理不尽
お情け程度に掛けられたタオルには会社名が染められている。それが最後の良心だったのか、見降ろす目には良心の欠片も見られない。なぜ自分がソファでなく排水機能付きのベットに裸で横たわっているのか、なぜ身体に自由がないのか考えられなかった。目を閉じていても周囲の景色が見える、瞼でも切って落としたかな、と黙っていると見慣れた顔が一つ増えた。
「台所の計量器具なんかで済ませるのか?」
「気にしなーい。大体数値計算してるからいいわよ」
『その秤は大切な備品なんだから壊すなよ』
厚手のゴム手袋をして、刃の薄い切れ味の良さそうなメスを片手にマスクもせずに肌に押し当てる。
「まずは鎖骨に沿って切り込みを入れて中心から開けるのよ」
「Y字切開だな」
折れやすい鎖骨の上を刃がなぞる。骨に当たってガリガリと震動が伝わる。左肩から右肩辺りまで震動が伝わりきると、今度は喉のすぐ下から光を反射するメスが真っ直ぐ走る。
『下手だな皮膚の端がギザギザじゃないか。料理なんてしないんだろ?』
臍まで来るとメスは止まり、かいてもいない汗を拭うふりをして一段落してメスを後ろに置くと胸に手をかけた。切り込みから指を入れて筋肉と骨を引き剥がしにかかる、弾力のある筋肉が引っ張っても上手く剥がれないので力任せに勢いをつけて剥がす。それでも筋肉の繊維が残ってしまったので忌々しげにメスで切っていった。
「Y字切開せいこー」
『下手クソめ』
「おいこっちも剥がさなきゃ胸骨がとれないだろ」
もう一方の胸を開こうとするが慎重になり過ぎているのか力がこもっていない。そうか、そっちには心臓がある。下手に力を入れて肋骨でも折れて刺さると嫌だからな。上手くメスで筋肉を切りながら剥がすんだな。
いらいらとした調子でメスを筋肉と骨の間に入れながら切断していく。何とか剥がれたそれを外側に置いて開胸が済んだ。
「うーん。体脂肪率が低いだけあるわね、脂肪の層が少ないんじゃない?」
「そうだな。見た目内臓脂肪も少ないし、スタミナがなかった理由が分かるな」
『黙れ体力馬鹿共』
「というかやっぱり臭うわね」
「でも詰める綿なんかも勿体ない」
『体の内容物か。当り前だろ、朝食はバタートーストとコーヒーだけだったからまだこの程度で済んでるんだ。穴に綿を詰めておかなければ垂れ流しになるのは当たり前だ考えて実行しろ』
骨はメスでは何ともできないので、小型の電動鋸で切っていく。身体が動かないように固定して慎重に切り取っていたが、段々と手荒になっていく。面倒になったんなら止めればいいのに、どうしてそんな判断が出来ないんだ。
何とか筋肉の剥がれた部分まで切断して持ち上げると、切断しきれていない部分が引っ掛かったがそれは手でへし折った。
「きゃぁ。やっぱり! 肺も心臓も肝臓もすい臓もキレイ」
「酒も煙草もやらなかったからな」
『褒め言葉と取っておこう』
「でも肺の中が分からないわよ。鉄やアルミなんかの金属粉末がぎっちりなんてのも考えられる」
『失礼な奴だ。作業は防塵マスクをしてやってる』
「でもマスクしてたし、喫煙者よりはましだろ」
左右の肺を手袋越しに撫でながら言い訳している。お前らこそ今マスクしろよ、私の体に何万もの菌が繁殖した唾液が落ちるだろう。折角密閉されていた身体を開いて空気にさらし続けるなんて愚の骨頂だ、臓器としての鮮度が落ちると価値が著しく低下することぐらい知ってるだろ。
「じゃあ心臓と肺は冷蔵庫に入れて、他はそれからね」
「そうだ右目はどうだ? 眼鏡をかけてるからって移植後の視力に関係ないんだろ」
「そうね、確かアイバンクにも入ってたし。うん大丈夫表面に多少の傷があるけど水晶体も濁ってないし、何より光彩が黒いわ」
『お前は緑だな』
心臓を切りだしてビニール袋に入れて秤に乗せる。それを適当にメモしてさっさとビールの隣りに置いた。肺はそれぞれ別の袋に入れて秤にかけ、これまたビールの隣りに置いた。きっと終わった後はあのビールで疲れをいやす気だ。仕事中にアルコールは厳禁だっていってなかったかお前ら。
「目は良いけど脳みそどうする? 薄切りにして冷凍保存でもしておく?」
「そのまま冷凍保存した方がいいんじゃないか。薄切りって面倒だしな、保管が大変そうだ。鼠が齧りそうだ」
『爆笑』
髪の毛を反ることもせず、両眼の端から一周させて皮膚をめくり上げて頭蓋骨を露出させた。再び小型の電気鋸が活躍し頭蓋骨を押さえたまま一周させてパカリとばかりに外した。中の様子を確認してから戻し、骨を元に押し当て皮膚を上から被せた。中身を確認したかっただけらしい。
「後は骨髄とかかしら」
「注射はこれだけで足りるか?」
差し出すトレーの中には十数本の大きな注射器が乱雑に並んでいた。真空パックに入れられたそれだけは新品のようで、骨髄液は大切に扱ってくれるらしい。
身体を二人係で反転させて腰の辺りに注射針を刺していった。
「なんか難しいな、あっ入った入った」
「という夢を見たので君達を暫く減給しておく」
やった覚えもない事で減給を宣言されて、目を点にしたのは夢の中ではなく現実に置いてだった。
「理不尽ですよ!」
「そうですよ、我々が何でそんな事をするんですか」
喚き散らす二人に流し眼を送り、小さく息を吐いた。
「それもあるが、この珈琲がまずいのが一番の原因だ。わかってくれたら昇給のために美味い珈琲の入れ方を覚えろ。見ろ、豆がそのままカップの底に残るのはなぜだ?」
終