそれほど嬉しいのか、マスカルが完全に理解し、のぼせ上がるまでにはもう少し時間が必要だった。

「外しては駄目よ、一生ね」

おわり