マスカルとグレナンデの話

04





 グレナンデが集中し、短い言葉と共に杖を三本脚の頭上に掲げる。そして一息に額の模様めがけて杖を振りぬいた。

 金属と石がぶつかる激しい音が響く。

「前に見た解呪とは大分違うな」

 マスカルの正直な感想だった。

 以前、グレナンデが行っていた解呪は長い詠唱が必要なだけで最後の強打は無かった。最後の強打は宗旨替えの結果だろうとは思うが、これでは解呪する相手まで壊してしまう。今回は相手が硬いから壊れなかっただけだろう。

「解呪は基本的に呪文との根競べ。気合で勝たないと」

 理屈は分かる、足元で転がっている三本脚の額から模様が消えているのも見て取れた。だからといって納得するには難しい。

「まさか、学園の知識を極めた才女から『気合で勝たないと』などと聞くとは」

 あえて口を閉ざしたマスカルににじり寄り、グレナンデは先ほど振りぬいた杖を自分の手に優しく下ろす。

「……『思ってた』でしょう?」

 マスカルはグレナンデの手ごと杖を握り、残る一方の手で肩を押さえた。

「ここ最近、よくよく『思ってた』」

 マスカルは非力だが、グレナンデよりは力があった。ただし、それはグレナンデがリーリアリの加護と肉体強化を行わなかった場合だ。肉体強化を行えば、一時的にでもグレナンデはマスカルの筋力を凌駕する。

 一時的な筋力を得ようとも、体の構造を変えることはできない。腕を振ることも、逃れることもできなければ無駄なのだ。

 身長差がそのまま腕の長さの違い、今の状態では、グレナンデはマスカルへ手を伸ばすことも逃げることも適わない。だから、グレナンデは沈黙のまま集中し一番短い言葉をぶつけた。学園にいた頃から何度も行使していた、マスカルのための言葉。

 雷撃が迸った。

「これは、前からだったな」

 髪の毛が焦げ、吐く息が煙たい気がする。まだ軽い方だ、と分かってしまう。

「謝罪として、斬って」

 グレナンデは視線を三本脚へ向けた。

 意味が分からず、目を丸くするマスカルにグレナンデはもう一度言った。

「切り分けて運びましょう、重いから」

 冷たい色の目は煌めいていた。

「まさか、あれは金属だろう。金切り鋏なんて持ってきてないぞ」

 グレナンデから手を離したマスカルは、更に詰め寄られる結果になった。

 その目は期待に満ち満ちているように輝く。

「……『できる』でしょう?」

 マスカルは少なからず期待されていることが嬉しかった。そして自分の持つ術を良く知っていてくれたことも。

 グレナンデは難題を提示するが、出来ないことは最初から選択肢に入れない。拒否権を与えてはくれないが、不可能なことを押し付けたりはしない。

 今もそうだ。

「確かに、斬鉄なら『出来る』」

 分厚い金属を専用の器具も無しに切ることは出来ない。金属は硬いくせに、粘り気がある。同じように金属でできた武器でも、金属を切ることは難しい。通常、皮をや肉を切ることが大半の目的だ。出来の悪い武器は骨に引っかかるだけで折れる。

 上等な武器でも分厚い金属を切るのは難しい。

 深い溜息と共に、マスカルは使い慣れた武器を鞘から引き抜いた。

 片刃の武器、マスカルの慣れた武器、長い友人は仄かに光を帯びる。波打つような熱の名残が、動き出す気配すらある。

 マスカルはいつもと同じ。手入れをする時と、同じ。ただ鞘から抜いただけ。動作は同じなのに、たったそれだけなのに、毛先がチリチリと擦れるように感じる。肌はまるで日に当てられたようにヒリつく。

 それもマスカルが一歩踏み込むまでだった。

 踏み込んだ時、始まって、終わった。

 まるで蜘蛛の糸が風に流れるように、細い線が風景に入り込む。その先に金属の塊があっただけ、それだけのように見えた。

 マスカルが武器を鞘へ戻す。

 三本脚は微動だにしていないように見える。

「……まさか」

 沈黙の後、グレナンデが口を開くと、それを待っていたように金属の塊が二つに増えた。

「『失敗した?』と思ったか?」

 マスカルが口の端を上げ、グレナンデの顔を覗き込んだ。

 面白そうにマスカルは小さく笑う。

「お見事」

 冷たい色の目で、グレナンデは拗ねた様子で称賛を送る。

「乞われて見せるようでは、まだまだ」

 二つに増えた塊を手に、マスカルは荷物へ向かった。もう一つをグレナンデが持ち上げ、その隣に駆け寄る。

 そして見上げながら、口の端を上げて言うのだ。

「使わないと覚えない、忘れる」

 自分の言葉をそのまま返されてしまい、マスカルは思わず苦笑した。その様子を見て、グレナンデも笑うのだった。



 予定外の金属に荷物の整理をしていると、忍び足で近寄ってくる気配に気が付いた。マスカルが振り返ると、人のよさそうな赤ら顔が眉を下げて木陰に隠れるようにして覗き込んでいた。

 マスカルの顔を見ると、盛大に溜息を吐き木陰から出て来た。

「あー、あんたらか。よかったー」

 何が良かったのだろうか、歩み寄る男にグレナンデが尋ねた。

「さっきから妙な音がしていると思ったら、すっごい音がしただろう? 無茶な連中がまた来たのかと思ったよ」

 思い当たる節のある二人は顔を見合わせた。二度の落石と三本脚の引き上げ、男が居る場所にも届いていたのだろう。

 グレナンデは思い立ち、金属の塊を男の前へ置いた。

 細身のグレナンデが持ち出してきた大きな金属に男は後ずさる。だが、その光沢を見ると前のめりに近寄った。

「これを引っ張り出すときに壁にぶつかった。その音かしら」

 グレナンデの声が届いているのかいないのか、男は触れそうで触れられない距離を自ら保ちつつ舐めるように金属を見つめている。その目は酒を口にしていた時とは違い、爛々と輝いている。

 ここぞとばかりに、マスカルは商談を持ち掛けた。

「量が多すぎて困っていた所だ、買い取らないか?」

 マスカルに続けて、グレナンデは金額を提示した。マスカルには金属の正体も分からない。提示した金額も適正かどうかは分からないが、随分と高額に聞こえた。

 男はグレナンデと金属を交互に見やり、汗を拭った。

「言ったな? 間違いないな? よし、その金額で買おう」

 男は金属に抱き付き、持ち上げようとするが動く気配はない。細身のグレナンデが持ってきたのだからと、顔を耳まで真っ赤にして持ち上げようとしているが、一向に動かない。

「道案内を無事にしてくれるなら、近くまで運ぼう」

 後ろに倒れるようにして男は尻もちをついた。男は大粒の汗を拭い、マスカルの提案を受け入れた。

 落ちている枝を掻き集め、その両端にロープを回してマスカルとグレナンデが持った。山道の傾斜で滑らないよう、男は慎重に場所を選びながら二人を自分の小屋へ案内した。

 住んでいるのは一人のようだが、家の周りになる釜土の数から多くの人が集まるのだと分かる。

「ここに置いてくれ」

 男はドアを引き倒す勢いで開ける、家に飛び込むなり手近にあった机を叩いた。

 何人も座れるような大きな机だが、グレナンデが金属の塊を乱暴に置くと大きく軋んだ。家財が飛び跳ねるような勢いだったが、机は堪えたままだ。

 置かれた金属を撫でまわし、その感触を確かめる。そして突然家の奥に走ったかと思うと、金槌を片手に戻ってきた。

 おもむろに金槌で横から金属を叩いた。

 金属と金属が当たる、空気を引っ叩くような音。その音で髪が揺れる程だった。

「間違いない」

 男は叩いた部分を何度も撫でつけ、やや凹んだ、そこを愛おしそうに見つめる。

 再び家の奥に走り、今度は重い足取りで木箱を運んで来た。それを床に置くと、中身を二人に示した。

「さぁ代金だ。持って行ってくれ!」

 マスカルが木箱の中身を確かめると、大量の小銭と金属片、幾つもの空瓶が入っていた。

 箱の大きさと小銭の額を考えると代金には足りない。

 この量を数えて運ぶことを想像すると気が滅入った、金属の塊をそのまま運んだ方が楽に思えた。グレナンデの方を振り返ると、グレナンデは家の外を見ていた。だが、急に身を翻した。

 マスカルの耳にも届いた、何かが激しい音を立ててこちらに向かってきている。咄嗟にドアから離れ壁に寄る。

 土埃と共に何かが机に激突した。

 続けて、薄い金属同士がぶつかる音。

 埃が落ち着いたとき、響いていたのは唸り声とも叫び声ともつかぬ音だった。

「まさか、まさかコレは」

 机の金属にしがみついているのは背の低い男だった。筋肉質な体は薄い金属片の鎧に包まれ、体の分厚さに釣り合っていない。

 家主が鎧の男を机から引き剝がし、椅子へ座るように命じた。

「そうとも、まさかだ!」

 興奮した様子の二人に、マスカルは眉をひそめた。どうやら知人のようだ。

 二人とも金属の塊を見て興奮しているようだが、マスカルにはその価値が分からない。グレナンデに近寄り、小さな声で尋ねた。

 グレナンデは声も潜めず答えた。

「この金属は採掘できる地域が限られている。精錬はこの近辺でしかできないから、この金属の加工品は高値で取引される」

 その言葉を聞いた二人はグレナンデの方を見て、ニヤリと笑うのだ。

「その通り、精錬できるのはここだけだ」

「その理由はな、知らんだろう?」

 教えてやろうか、と口元に笑みを浮かべる二人を他所にマスカルはグレナンデに再び問いかけた。

「何故だ?」

「精錬する時に使う炭が、この近辺にしか生えていない木で出来ている。正確には、炭にした時の成分が金属と反応して……」

 更に答えようとするグレナンデを真剣な表情で二人は止めた。

 先ほどの興奮もどこへやら、二人は真面目な表情で言葉を遮った。

 家主の男は椅子に座り、グレナンデとマスカルの存在を気にもせず、鎧の男と相談を始めた。金属の取り分の話だが、マスカルには十分に見える量も二人には足りないようだった。そして話は二人だけでは済まないようだった。

「足りるわけないだろう!」

 鎧の男が机を叩くが、金属の重さで揺れることも無い。

「まず、こいつであの板を壊すんだ。そしたら中に入れる」

 中に入れば皆で採掘すればいい。

 家主の男が金属を掌で叩きながら応じる。だが、その表情も曇る。男が考えている、板を壊すための量には足りないようだった。

 そもそも、板を壊すのに道具は必要ないのだ、と思っていても口にしない。マスカルもグレナンデも分かっていても口にしない。事実は絶望させるためのものでは無い。

「もう少し、あると言ったらどうする?」

 マスカルの問いかけに二人の男は椅子から跳び上がる。

「いくらだ?!」

 先ほどと同じ金額を提示すると、鎧の男が買った。懐から財布を取り出すと、机の上に中身をばら撒く。机の上に転がり出たのは大小の宝石だった。グレナンデは宝石を一瞥すると馬に乗せていた残りの金属を運び、今度は机の下に金属の塊を置いた。

 適当な額の宝石を選び、グレナンデは鎧の男から宝石を受け取った。

 次いでマスカルが木箱を引き寄せて言う。

「こっちも両替してもらえると助かる」

 グレナンデが最初に請求した額の宝石を選ぶと、鎧の男は躊躇わず渡した。



 小さくなった荷物と重くなった財布で、馬の足取りも軽くなり街道へ出るのに時間はかからなかった。

 マスカルとグレナンデに手を振った二人は、来たばかりの山道を駆け上っている。これから仲間に声を掛けて再び坑道へ入るのだそうだ。準備に大忙しだ、と酒瓶に栓をしていた。

「言った方が良かったのか、迷うところだ」

 マスカルの独白にグレナンデが首を振った。

「彼らの中に、あの封印を破れる者がいなければ、辛いばかりでしょう」

 それに、とグレナンデは続ける。

「女神の封印は壊せなくても、板は外せる」

 マスカルはグレナンデの言葉の意味が分からず、何度も反芻し、思い出した。それから急に肩の力が抜けた。

「それは、知っている」

 リーリアリの封印は力を試すためにあり、板は立て掛けてあるだけなのだ。板を立て掛けている柱にも封印の効果はあるものの、柱と板の関係には効果が無い。つまり、柱と板は破壊できなくとも取り外しが可能なのだ。

 マスカルが思い出したのは、ヴァスティスの行動だった。

 以前に同じ仕事をした際、ヴァスティスは目ざとくリーリアリの封印を見つけた。だが、その時は封印を解いている暇がなかった。時間が無いヴァスティスは、リーリアリの封印が施された板を外して持って行ったのだ。人が一人乗るのに丁度いい大きさの板を小脇に抱えられて、とてつもなく邪魔だった覚えがある。

「あれほど綺麗に作られているから外しにくいけど、天井を少し崩せば」

 坑道の天井を崩すということは、出入り口を崩すことに繋がる。元は採掘されていたとしても、中の補強がどれほどもつのか分からない。それも含めて、合わせて作られたような封印だった。

 リーリアリの封印を、封印らしく使った坑道の奥に眠る過去の兵器。

 グレナンデに非効率だと言われた兵器が蘇らないことを願いつつ、マスカルは手綱を引いた。

「それよりも、早くどこか眠れる場所を探そう。残っていないだろう?」

 マスカルは茶色い焼き菓子を一つ、グレナンデの手に持たせる。困った様子でグレナンデは目を伏せた。

 一日に行使できる魔法は限られている、それは気力だけでなく身体がそうさせるのだ。精神に折りたたまれるように隠された魔法は、本に差し込まれた栞のようなものだ。栞を一枚引き抜けば、そのページを開くことができる。開いた本は閉じなくてはいけない。いつまでも開いておくことは危険だ。栞の数だけ本を開くことは出来る、だが栞を差し込むには十分な眠りが必要なのだ。

 グレナンデは栞の数が多い、それ故に再び栞を差し込むには時間がかかる。

 今日は栞と言う魔法を行使し過ぎた。

「マスカル」

 呼びかけるグレナンデの手には半分に分けられた茶色い焼き菓子があった。

 マスカルが半分を受け取ると、グレナンデが手に残った半分に齧りつく。

 一つを分ける甘さを嚙み締めた。



おわり