非現実的な現実主義者
01
その日、ファラッドは珍しく旨くもない安物の酒を片手に風呂から出た。
熱いシャワーを浴びながら、水滴が入らないように酒瓶へ口をつけて飲み干す。
浴室の熱気でぬるくなった酒はやけに脳髄を蕩けさせた。
自室、部屋には誰にもいない。
しかるに、誰にも気兼ねすることはない。
ファラッドは体を拭った、その純白のタオルを一瞥してから放り投げた。
タオルは上手く洗濯籠へ落ち、ファラッドを笑わせた。
短い髪を乱暴に拭き、こちらも投げようとした時に電話が鳴った。
電話の音を確認し、冷蔵庫から冷たい安物の酒を二本取り出してからファラッドは電話に出た。
『もしもし?』
聞き覚えのある、一時期は嫌になるほど聞いた声が電話によって妙な音に変換されていた。
「なんだ、お前か。
珍しい、飲むんなら先に言ってくれよ。
もう飲んじまってるよ」
ファラッドは電話の相手が酒を飲みに誘ってきたのだと思った。
表面上、仕事上、一緒に飲むことはできないが、昔からの友人は寂しい時に誘ってきた。
そんな時は朝まで何軒もバーを梯子して飲み歩いたり、一軒の屋台につまらないオセロを持ち込んで延々続けた。
「いや。違うんだ、今日は頼みごとがあってだな」
言いくぐもる相手にファラッドは酔った勢いで冗談を言ってみた。
「なんだ? 部屋へお誘いか~?
迎えに来てくれるんだろうな」
『今、部屋の下の車で待ってる』
思わず窓の方を振り向いたファラッドの頭から白いタオルが落ちた。
水滴と酒気をまとったファラッドは慌てず、騒がず、冷静に通話を切った。
瓶に残った液体を嚥下し、服を着て部屋から文字通り飛び出した。
車の屋根に飛び降りたファラッドは運転席で電話を片付ける男へ手を振った。
首元に傷がある男は屋根に飛び降りてきた男へ手を振り返した。
「風呂上りなんだ、さっさと入れろ」
強化ガラスの窓ガラスを叩きながら、ファラッドは片目で男へ合図した。
***
濡れた髪に手をやり、ファラッドは考えた。
今日は酒を飲んでくるべきではなかった、と。
隣で運転をしているカロルはやけに鋭い目つきをしている。
バックミラーに映る後続車が気に入らないらしい。
職業柄、背後につかれるのはファラッドも嫌いだった。
「つけられちゃいないだろ?」
ただ方向が似ている、それだけだ。
「それでも困るんだ」
どうやら、カロルは今の状況を良く思っていないようだ。
それもそうだ。
時刻は深夜、方向は郊外、車内は男二人、運転しているのはカロル。
良いことといえば、二人の人相が親しみやすいものではなく、例え検問があったとしてもカロルの手帳一つで通過させてくれることだ。
片目の男と、首元に傷がある男では目立ち過ぎるのだが、カロルの手帳にはそれを忘れさせられるだけの効果があった。
「それで、本当にお前の部屋に俺は行かなきゃならんのか?」
その必要がないことをファラッドは分かっていた。
なぜなら、カロルの部屋はとうに通り過ぎている。
ファラッドが知らないカロルの部屋があるのなら別だが、カロルがファラッドを部屋へ誘う意味がない。
「いや、部屋じゃなく家だ。
俺のじゃなく、俺のじゃなく……」
「誰のだ?」
車のハンドルを握りつぶす勢いのカロル。
一体何が彼にそうさせるのか、ファラッドは彼の上司を疑った。
そして最後に自分の上司を疑った。
「演習場の家なんだ」
カロルが何故それほどに悩むのか、ファラッドには理解できなかった。
演習場の家というのは住むための家ではない。
むしろ破壊するための家だ。
屋内にいる相手へ突撃をする時の練習などに使用するための家だ。
目的の為、新たに外壁だけの家を建てたりもするが、安く売られている家を買い取る場合もある。
住居としての機能はもう必要がない、そんな場所に何故カロルはファラッドを連れて行くのか。
ファラッドには嫌な予想があった。
それは彼の上司の所為だった。
***
「これは、また立派な……」
ファラッドは思わず漏らした。
カロルが連れてきた場所は郊外の家、屋敷にもとれるほど大きな物だった。
既に持ち主が去って久しいのか、外壁を伝う蔓が無駄に古めかしさを醸し出していた。
出入り口には鉄の扉。
車では入れないので、カロルが扉の鍵を開けて二人は中へと入っていった。
「凄いのか?」
カロルはファラッドに問いかけた。
カロルは何度かこの演習場へ来ている。
他の演習場と同じく、特別な感情も感想も抱かなかった。
「凄いな。
ここの噂は聞いていたが、想像とは全く違う」
ファラッドは思わず顔をしかめた。
そして目の前を通り過ぎて行ったものに軽く吐き気を覚えた。
「ここ、演習中に何人が倒れた?」
「演習は少し先だ。下見に来た連中が六人吐いて、三人が現在病院だ」
「だろうな」
ファラッドの閉じた目には、廊下で自分の首を抱えた少女が映っていた。
**
カロルが嫌がっていたのは演習目的で演習場に来たのに、目的を達成する前に倒れられることだった。
しかも、それがカロルにとっては受け入れたくないが受け入れなくてはいけない非現実的存在となれば尚更だった。
認めたくはないが、カロルの職場には非現実的存在を処理するための専門家もいる。
その専門家自体が非現実的だとカロルは思っていた。
それでも頼らなければならない時もあった。
しかし、今はその時ではない。
「内部の連中に知られる訳にはいかんのだ」
信じたくはないが、内通者がいる可能性がある。カロルは嫌そうに言った。
だったら、部外者のファラッドには更に知られたくないのではないだろうか、ファラッドは今夜の事を忘れる酒の準備をしていた。
「俺の、上司は……早急にこの演習場の利用を求めている。
今回の事態を早急に片付けるよう、下請けにオロセと」
その下請けは、もしかして口が堅くて、冷静に、早急に、周知されることなく、少人数で仕事を完璧にこなしてしまう、俺が所属する事務所じゃあるまいな?
冷静に、早急に、周知されることなく仕事を完璧にこなしてしまう所長のおかげで、下請けのくせに睨まれている。
そして、一番の問題はカロルが下請け事務所の所長が苦手だということだ。
カロルの性格からして所長に仕事の依頼など、ファラッドに土下座をしてでもしたくないはずだ。
「あぁ、俺の友人からってことで言っておく」
「頼んだぞ」
お互いに、多少なりとも無駄だとは感じながら答えた。