価値観





 その内、世界が滅ぶらしい。

 誰かが核の発射スイッチを押すのか、気温上昇による海面上昇なのか、津波による陸の洗い流しなのか、地球外線による生物の死滅なのか、人類過多による食糧危機なのか、超微小生物による汚染なのか、同時多発的原発暴走なのか、世間で囁かれる噂などどうでもいい。

「おい人間」

 そんな現実的破滅の未定未来より、今現在大事なのはこのうっとうしい輩をどう追い払うかだ。

「聞け! 人間」

 あまりにも人間、人間と連呼してくるのでこちらも正直に返す事にした。

「黙れ猿」

 これには黙った。黙って怒りをためている。

「なんだともう一度言ってみろ! 小娘」

 もう一度言えというのだからもう一度言ってあげよう。私は親切だから。

「黙れ猿」

「猿ではないっ俺には名前がある」

 名前を叫ぼうとする猿を、チラリ、と横目で見る。あまりにも面倒が降って湧いてくる、呆れ果てた表情がにじみ出る。この病院の往復だけで何度繰り返すのだろう。

「…なんだその眼は」

「可哀想な神様を見る尊敬の眼差し」

 猿は顔を真っ赤にして怒った。ただでさえ赤い顔が更に赤くなって火でも噴きそうだ。

「嘘をつけ!」

「じゃあ嘘です」

 これには腕を振り上げ、足をあげ、ジタバタとまるで踊っているように怒りを現す。

「『じゃあ』ってなんだ! それも嘘だろう」

「『嘘をつけ』と言ったのはそっちじゃない」

 奇声をあげて、猿は頭を掻きまわした。短い毛があたりに舞う。

 もう、こんなアホをからかうのにも飽きた。一人で喚き散らす猿を置いて、家路につくことにした。



「おい! こら待て」

 案外この猿はしつこかった。

 狭い道を横に並んで付いてきた。ただでさえ狭い道が更に狭くなった。病院に近いからってよく事故の起きる花束道がだ。

「どうなっているんだ。状況を教えろ」

「…何かくれる? 私、現金主義だから目に見える形で」

 眉を盛大にしかめた。何かくれる、というのに反応したのか、現金主義、目に見える形で、に反応したのかは読めない。気分を多少なりとも害したことは分かるのだが。

「それが神に対する態度か! 人間」

「そこらへんに、しかも大量に、のさばってる神なんて。梅雨時に大量発生する蛙とどこが違うか三十字以内で説明せよ」



「そう。話はそれだ」

 納得いかないような顔をして、私の質問にも答えずに勝手に猿は続ける。

「なぜこれほどの神がいるんだ?」

 黙って歩く私に説明を求める目。面倒この上ない。だが、今は多少なりとも機嫌が良い、からかってしまったから少しは教えてやるとしよう。この猿は納得するまで付いてきそうだし。

「その内世界が滅ぶからって誰かが言ってた」

 黒眼が大きくなり、瞼を押し上げられる。隣でいるにしろ私に分かるのだ、かなり目が大きい。測ってみようか、定規で。

「それはお前の考えじゃないのか? 誰が言ったんだそんなアホなこと」

 これは珍しい、私と同意見だ。他の奴らは叫んだり、走ったりしたのに。希少な猿、いや神だ。

「それは私も思う。誰かは知らないけどね、噂とかテレビとか」

「てれびとかいうのは知らんが、そんなアホなことを信じている奴がいるのか。世も末だな」

 確かに、そう思ったんだろうね、そのアホも。だけどそのアホのおかげで現在、混乱が起きているには間違いない。それを信じたド阿呆共が、今にも狂いそうな勢いで世界を宗教で染め上げようとしている、宣教師達はこの時ばかりと人の心につけ込み押しつける。なんて神秘的な詐欺だろう、科学の時代はどうしたことやら。

「だから、あんたも来たんでしょうが」



「どういう意味だ?」

 なんだ、知らないのか。溜め息がもれた。

「ほとんどが自分を信仰させようと頑張って布教してるの。他の所じゃ地元の宗教が強くて勝ち目がないし、怖いみたい。この国ってそういった意味じゃ自由だから勝手に入ってきたらしいよ」

 いつの間にか現れて、いつの間にか入ってきてた。それが真実で、特にどうといったこともない。

 現れた神は他の神が見えるらしく、互いに睨み、脅し、すかして相手の領土を奪おうとしている。だが、互いの領域に信者なくして入ることは及ばず冷戦状態が続いている。無駄だ。

 許容範囲があまりにも広いこの国にはほとんどと言っていい程自由に出入りができる。全く信仰が無い状態でもこの国には出入りできてしまう上に、この国の神は敵対らしい敵対を見せない。 

 我関せず、小春日和に縁側でお茶でもすする老人に似ている。何も知らないようで、全てを知っているような、だが何もしない。この国の神は、まるで神らしくない。

 だから、そこらかしこから好き勝手に神が集まって来る。その数が人の人口を超えてしまうのではないだろうかと懸念されている。

「お米一粒に百八の神がいる国だから二、三百程増えたからって焼け石に水っぽいけど」

「…その使い方は間違ってると思うが、言い得て妙という気もする」

 元来、山にも川にも神がいる、百歩歩けば神がいるほどだっただろう国に、更に入国してきたのだから当然か。

 猿は腕組みをして何か言いたそうにしていたが、諦めたように腕を解いた。 

「他の奴らがこっちに来てるのが見えて、どうしたのかと思って来ただけだが、なんとも面白い所だな」

 周囲に流されただけか。所詮はその程度か、猿。

「きっと他のは世界を救うだとか、信者を増やすんだとかそんな事ばっかり言うんで飽きたんでしょう?」

 ほとんどの神がそうだった。神聖で、悪質なキャッチセールスがそこらへんにのさばっているのはそれが原因だ。しかもシツコイ。悪気が無いのが更にシツコサを増す。最悪の部類でも最上の部類に入るんじゃないだろうか。自分を信仰しない者には呪を掛けまくり、卑下する始末。

 神とはその程度の心しか持っていないのか、この国にいるとそう見えてくる。

「まぁなっ」

 納得したのか、猿は立ち止った。私が足を止めたからかもしれない。家にたどり着いたから私は足を止めた。さっさと去れ、猿。ここまで構ってやったし、貴重でもない情報を提供してやったんだ、これ以上私に迷惑をかけるな。

 だが、猿は去らずに留まった。玄関で仁王立ちするな猿。

「茶菓子ぐらい出せよ。人間」

 腕を組んで、威張る猿を殴り倒す手近なものがないか探したが、なかった。とても残念だ。こんな時だけ猫除けのペットボトルを置いておけばよかったと後悔する。金属バットでも釘バットでも木製バットのどれでもいいから早急に、今、私の手に欲しい。

 でも、ないのだからしょうがない。

「どっかいけ猿」

 しかし、猿は全く意に介しない。玄関に勝手に上がり、靴も脱がずに入ろうとしたので、スリッパで引っ叩いてやった。



「茶ぐらい出せよ」

 勝手に人の家に上がり込んで来た猿は図々しくも言った。しかも、私のお気に入りのクッションの上でだ。

「全員が平等」

 それは猿に向けてと、他の神に向けてだ。厚かましく人の家に上がり込んだ神は猿だけではない。猿はブッスリとむくれた。

 そこらへんの花の神、潰されてしまった川の神、転がっていた石の神が勝手に座って話している。別に拾ったわけではない。勝手についてきたんだこいつらは。しかも、「勝手知ったるなんとやら」と自分でお茶を入れるサービス実行中。去れ、自己中の有象無象の神共。

「…ケチな人間」

「人間なんて貪欲で強欲で、汚れてるのよ。知らない?」

 溜息一つで納得したようだ。なんで納得する。

「ところで嬢ちゃん。どうやった?」

 川のジィさんが欠けた湯呑で、湯気の立つ茶を勝手に飲んでいた。

 ジィさんの言葉が私の心を広くした。そうだ、今日はとっても気分が良い日なのだ。とっても。

「うん。可愛かった」

 ジィさんが深いしわを更に深くして、頷いた。

 にんまり笑う。そして、冷蔵庫の扉を開け、昨日買ったロールケーキを取り出した。頭数を数えて切り分ける。

 ロールケーキを皿に取り分け、フォークも付けて渡していく。最後に猿に渡して、小さな机に座った。

「どうしたんだケチな人間」

「どうこうもないけど。ただね、世界はやっぱり滅ばないと思う」

 どこぞの誰かが言っていた、世界が滅ぶから救済しようと神々は現れたのだと。神が現れたから、世界は滅ぶのか。

 結果の為の過程なのか、過程の為の結果なのか。

「もし、世界が滅ぶのなら何の罪もない子供が可哀想じゃない。だったら神様は子供を生まれさせたりしないと思う」

 先月、兄に子供が生まれた。今日はその為に病院まで遠出した。

 初めて赤ん坊に触った時、柔らかくて崩れてしまいそうな頬に笑窪があった。重たくって、泣き喚いて、それでもしっかりと私の指を掴んで離さない小さな紅葉。

 穢れのない笑顔が連帯責任なんかで消せるはずがない。



「お祝いして。可愛い子供に」

 ニッカと猿は満面の笑みでロールケーキに齧りついた。

「応。祝おう、子の未来は明るいぞ」

 無責任に言うそれが、嬉しかった。

「名付け親になってやってもいいぞ」

 調子に乗って、猿がクリームを付けた口で言った。

「黙れ猿」



***



 最初は点だった。

 ある集団が、神を造り出そうとしたのだ。それは人間が神になるのではない。電子の上に神の残像を作ろうとしたのだ。

 実にくだらないと自分たちで笑ったほどの計画だった。

 世界規模の電子ネットワークを伝わり、ネットワークに繋がる機器に少しずつウィルスをまき散らす。それは各コンピュータの防壁をくぐり抜け、自分の分身を静かに無害に増やし続ける。

 そして、ウィルスをまき、増えていく。

 それに組み込まれたのは小さなことだった。

 水面の陰影、炎の揺らめき、樹木の年輪、土地の断層の画像をランダムに組み合わせた画像を点の集合にした。それを白と黒、中間色にし、ウィルスにばらまかせた。

 その画像を、画面に瞬きの間もないほど短い間映し出す。認識されることはないが、確かにそれは目に映った。それは、確実に刻まれたのだ。本人は気付かないまでも脳は認識した。

 それが数日に一度、数時間に一度で良い、ただ繰り返され、刷り込まれ続ける。

 ウィルスが除去されても、何度も同じウィルスがやってくる。それはただ画像を映し出す。

 いつしか見えるはずのないそれは瞼の奥に刻まれ、ふとした拍子、ポスターの一部、文字の羅列、自然の中にいくつかの類似点を見い出し、刻まれたものを見るようになる。



 それは瞬き一つで消えてしまうほど、不確かなものだった。だが、だんだんと確かなものと変化する。

 点と点が意図せぬうちに結び付けられ、線になる。線は記憶の中から探し出され、画に置き換えられる。

 テレビなどの画面の点が作り出すそれと同じに。

 画像がフラッシュバックする。目に焼き付けられたようにさもそれが存在するかのように、ありありと浮かびあがる。

 いつしか、単なる画が厚みを持ち始める。現実に存在するかのように、いくつも現実と合致する。



 そして、己の中の何かを見つけ出す。



 手を広げた人、羽ばたく鳥、木の葉、星。ただの点の集合を結び自分の中の何かを作りあげる。月のクレーターに見出した時と同じように。

 ただ、それには見たという覚えはないのに、はっきりと見得る。その矛盾が精神を静かに確実に蝕む。



 ある日、ウィルス作成集団のひとりが家を出ると霧が出ていた。その靄の中に膝をつき祈る人を見つけた。ギョッとしたが、どうすることもせず郵便受けの新聞を取った。

「…神よ…」

 その言葉だけが耳に届いた。

 目に映る新聞の文字、その中に点の集合から作り出した何かがいた。その名が分かったのだ。いや、以前から知っていたのだ。

「…神」

 霧の中、跪く信者が一人増えた。



 点の集合は爆発的に神に成り上がった。集団が予定していた通りの可笑しくて、くだらない現象だった。自分たちがラジオなどの一方通行の情報に‘神‘というキーワードを流したのだから当然だ。予定外だったことがなかったことはない。

 

 予想の期間を過ぎてから神ができたこと。

 爆発的に広がった神の範囲がネットワーク外にも広がったこと。

 自分達が流した覚えのない発信源があったこと。

 それは点の集合だと言っても浸透せずに認識されなかったこと。

 作ったのは人間だとはされなかったこと。

 認識しなくなった者が集団の中に現れたこと。

 夢遊病者が増加し、社会化現象にまでなったこと。

 神が顕在化したこと。

 

 神が現実化したことで集団は蚊帳の外に押し出された。どれだけ主張しても無駄だった。早い段階で精神鑑定がなされ、ある者には監視が付き、ある者には鉄格子のはめられた部屋があてがわれた。

 どれだけ叫ぼうとも信じられなかった、ウィルスの散布以前には考えられなかったことだが、科学よりも宗教が勝ち得たのだ。いや、科学そのものが宗教から生まれたものだったのだ。それが生まれた理由に戻ったのだ。ただ単純にそれだけのことだったのだ。

 科学は自然から生まれ出でたものではないのだ! 宗教思想の証明にできたものだった!



 精神的に不安定だった人間が神にすがるのは至極当然だったのかもしれない。だが、冷静にみれば神にすがりつく異常なほどの人間の数に眉をひそめ、おかしな事だと思ったに違いない。思わなかったこと自体が既に異常だったのだろう。

 異常が日常となった世界に、神は出現した。以前の世界では集団幻覚とでもされたそれは、誰もがどこかで思い、願っていたに違いないあやふやな夢だった。

 熱湯だ。と言ってかけられた水で火傷をするように。

 常軌を逸した信仰が集まり他人の幻覚にまで干渉し、現実的な物質とした。



 現実と幻覚の境界が曖昧になり、幻覚が現実を侵食し続け、それは今も続いている。



 科学発達以前の時代に逆戻りを始めた今となっては、飛行機や自動車までもが動かせなくなっている。そんな恐ろしいものに乗れるものかと操縦者が言っているのだ。いつ暴走し周りを傷つけるのか分からない金属の走る塊など野蛮なだけだと。

 そして海難事故。海という未知の世界は興味の対象だったが、それは昔の話となっている。畏怖と恐怖の対象へと移り変わり、船主には女神を象った呪い(まじない)を付けていなければ出港も入港もできない。船での仕事を生業にしてきた一部の者たちを除けば、海辺で魚が跳ねるのでさえ恐ろしく、祈りを捧げる。それが海から来た恐怖だと。

 本当の神だけならそれだけで良かったのかもしれない。以前の信仰の姿を失い、悪鬼へと落とされた過去の神々さえも幾つかの自分に遭遇している。崇め奉られていた時の自分に追い払われる、時代が下った自分。国を渡る間に変化していった自分。既に枝別れし過ぎて自分が何なのかさえ分からない、一神教に根絶される以前の神。小さな妖精の姿をしていても神の頃をうつろう。

 先住民の原始的な恐ろしくて野蛮な、神とさえ思えないものまでが徐々に我ら神の羊の隣りにまで現れるようになった。信仰に神の力は比例しないのだろうか。

 我らが先祖がしたように他国の野蛮で受け入れがたい者どもは徹底的に排斥すべきだ。それが我々の安全を守る唯一で最良の手段だ。

 例えそれが、他を陥れてきた結果だとしても。

 東の小さな島国のように全てを受け入れつつも、己を守り、尚且つ機械文明を残す事が出来なければ、残された方法はこれしかないのだ。

 この事態を把握するだけに、哀しきかな自分の足だけが頼りだった。電話も、電報も、電気回線が全く利用できない文明の利器は役立たずに成り下がった。数少なく回線が利用できるのは他宗教が入りこんでも影響がなかった地域と、入り込めなかった地域だけだった。事態の把握が狭い範囲だけで、かなりの時間を要したのもこのためであり、その間にも時間が進み時代が逆戻りしてしまったのはハンプティ・ダンプティのように取り返しがつかない。

 そして、私を不信仰者のように見下した眼で、まだ頭の片隅だけにある科学への期待を向けるようなふりをしてまで見るのが終わっていれば、赤い血にみたてたワインの量が格段に減るのだ。



 これが私の精神波及論実験の結果で、これは実験としては多大な成功をおさめ、時代にとっては償いきれない失敗が結論だ。後世、再び科学の時代が訪れ、私の意を解してくれる者が一人でもいることを期待する。

 その時に残っていればの話だが。



〈行き場もない書き殴られた報告書より)