クエスト名:神の吐息

10.クエスト報酬



 唖然とした。一番近くにいたパステルは口を真一文字に結んだまま動かない。動揺しているのは確かだが、場馴れしているのかそれを表に出してはいない。

 首が真後ろを向いたままのガリア司祭を、町長は教壇から優しく突き落とした。

 ガリア司祭が床で弾んだ後、先ほどまで統率がとれていた死霊は一旦その場に止まり、次は自由に動き始めた。

 主人がいなくなった今、彼らは自由だ。声なき声を上げて一斉に目標を探す。その満たされぬ食欲を満たすための目標を。

「さて、司祭は教壇から落ち首の骨を折って死んだしまった。司祭が死霊使いでは困るんじゃがのう」

 先程まで困惑の表情を浮かべていた町長が何事もないように語る。司祭の首をへし折った当の本人が。

「この教会が幅を利かせてる町では、司祭が死霊使いでは都合が悪い。だから見つからない内に始末をつけろと言いたいわけですね。当然、前回の報酬とは別に金貨を一袋払いたいわけですね」

 片目を閉じて渋い顔をし、町長は言い切った。

「いやいや、銀貨一袋には口止め料が入ってるからの」

 さり気なく報酬の追加を請求したが拒否された、それでも仕方がない。それ位が妥当だ。神の吐息捜索にはこれらの事も含まれていたのだろう。

 長椅子の下で暴れている死霊は放っておき、自由に動いている死霊の群れを早々に始末しなければならない。教会内、宗教画の下で死霊が好き勝手に暴れている図もおかしなものだ。

「蜂蜜好きなだけの町長じゃなかったのね」

 パステルは町長に駆け寄り、死霊の群れに向き合う。欲望を曝け出した死霊は歯をむき出して襲いくる。聖水は置いてきた。

 この町で購入した聖水ならこの教会で作られたものだろう、そんな物は今更信用できない。司祭が作っていたのなら尚更だ。

 統制を失った死霊なら太刀打ちできないわけではない。それに司祭の首をへし折る町長もいる。負ける理由はない。

「あぁそうそう。分かってはおるじゃろうが、派手な術を使うと外にいる僧侶たちが気付くかもしれんから、使うんじゃないぞ」

 町長の視線は明らかに自分へ向けられている。この食わせ者、自分のような魔法使いの性格を熟知している。無意識の内に炎の術のページを探していた所だ。

 死霊が勝手に動いている時点で犯人は行きずりの者、今は自分達に決定する。犯人が別にいるとしても犯人は町に来て日の浅い者が吊るし上げられる。そうでなければ困るのだ。それが狭い町というものだ。

 出来るだけ静かに、そして確実に死霊を始末しなくてはならない。

 しかし、その死霊に効果的な攻撃方法を持つのはグレナンデだけだ。グレナンデの腕力がいくらあっても、この死霊の数では腕の数が足りない。例え、片手ずつに杖を持ったとしても足りない数の死霊がいるのだ。

 知り合いのハズの司祭を殺害しても平然としていられる町長でも、知り合いの死霊が刻まれていくのを見るのは精神衛生上悪いだろう。刃物は使いたくない、切っても動き続けるから無意味ともいえる。

 得意な炎の術が使えないなら、もう一人、司祭か僧侶がいてほしい。そうでなければ、武器に聖なる力を付与する道具が欲しい所だ。そんな物があれば直ぐにでも使っている。

「一か所に集めて。一気に浄化するわ」

 言う通りに集まるよう、自分をパステルが呼ぶ。

「言われなくても分かってますよ」

 グレナンデとマスカル、パステルと町長、そして自分へ死霊たちは群がっており事実上三つの群れに分断されている。

 その群れを一つにまとめなければならない。だが、それもパステルが町長を引っ掴んで壇上から自分の方へ飛び降り、グレナンデとマスカルに群がる死霊の近くへ走り込むことで解決した。

 パステルにしてみればいつもの事だが、途中で死霊たちに散々引っかかれ自分と町長の服は酷い状態になってしまった。パステルは鎧の中でも動きやすい物を装備しているが、自分と町長は鎧などという重たい物を身に着けていない。だからこそ、平然としているパステルの背後で自分は息を切らしている。町長も、溜息なのか息切れなのか知れない息を吐き出している。

「だらしない! これぐらいで息切れしないでよ、まだまだ大変なんだから」

 パステルが余裕の笑みで自分に背中を預けてきた。

 自分の横に青白い顔の女が滑り寄る。腐臭が息をするのさえも邪魔する。触れればその肌の下で蠢いているものの感触が伝わり、鳥肌が立つだろう。早い魔法で光の矢を広範囲へ向けて放つ。単体ではなく複数を狙うには集中力が必要だ、集中力を削いででも何体かの死霊を弾き飛ばさなくてはいけない。

 体を吹き飛ばせるギリギリの数をそれぞれの死霊へ放つ。

 横にいた女の顔が大きく歪み、別の死霊へとぶつかって倒れる。他に狙った死霊たちも大きく弾んで群れの中に消えた。

 パステルは何度も盾で死霊との押し合いをし、死霊を押し倒している。町長は困ったという風に、死霊の足を払い、掴みかかってきた腕をとって放り投げる。グレナンデが一気に浄化してくれることを今かと待っていると、死霊とは全く違う質の低い唸り声がした。

 パステルもマスカルも、町長までもが声のした方向を見た。杖を広げた両手で強く握り掲げているグレナンデが視線の先にいた。

 グレナンデは杖を振り上げ、宙を殴りつける。深く息を吸い込み、息を止める。そして、胸の息を全て吐き出すように一気に永い言葉を紡ぐ。

 言葉と一緒に杖は宙で模様を描き白い跡を残す。最後に叱責するような言葉と共に模様を叩くと、何処からか光が降り注いだ。

 夜で、壁から降ってきた光の元を探す暇もなく広がって消えた。



**



 あまりの光に目を閉じた。次に目を開いた後には灰の山が幾つも残っているだけだった。

 遠くにいた死霊はまだ動いているが、先程より動きが鈍いのが分かる。部屋を満たした光の影響だろう。

 元より遅い動きが更に遅くなった、棺桶の蓋も開けられない死霊などものの数ではなかった。

 全ての死霊が灰になった時、町長が出てきた扉を叩いた。

「グノー、済まんが後片付けを頼むよ」

 もう驚く事はない、グノーは町長に仕込まれたのだ。だからこそグノーの正体を知らなかった司祭は町長自らが手を下した。全て町長の手の上の事、そう勘繰ってしまう。

 塵取りと麻袋を持って扉から飛び出し、部屋の中を走り回るグノーに片付けを任せ部屋を出る。今度は町長の案内で来た道を辿るが、やはり教会内では誰にも会わなかった。

 禁書の類が置かれた部屋に戻り、ランタンに火を点けてから町長は勝手に喋り出した。

「この部屋は教会が外に出すことはできんが、守らなければならん本を集めておる。あんたらは欲しそうじゃが、生憎と渡せんのだ。司祭の持ち物もな」

 またも考えを見透かされた。当然といえば当然だ、そんな目で見てしまっていた。今回の報酬よりもこちらの本が欲しいと、言葉が喉にまで登って来ていた所だった。

 町長の独り言は狭い通路に入っても止まらなかった。今回の件について語って、無駄な質問をさせないようにとの事からかもしれない。

「グノーはわしの弟子じゃ」

「なら町長さんも暗殺者ね」

 パステルが茶々を入れる。町長も片目を閉じて答えた。パステルの笑い声が反響し無駄に五月蠅かった。

「簡単に見分けられるようなら、あいつもまだまだ成りきれてないの。そう、わしは町を守る為にコッソリと活動しておる、町長だもんでな」

 確かにコッソリと町を守る為に自らの手を汚し続ける必要があったのだろう。そして、それを続けている。この町の異常な能天気さが分かった気がした。この町には優秀な守護者がいるのだ。誰にも知られぬように、分からぬように仕事をこなしていく守護者が。

 ならば町長自身が神の吐息を取り戻せばよかっただろう、音も聞こえ行動できるだけの能力を持っているのだ。

 しかし、町長が長期間町を離れるわけにもいかなかった。司祭が不在になったとはいえ、いつ帰還するとも知れない。町長は以前からガリア司祭を疑っていたのだろう。

 井戸の梯子を上り終え、外に出ると星が瞬いていた。まだ教会で鐘が八回鳴ったのを聞いておらず、司祭との約束の時間にはなっていない。

 町長は井戸の近くにある自宅に招き入れ、紅茶を淹れてくれた。

 温かい紅茶に多少警戒しつつ町長が飲んでから自分も口に含んだ。相手が用済みになり、余計な事を知られているとなると黙らせるのが常だ。特にこの暗殺者などと自ら認める輩には。今は気を許し過ぎている感がある程だ。

 口に含んだ紅茶は色が付いただけの湯の味がした。それでも砂糖をたっぷりと入れて、時間をかけて飲んだ。

「これがさっきの報酬じゃ」

 町長は家の奥へ行き銀貨を一袋持って戻ってきた。報酬を仕舞った所で、転がるような足音と激しくドアを叩く音が入り混じった。

 ガリア司祭が亡くなっているとの連絡だった。伝えにきた僧侶は自分達が町長宅にいた事に驚き、町長に耳打ちした。町長は片目を閉じて小さく頷いた。

 伝えにきた僧侶は自分達にも教会に来るようにと言った。

 司祭は件の部屋で先程の状態のまま死んでいた。違うのは棺桶と灰が完全に無くなっている事だ。

 司祭を囲んで祈りを捧げている何人もの間にグノーの姿があった。目には涙を溜めて、天を仰いでいる。グノーの頬を伝うそれにはどんな感情が込められているのだろうか、爪の先ほどの悲しさも含まれていないかもしれない。そうだとすれば追いはぎなどより余程役者だ。

 初めて入ったように驚き、慌てなければいけないのが面倒だったが、報酬の為には仕方がない。先ほどまで争っていたガリア司祭を前に冥福を祈るフリをして教会を後にした。教会から出る途中、グレナンデが僧侶達に囲まれ、どうしたものか相談を受けていた。

 この町には死体愛好者のガリア司祭しかいなかったのだ。そして次席も確定していないようだった。

 町の教会を指揮していた者がいなくなったのだ。別の所から新しく司祭を迎えるのか、町にいる僧侶の誰かが代わりを務めるのか。後者の方になるだろうが、少なくとも司祭が死霊使いであった事実より波紋は小さい。

 平和と司祭の影響下に慣れ過ぎていた僧侶達は、まだ位の分かるグレナンデにすがったのだ、これから自分達はどうすれば良いのかと。

 だが、信仰する神の言葉を伝え、グレナンデは価値観の違いを教えて真実の路を示した。

「生き抜けぬ者は敗者です。どのような形であれ生きる者は勝者です」



***



 教会を出る際、グノーと一緒に一人の僧侶が自分達を個室に招き入れた。

 ガリア司祭が出し渋った報酬と奪われた竜の死体だった。これらを受け取り、翌朝には町を出てほしいとの用件だった。ガリア司祭が死んだ時、自分達は町長の家にいたが疑っている者達がいるというのが説明だった。

 それを承諾し、重たい荷物を持ち、内心笑いながら今夜は町長宅に泊まることにした。

 宿屋に泊まると管理不行き届きで信仰と虚言を妄信する純粋な心の持ち主の犠牲者が出るかもしれない。不必要な犠牲をマスカルは嫌がった。報酬と荷物が戻ってきたのだ、これ以上この町に長居をしたくないとも思ったのだが、身体の疲労がそれを許してはくれなかった。

 教会から、金貨と竜の死体を四人で運び、町長宅でどの竜の血をどちらが取るかをグレナンデと相談しながら待っていると町長は重い足取りで帰宅した。激しい運動も、論争も年をとった町長には疲れるものに違いなかった。

「教会の本部から他の司祭を派遣してもらうことになった。今度こそ真面目な司祭が来るといいのう」

 町長が帰宅し、今夜はやっと柔らかい布団で眠れると思ったのに、町長宅にはベッドが三つしかなかった。

 事実、一度倒れてしまった自分だったが、仕方なく女性組にベッドを明け渡し、マスカルと客間のソファーに布団を持ち込んで眠った。

 流石に金持ちの町の町長宅客間、ソファーも寝心地が良かった。

「柔らかいベッドでなくとも十分だな」

 長いソファーの肘掛けに頭を乗せて、もう一方の肘掛けに足を乗せたマスカルが同意を求めてきたが、曖昧な返事をすることしか出来なかった。既に肉体は限界に達しており、精神の疲労も激しかった。夢の世界へ片足を踏み入れていた。

「えぇ、ソファーでも十分です」

 ただ、ソファーの欠点はある方向に寝返りを打つと落下してしまうことだった。朝方、自分の寝返りと同時に起床してしまい、その音で家中の者を起こす結果となった。

「下らない事で邪魔しないでよ」

 と、パステルの怒りを買い、まだ朝日が昇り切らぬ内から慣れぬ台所で強制的に朝食を作らされた。

 暴力による支配は無駄だと主張したかったが、普段は使われない関節技に負けた。パステルに本気で絞められれば自分の首など簡単に一回転する。ガリア司祭と同じ道を辿る気はない。

 早過ぎる上に粗末な朝食を終え、まだ寝むそうな馬を起こして荷物を乗せる。

 その荷物の中から、思い出したようにパステルは欠けた鱗が幾つか入った瓶を取り出し、解体所の主人に渡すように町長に言付けた。片目だけを閉じ、町長は笑って受け取った。

「確かに渡しておくからのう」

 朝靄の中で見送る町長とグノーに挨拶を済ませ、眠りこけた門兵を文字通り叩き起こして開門させた。開門させると門兵が兜の下で嬉しそうに笑った気がした。

 早く追い出したいのだろう、その態度で無性に悪戯がしたくなった。近くの木を這っていた毛虫を乗っていた葉っぱごと取り、門兵の着ている鎧と服の間に入れてやると楽しそうにダンスを始めた。それを笑い飛ばして門を出た。

 町から少しだけ馬を走らせると、路の分岐点に辿り着いた。

「それでは、ごきげんよう」

「次に会う時までさよならだ」

 マスカルとグレナンデは通行止めになった路から予定を変更して山を迂回する路で目的地に向かうらしい。結局、路の封鎖は解かれなかったと夕べから残念そうだった。

 自分達はそれに同行せず、竜を扱える大きな街を目指す。二人の目的地とは方向が違う。

 去って行く二人の背中を見送り、大きな荷物で足取りが重い馬を走らせた。

 次に向かうは竜を取り扱える大きな街だ。今回ほどの報酬は望まない、しかし簡単で、楽で、報酬が高いような割の良い依頼や知識がないだろうか。

 多くは望まないと自分に言い聞かせているのだが、望みが多い。その自分に苦笑した。それを知ってかパステルが口の端を吊り上げて笑った。

「ちょっと今回は荷物が重いわ、少しでも軽くしなきゃね」

 そう言って、パステルは昨日グノーから貰った酒瓶の蓋を取り、口をつけた。馬に乗りながら酒を飲むのは褒められたことではないが、飲む様子が実に美味そうに飲むので何も言わなかった。

 自分も荷物を少し軽くする為にパステルが差し出す酒瓶を受け取り、口をつけた。

「なんでこんな物が美味しいんでしょうね」

 報酬の酒は甘く、少しだけ苦かった。