マスカルとグレナンデの話
03
二人が辿り着いた場所は、グレナンデの探知が成功していたことを物語っていた。
街道から外れ、以前は整備された路だっただろう山道を登ると大きな木が二本打ち立てられていた。その間を埋めるように板がはめ込まれている。隙間なく並んでいる板は、何枚もで組まれている。
その板の全てに掌のような葉の模様、リーリアリの模様が浮かんでいた。
「多いな、これほどの量の封印なら高濃度のマナでもおかしくない」
慰めるマスカルに対して、グレナンデは肩を落とした。
「残念。目的と違う」
グレナンデが追っていたのは浮遊するカメだ。リーリアリの封印が連なる場所ではない。滅多に見ないという意味では同じだが、欲していたのは不思議生物であって、信じる神の奇跡ではない。
「それに、女神の封印にマナは殆ど感じられない。奥に何かある」
裏手で板を小突きながら、グレナンデは音を聞いていた。
リーリアリの封印は試練とも呼ばれる。破壊されることが目的で、素手のみを許しあらゆる魔法を退ける。ただ板がそこに立ち、素手で打ち壊されるのを待っている。封印が施された際の力以上の力を与えることで、封印は破れるのだ。
今の力を超えるために、以前の自分よりも強くなるために待っている。
無為に物を破壊しないようリーリアリの神官に与えられたと言われる封印だが、破壊できるのは神官のみだと言われている。
「この葉を囲む円の部分を素手で打つ。設置された時よりも強い力で、それだけ」
やってみるかと問いかけるグレナンデに、マスカルは静かに拒否した。
「ヴァスじゃないんだ、力自慢と一緒にしないでくれ。俺だって十分に非力なんだ」
一体、何時、誰が、どんな目的で設置したのか分からない封印だ。しかもリーリアリの神官というだけで凄まじい腕力を持っているのは想像に易い。マスカルは刃物を扱うが技術で斬るのだ、力任せに奮えるほどの自信はない。力で解決できないことが多いからこそ、魔術を齧るし必要最低限の腕力で最大限の力を発揮できるよう技術を磨いている。
マスカルの腕力に助けられるグレナンデは、試すまでもない。
封印を破壊することが出来ない二人は、背丈よりも大分高い板を見上げた。
「いくら私が自分に肉体強化を施したところで、この試練を打ち破ることはできない。強化の術には自信があるのだけれど、無理だとしか分からないわ」
封印そのものは魔法を退けるが、触れる者に施された魔法には無関心だ。これは封印が設置された際に神官が、意識してか無意識でか肉体強化をしているからだと言われている。正確なことは分からない、リーリアリが得意とする技の殆どが無意識下で行われる肉体強化であるためだ。
グレナンデも肉体強化を意識的に行うことで、一時的に戦士のように強靭な肉体を手に入れることができる。
一時的にでも強い肉体を手に入れるで、行動の幅は大きく広がりマスカルを振り回すのには十分だった。
「だが」
マスカルも板を小突いて音を聞く。
音は十分な厚さを伴っていた。マスカルとグレナンデは顔を見合わせ、板の端にあたる二本の木を見上げた。
木はその背後に迫るような岩壁に接している。岩壁に板を立て掛けているようにも見えるが、音の反響から板の奥は空間があるのだろう。きっと、その奥にグレナンデが勘違いした高濃度のマナがある。封印されなければいけないような何かが。
木の高さを目視で測り、荷物からロープを取り出す。長さは十分だ。
ロープを結べそうな木を探していると、近くで足音がした。足音の間隔から、足は短い。音の方向を見ていると、背の低い男が現れた。
「馬が通ったと思ったら、迷子かい?」
人のよさそうな赤ら顔、目尻の下がった柔和な表情で酒瓶を口に当てた。
酒の匂いが周囲に漂うと、マスカルは僅かに口を曲げた。こんな所で酔っぱらいに絡まれるのは面倒だった。酒場でもない、こんな山の中で酒瓶を片手にいる者は大体が酔っぱらいだ。
「違うわ。この奥、何か知ってる?」
男は酒瓶から口を離し、ハッとした。
「何、もしかして鉱山開けるのかい?」
瓶に栓をして、目を輝かせる。男が言うには、この板の奥には坑道があるのだと言う。
男が祖父から聞いた話によると、この山は鉱山だったが、板の封印を境に閉山してしまった。どういった経緯で封印されたのかは覚えていない、聞いていなかったのかもしれない、だが鉱山から採掘できた金属は希少なもので何度も封印を解こうとしたが出来なかったという。
何人も試して解けなかったことから、尋ねてくるものもいない。
時折、山に入った不案内つまり迷子が辿り着くだけで、見かけると今のように道案内をしてやるのだそうだ。この山は登るのは問題ないが、下る際、特に背の高い馬が転びやすいので遠回りでも安全な道を進めるとのこと。
「まぁ案内には、ちょっと酒を貰うけどね」
男は酒瓶をちょいと持ち上げて、小さな要求を示した。
マスカルとグレナンデは顔を見合わせ、小さく頷いた。
「なら、先に払っておこう。こちらに印を付けた神へ捧げるつもりだったんだ、しっかり味わえ」
マスカルが荷物から酒瓶を取り出し、男の手に握らせた。
男が持っていた酒瓶よりも大きな瓶に、目を丸くさせてマスカルと交互に見た。
「そうかい、味わって飲むようにするよ」
山を下りる時は声を掛けてくれ、と言い残し男は上機嫌で来た道を戻った。
男の背中が見えなくなった頃、マスカルは根張りの良さそうな木へロープを回した。馬と荷物を少し離れた場所にする。
「この封印に関することを知っていれば反応があると思ったが、無かったな」
「隠しているのかもしれないし、聞き方が悪かったのかもしれないし、知らないのかもしれない」
荷物から小さな包みを取り出し、グレナンデは包みを解いた。
小さく、茶色い焼き菓子。小さな甘味は日持ちもするし、少量で空腹を満たしてくれる。何よりも甘い。
「重たい食事にはまだ早いから」
グレナンデは一つを割り、半分をマスカルの口に押し込んで半分を自分の口に押し込んだ。
作業の手を休めることなくマスカルは音を立てて咀嚼する。マスカルが作業を終えて水と一緒に飲み込んだ頃、グレナンデはまだ口内で格闘していた。日持ちのする焼き菓子は、それなりに固い。
グレナンデがようやく全てを飲み込むと見計らったマスカルが水を差し出した。
マスカルの準備は終わっていた。
急かすつもりは無いが、グレナンデは必死に食べているようで顔が少し赤い。今よりも柔らかい焼き菓子もあるのだが、そちらは日持ちしない上に値が張る。二人の好物ではあるのだが、持ち歩くには不便だ。
柔らかく日持ちのしない焼き菓子などは明らかな嗜好品だ、そればかりに金銭を割くことはできない。
今の二人に必要だったのは体の負担にならない程度の食事と、直ぐに身体の力となる甘さだった。
模様が描かれている板を前に、マスカルは天辺が見える位置まで後ずさる。後方のグレナンデと時々視線はぶつかるが二人は無言のままだ。沈黙を破ったのはマスカルがグレナンデの隣まで下がった時だった。
「ここまでか」
そのまま横に移動し、全体を確認しようとするのだが、板の端の柱と岩が邪魔で足場になりそうな場所が見つからない。
肩を落とし、一旦グレナンデの傍に戻る。
「見つからないな」
マスカルの言葉にグレナンデが静かに頷いた。
「崩しましょう」
柱の一方、そのすぐ近くを指した。
グレナンデの言葉にマスカルが静かに頷いた。
むき出しの岩肌、足場には不向きな出っ張り。歪みの少ない柱には縄を掛けても登れそうにはなかった。だが、その岩場の一部が崩れれば、一人が立つには十分な場所が出来るかもしれない。足場がなければ、作ってしまえばいい。柱や板では魔法が退けられてしまう、しかし背後の岩場には関係のない事だ。
グレナンデは静々と詠唱を始め、時間を掛けて狙いすませた位置へと雷撃を放った。
普段マスカルの補足に使用していた雷撃とは違い、離れた位置へ、周囲の空気を切り裂きながら落ちた。
雷撃の音に続き、岩の落ちる音。
板の手前に落ちた岩はその場で止まり、細かな破片が硬質な音と共に散った。
「お見事」
想像以上の成果だった。
一部の落石から土砂崩れが起きないか、多少は心配していたが雷撃は狙った岩を落としただけに留まり、見事に一人分の足場を作り出した。板の向こう側に岩が落ちることも無く、こちら側に落ちたことで小さいながらも踏み台に出来るだろう。
「当然でしょう」
冷めた目で、グレナンデはマスカルを見返す。次は、そちらの番だと。
木に繋いだローブを持ち、マスカルは足を上げた。眉を寄せて見せると、グレナンデは小さく早口で言葉を紡ぎ始めた。その言葉を背に受けながら、マスカルは走る。次第に大股になるその足元で、燃えるような羽が纏わりつく。
マスカルが岩を蹴りつけて跳び上がる時、光の軌跡を残しながら羽ばたいた。
自身の背丈よりも高い板を越え、マスカルは出来たばかりの足場に降り立つと素早くロープの房を岩肌に引っ掛けた。そこから左右を見渡し身を伏せた。
ナイフを一本腰から引き抜くと岩の隙間へ捻じ込み、岩肌へ引っ掛けたロープを結んだ。更に他の出っ張りへしっかり回して固定すると、足の光が消えぬ内に飛び降り難なく着地した。ロープは、最初に繋いだ木、岩肌のナイフを経由して今もマスカルの手に残っている。背後の板を振り返りながら、マスカルは小走りに荷物へ駆け寄った。
減ったナイフを補充し、グレナンデへ向き直る。
「板でキレイに蓋をしているな。天井と板との間に隙間はあるが、子供の通り道ぐらいだ」
グレナンデは冷たい目で板の方を振り返り、足場と落ちた岩とを交互に見やった。
「確か、後ろは鉱山だったわね。坑道の入り口に合わせて板を立てているから、板の上を移動もできない。天井が覆いかぶさっているわけでもないから、天井を伝うこともできない」
「そんな所だ。しかも中から妙な声がした」
甲高い、生物ではなさそうな声だ、と。
今度はゆっくりと板の方へ近寄るマスカルは、途中でグレナンデに手を振って黙って呼び寄せた。グレナンデもゆっくりと近づくと、先程までと違い板の向こうの音が耳に届いた。金属と金属をこすり合わせるような音。しかも大きくなったり小さくなったり、まるで息をしているような大きさ。
マスカルが近寄ったから反応したと考えるよりは、落石の音に気付いて何かが反応したと考える方が簡単だ。ならば音が分かる何かが板の向こうにいる。
マスカルとグレナンデは板との距離を保ったまま、聞き耳を立てた。
音の大小、方向に耳を澄ませる。
マスカルが顔の近くで指を振り、グレナンデがそちらを注目した。
人差し指で自分の口元に軽く触れ、次に手で「四」を示した。グレナンデは手で「三」を示し、板の向こう、音のしている三カ所を指した。マスカルは頷き、自分も同じ方向を指したが、同じ場所を二度指した。
それから踵を返し、ロープを結んでいる木の近くまで離れると口を開いた。
「四つ、いるな」
「この距離で聞こえないといいけど」
荷物の隣に座り込み、マスカルはグレナンデにも座るように促した。
グレナンデは荷物から筒状の器具を取り出し、マスカルの隣に座った。筒状の器具をスライドさせ、硝子の嵌まったそれを覗き込む。視力を補正する眼鏡と同様の原理、遠くをよく見るための器具、遠眼鏡で板と隙間を確認する。
「中は見た?」
グレナンデの質問にマスカルは頷いた。
「暗い上に一瞬で何も見えなかった。だが、声がしたからな。咄嗟に伏せた」
グレナンデは遠眼鏡を顔から離し、マスカルへ渡した。
「明るい場所から急に暗い場所を見たから、無理もない。板の真ん中、あそこの隙間が広いかしら」
マスカルが受け取った遠眼鏡を覗き込むと、足場から一歩以上離れた場所、そこだけ影が深く見える。しかし、隙間までの間には板がぴったりと嵌まって隙間のない場所がある。つまり、板の上を伝って辿り着くのは難しい。
目測では、マスカルが身を捩れば入れる程度の隙間だ。
「どうしようかしら。浮遊するカメじゃないのは確か、徒労かも」
浮遊するカメなら悠々と隙間から出入りできる。グレナンデの小さな期待は儚くも消えたのだ。落胆は、既にしていた。
「気になるな。男の話と、女神の封印で隠すもの。言っては何だが、女神の封印を封印らしく使っているなんて可笑しいじゃないか」
リーリアリの封印は試練とも呼ばれる。何かを封じ込める目的で使用されることは、まずない。封じ込めるのは、その時に受けた力そのものだ。他の何かを封じ込めるために作られたのではない。
目的外にリーリアリの封印をしてまで隠すもの、マスカルの興味を引くには十分だった。
「余程、慌てていたのかもしれないし、奥の声も含めて試練かもしれない」
すっくとグレナンデは立ち上がり、マスカルの腕を取った。
「長年蓋がされているのに声はする。どこかに繋がっているのなら、さっきの男はここで待ったりしないだろう」
土を払い、マスカルは立ち上がると補充したばかりのナイフを外した。
更に腰に巻いていたベルトポーチを外し、鎧の繋ぎに手を掛けた。
「軽業師じゃないんだが、脱ごうか?」
グレナンデは少しだけ眉を上げ、冷たい目で見返す。
「少しだけよ?」
マスカルの首に手を回し、鎧を少しだけ持ち上げた。
着ていた鎧の殆どを外し、袖と裾を細い紐で結んだ。マスカルの体が一回り小さくなったように見えたグレナンデだったが、躊躇いもせず腰のベルトを掴み、ロープの一端を結んだ。
「しっかり結んでくれ、命綱だ」
グレナンデが何度か力を込めてロープを結ぶと、ロープは悲鳴を上げて千切れた。
「撤回しよう、自分でやる」
マスカルは静かにグレナンデから離れ、ロープの端を切り、改めて自分で結び直した。途中、ジリジリと近寄ってくるグレナンデを牽制しつつ、背中を見せないようにしたため、やたらと時間がかかった。
身軽になったマスカルだが、何があるのか分からぬ場所へ丸腰で飛び込む勇気はない。
何かで引っかかることが無いように鎧は脱いだが、武器には愛用の長物を選んだ。もっと短い武器もあるが、頼るならば使い慣れたものがいい。
木に結ぶロープを増やし、短い方をグレナンデの腰に繋いだ。最初から結んでいた長い一本はマスカルのベルトに繋がっている。
二人はと足場に上がり、コッソリと坑道の闇を覗いた。
闇に眼が慣れてくると、甲高い声の正体が見えた。隙間から入る僅かな光を反射する金属、それが四本脚の獣の形をしていた。チラチラと肉食獣の牙が見える度、甲高い声がする。
「見立ては?」
グレナンデの耳元でマスカルは囁いた。
「直接見てみないと、何とも言えない」
グレナンデが首を振ると、髪がマスカルの首筋をくすぐった。
「欲しいか?」
問いかける声は笑っていた。
「欲しいわ」
答える声も笑っていた。
マスカルは足場から落ちないように、気を付けながら立ち上がった。周囲を見回し、丁度いい岩を探した。グレナンデが一撃で落とせる程度、でも十分に重そうな岩。マスカルが見つける前に、グレナンデが見つけた。先ほど、雷撃で落とした岩を示し、別のロープを結んで来るよう指示をした。
マスカルは自分のロープを持ち、房を作って闇の中でうろつく獣を指した。
グレナンデは黙って頷き、自分は手近な小石を集め始めた。
あまりにも短い指示の意図をマスカルなりに理解し、マスカルは三度目の羽を纏わせながら素早く実行に移した。岩の上へ飛び降り、片付けきれていない荷物の中から残り少ないロープを引っ掴み、岩へ十字に回して結んだ。そして羽が消えかける中、岩へ繋がるロープを手に足場へ戻った。
足場へ戻ったマスカルは、壁に手を付けて深い溜息を吐いた。急いだあまり、息を忘れていた。
服の端を結んで袋状にし、集めた小石をそこへ入れると、グレナンデはマスカルを見上げた。
グレナンデの視線に気づいたマスカルは、落ちないように気を付けながらグレナンデを立たせ、二人してロープの先の岩を引き上げる。引き上げた岩を柱の上に置き、残ったロープの端を小さな房に結ぶ。その房にロープの途中を通す、引けば絞られる簡単な罠の出来上がりだ。
マスカルがロープに細工をしている中、グレナンデは集めた小石に呪文を囁き、ひと時の輝きを与えた。
グレナンデから小石を受け取ると、覗いていた隙間から闇の中へ投げ込んだ。間髪入れず横の板、一番大きく見えていた隙間へ体を捻じ込む。板の上に体が乗った所で、自分の目測よりも隙間が大きかったことに安堵した。四度目の羽を纏わせながら、マスカルは闇と声の中に身を投じた。
先に放り込んでいた石のお陰で、さっきよりも様子が分かる。目星は付けていた。一番近い所でしていた声、そいつは一匹だけのはずだ。
金属光沢が光を反射する。
一匹の鼻先が見えた。
その横から、音もなく一匹の犬歯が反射する。
踵を返す暇もない。
咄嗟に横から現れた一匹の首にロープを掛け、目指していた一匹の顔を踏みつけて背後、来た方向へ跳んだ。宙を舞う最中、足元の光が消える。
上から覗いていたグレナンデは固唾を飲んで見守っていた。
マスカルの足元の光で、足取りは分かった。その先に現れた一匹にロープを掛け、足元の光が消える。
グレナンデは柱の上に置いていた岩を強打し、板の前へ叩き落すと自身は岩肌へ張り付くように下がった。そのすぐ前をロープが走る。同時に甲高い声が近くまで駆け上がり、グレナンデの隣で衝撃が走った。
想定はしていたが、あまりの衝撃に耳を塞いでも全身が痺れるようだった。
闇の中、甲高い声が凄まじい勢いで頭上を抜けていった。
グレナンデが上手くやったらしい。
板の内側から見ると、隙間の大きさがよく分かる。自分が入ってきた隙間から、繋がるロープが見えている。このロープは長いから手繰っている間に犬歯が自分の首に突き立てられるのだろう。
投げ込んだ石の光を反射しながら、四本の脚がマスカルへ向かってくるのが見える。
マスカルは一息吐いて、土を払い、自分のロープを握り直して五度目の羽を纏った。
身を屈め、跳ね上がると入ってきた隙間へ再び体を捻じ込み光の中へ飛び降りる。自分達の荷物と馬を確認し、板の前に出たことを安堵した。
自分のベルトに繋がっているロープを引くと、難なく板の上から滑り落ちて来た。残りはグレナンデの隣に伝っていた。グレナンデは隙間に手を突っ込み、何かを板の前へ放り投げたところだった。
グレナンデの放り投げたそれはロープに繋がれ、その一方は先ほどの岩に繋がっていた。
「上出来だな」
ベルトのロープを切り、足に羽を纏ったグレナンデを眺めながらマスカルは呟いた。
ナイフとロープを手に、グレナンデは眉を跳ね上げた。
「貴方に魔法を使わせたのだから、減点よ」
グレナンデのロープを外しながら、マスカルは再び溜息を吐いた。
「使わないと覚えない、忘れる」
頭上の声、これ以上顔を反らしようがないのに、グレナンデは顔を背けた。何が不満なのかマスカルには分からないが、グレナンデが拗ねるのは面白いので止めるつもりはない。
板の向こう側から引っ張り上げたそれは、微動だにしない。
しかも脚が一本減っている。
グレナンデが言うには、引き上げる際にぶつかった衝撃で千切れ、柱と板の隙間に引っかかったらしい。
「脚が足りなくても鑑定できるでしょう」
動く様子も無いが、念のため脚を二本ロープで結び、グレナンデはそのまま鑑定を始めた。
グレナンデと三本脚を傍目に、マスカルは鎧を着始めた。半分も終わらない内に、グレナンデが荷物の傍で座り込み荷物から瓶を一本引っ張り出した。酒瓶ではない、気力を取り戻すための飲料だ。他人の目には見えないが、短時間に酷く消耗しているはずだ。
グレナンデの無言の圧力に押され、マスカルは急いだ。
「鑑定は終わったのか?」
マスカルの質問に、グレナンデは黙って三本脚の頭を指した。
マスカルが三本脚の頭を見ると、額と思しき部分に円形の模様があった。マスカルに見覚えはない。
「ツァコ神の古い模様を反転したもの。どこかに反転する前の模様があるはず、坑道の奥」
古い、しかも呪詛に用いたツァコ神の模様だとグレナンデは語った。呪詛であること、術そのものの完成度が低かった事から今は使用されることも無い。復活と共に激痛をもたらす呪詛の為、無機物へ掛けられることで兵器にした例もあるが、呪詛の成功率も低く無機物へは尚更低い。兵器としては労力が掛かり過ぎるし、解呪の類で簡単に解けてしまう。板の向こうが坑道、見た目の材質からこの地域で良く採れていた鉱物だと推測できる。
「今残っている呪詛の方が効率的」
効率的な呪詛というのも嫌だ、がマスカルにはツァコ神の呪詛を掛けられた覚えがあるため閉口した。
決まった場所を通ると必ず転ぶという呪詛だった。呪詛を掛ける前から宣言されていても、嫌なものは嫌だったし、拒否権などなかった。「呪詛に抵抗してもいい」は決して拒否権ではないと伝える度に、別の呪詛を提案された時期を思い出した。
もしかして、ピアスの片方を取られているのは、その延長上なのかもしれない。
「とりあえず、解呪しておきましょうか」
「是非そうしてくれ」
マスカルは力強く応えた。