「このバカっ!…放すんじゃねぇ!」


急に響いた声は、大人びた声だった。
後ろから伸びてきた手が、私の手を離れてしまった竿をしっかりと握り引き戻した。
引き戻された竿を掴み、一気に引き上げる。


水飛沫をあげて空中に舞い上がったのは、虹色に輝く鯉だった。
次の瞬間、釣り針が外れて光が弾けた。
まるで、先刻見た木の実のようだ。瞬きも忘れて、光の残像に目が眩んでいた。
視力が戻った時に、鯉はいなかった。
その代わりに、鯉と同じ大きさの蛇のような生き物…竜が宙に浮いていた。


『釣ってくれてありがとな…飲み物美味しかった』


そう言って飛び去る小さな竜を、呆気にとられて見送る。
まさか、あの子供が竜だったとは思ってもみなかった。


「バーカ。慌てさせんな…」


突如、後頭部を小突かれて痛いと呻けば、先刻までいた子供を連想させる雰囲気の男が立っていた。


「俺に逢うってアンタの願い…叶っただろ?」


男を振り返って睨めば、はぁ…と溜め息を漏らした。


「…遅い。何年待ったと…」

「百年…だな」


いつの間にか腕の中に抱き込められて、不満そうに睨んだ。


「なぁ…叶えてやったんだからさ」


睨んでいるはずなのに、意も解していないように真っ直ぐ向けられる瞳に、畏縮しそうになる。


「俺の願いも叶えろよ」


耳元で低く囁く声が、頭の中に染み渡るように聞こえた。


「お前は…私の竜だ。ふざけたこと言ってないで帰るぞ、愚か者」


百年前に現れたこの男に恋をして、「滝で鯉を釣り上げた時にまた逢える」という言葉通り鯉を釣り上げた。


男の手を引いて、私はあの家に帰る。

この恋だけは、もう逃がしたくなかったから。



~了~