いただきます



いただきます




「ねぇ、あのこ知らない? 最近授業にも出てこないんだけど」

 顔見知りの女性が掲示板の前で聞いてきた。

「俺も知らないんだ、全然会ってくれなくて。連絡も取れなくて」

 嘘だ。

 渋い顔をして女性は去り、携帯を操作して誰かに電話をしていた。赤い色の爪が妙に光って見えた、それに一瞬だけ体が硬直した。早く彼女に会いたい。

 午後の講義が突然休講になり、自由の身となった時に鞄を肩に引っ掛けて足早に帰宅した。途中の信号待ちも、人の列も何もかもが鬱陶しくなる。早く帰りたい、彼女の待つ家に帰りたい。

 鍵のかかったドアノブに鍵をねじ込んで開け、靴を脱いだ。そこから急に動きが遅くなる、甘い香り、机の上の香草、赤と白のテーブルクロス。全て彼女が用意した物。全て俺の為に用意した物、それが毎日を優しく包み上げる。玄関の鏡に自分を映して髪と息を整える。みっともない格好じゃ顔を合わせられないから。襟も直して、やっと自分の部屋に上がった。鞄を置いて遅い昼食の準備を始める。

 今日は何を作ろうか、彼女専用の小さな冷蔵庫を開けて彼女に問いかけてみる。

「昨夜テレビでやってたのよ、天ぷらが食べたい!」

 そうだね、そうしようか。でもあんまり食べるとまた体重計に乗って悲鳴を上げるんだろう、そうだねシュウマイにしない?

「仕方ないな、じゃあ聞かないでよね」

 思わず苦笑する。

 ラップに包まれた肉を取り出して、まな板の上に取り出して必要な分だけ取り分ける。残った分はまたラップに包んで冷蔵庫に戻す。冷たい肉を薄く切り、包丁で細かく切り多少の動物性油脂を混ぜ込みながら叩く。毎月のように新しい包丁や料理器具を買って来ては、数は多いほど良いのよ? なんて言った。鉈を持ってきた時には流石に驚いたけれど。

 彼女が育てた香草がここぞとばかりに匂いを発揮し肉の旨味を引き立てる。醤油と砂糖とみりん、胡麻油で味を付けてシュウマイの皮で包む。

 数を用意する間にフライパンを温めて油を振った。最後に乗せるべきグリーンピースが見当たらずに肩を落とした、オムライスの旗も、アイスのチェリーも好きな彼女は怒るだろう。でも無い物は仕方がない。

 フライパンにシュウマイを並べ、少しの水を加えて蓋をする。出来上がるまでに野菜炒めも作る。これなら三分間で完成できるかもしれない、いやさせよう。させなきゃ彼女の頬が膨れる。

 三分間では完成しなかったものの十分は最短記録だったと思う。焦げ目のついたシュウマイに、茄子とピーマンの味噌炒め。簡単なものだけれど喜んでもらえるだろうか。白い皿の上に盛ってテーブルに並べ、彼女と席に着く。勿論飲み物も大きな冷蔵庫から炭酸飲料を取り出す、ガラスのコップに注いでいざ楽しい昼食の開始。

 固い肉も叩いて柔らかくした、香草の匂いが鼻をつく。そこに炭酸飲料の匂いを入れたものだから苦しくて涙が出てしまった。

「急ぎ過ぎだよ、炭酸なんてやめとけばいいのにぃ」

 でも好きなんだよね。それに一度君と炭酸の組み合わせを知ってしまうと、なかなか止められない。ほら、サイダーの一気飲みした時のこと覚えてるだろ?

 テーブルの上から笑われた気がする。

 テーブルクロスを買ってきたのも、包丁を買ってきたのも、香草をプランター一杯に育てたのも、小さな自分用の冷蔵庫を持ってきたのも、大量のラップを買わせたのも、部屋一杯のブルーシートを敷いたのも、数日前からダイエットと称して絶食していたのも、「美味しくたべてね」と処理方法を書き残してテーブルクロスを赤く染めたのも彼女だった。

 その言葉に従って、まず皮を切り筋肉の繊維にそって解体し、骨を外し、固い部分は鉈に木を当てて金槌で叩いた。内臓は良く洗って塩漬けにして早めにいただいた。彼女がダイエットをしていた理由が分かった。何もかもが俺の為に準備されていた、最初の頃は苦しんだ。けれど、彼女の子宮部分に命があると知った時、何故か安堵した。命は彼女の冷蔵庫の中で確実に成長し続けている、昨日は隣の瓶と同じ大きさだったのに今日はそれより大きくなっていた、どうやって生きているのかは知らない。

 彼女と命の成長が何よりも今楽しみでならない。

 そして今日も彼女に手を合わせて、生きていく感謝をする。

「いただきます」