非現実的な現実主義者
04




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小さな女の悲鳴を確認し、降り注ぐガラス片の中カロルが手を振った。
ファラッドは振り返り、一二三はちゃんとした拳銃を抜いた。

「どこぞのカツラ女か。銃口を向ける相手を間違えるな」

「俺の上司だ! 妙なあだ名を付けないでくれないか」

カロルは、それでも銃を納めず自分の上司ではなく、ファラッドと一二三の上司を見た。
体を振るい、ガラス片を落とした一二三は手に平に収めていた銃を仕舞った。
代わりにファラッドが銃を抜き直し、手を振るフレイに向けた。

「わざわざ付いてきたのかお前の上司様は」

溜息を吐くファラッドに、カロルは項垂れた。
その表情には疲労が見え隠れする。

「ちゃんと戻して来いと言ったはずだ」

常に上から目線の上司様はファラッドと一二三を叱責した。
小さく指を上げ、小さく下す。
それだけで一二三は銃を仕舞い、ファラッドは銃口を地面へ向けた。

「ちゃんと入ってた車に戻してきましたよ、俺は」

ファラッドは主張した。

「入りにくそうだったので、親切に肩と足の関節を外してあげたんですよ~」

一二三は両手を握ったり開いたりしながら主張した。

「お前らなぁ!」

カロルは思わず声を上げた。

「金属ノリでふたをしておけ。
徹底していないから、どこぞのカツラ女が出てきたんだ」

溜息を一つ、自分は何もしていない事を完全に棚に上げて見下した。
口さえ開かなければその立ち振る舞いまで優雅な、それでいて冷たい美なのに、
一度口を開けば毒をまき散らす禍だ。

薬にするには危うい毒草はかくも周囲を魅せつける。

「だから、この人はヅラじゃない!」

必死に反論するカロルに、フレイは何かが違うと感じながらも肯定した。
ファラッドは素早く、だがそうは思わせない動きでカロルの傍を離れた。
一二三はファラッドと上司の間に滑り込み、ファラッドの肩口に額を当てた。

「あぁやって必死に否定するのが怪しいと思いません? 所長」

「必死に否定すればするほど怪しいな。逆に肯定しているのと同じだ。
どう思う? ファラッド」

「いや、俺としては部分なのか全部なのか、その方が。
賭けるか? 一二三」

下請け事務所で揃って、聞こえるように話す。
カロルは額に血管を浮かび上がらせながら、三人に大股で歩み寄った。

「いい加減にしろ! お前らは!」

ファラッドに掴みかかったカロルは、にじり寄るフリをして内輪に入り込む。
額を押し当て、怒りを見せるフリをしながら、ファラッドは小声で言った。

「俺は部分に十賭ける」

「俺も部分に七だ」

「私は全部に九で」

「部分が二人もいたんじゃ賭けにならん。
割合も聞いておこう」

カロルも、その実は上司を疑っていた。

カロルも、その上司のフレイも、それは本名ではない。
ただ、名前がなければ不便だからと使用しているだけの記号のようなものだ。
それだけで十分だ。

それなのに、たかが記号に振り回され、
あまつさえカツラの嫌疑すら持たれているとフレイ本人は知らない。

フレイと名乗るのを決めたのは本人だった。
確かに、神話上のフレイは髪の毛を全て切り払われてしまうが、その美貌を否定されてはいない。
自分の容姿に絶対的な自信があるからこそ名乗ったその名が、まさか裏目に出るとは思ってもいなかった。

「そうだな、三割」

カロルはフレイに見えない位置で指を三本示した。
部下までもがカツラだと疑っているとは夢にも思っていない。

「俺は七割」

ファラッドは上司に頷き、上司も頷いた。

それを確認したカロルはわざと大きくファラッドを突き離し、一二三へぶつけた。
よろけたフリをし、掴まれていた襟を正すだけで十分だった。
カロルはフレイを振り返り、割れた窓を更に割り、家の中に戻った。

「何故、ここへ?」

落ちている小型拳銃を拾い上げ、壊れた部分を確かめて自分のポケットへ滑り込ませた。
フレイに持たせまいというカロルの気遣いだったが、不機嫌にさせただけとなる。

「ここは、私の現場よ。
銃を返しなさい」

カロルは黙って、自分の予備拳銃を渡した。
重さも大きさも違う銃を睨みながら、フレイはそれを受け取った。

「現場の指揮は私がとります。
早く、彼らを呼びなさい」

フレイが言葉を切る前に、一二三がハードルを飛び越えるように窓から飛び込んだ。
入った瞬間に広げた腕でフレイの首を引っかけて倒した。
床に打ち付けられ、跳ね上がった肩に足を置き、一二三は子供のような笑みを向ける。

「うるさい。私の上司は一人なの」

窓に手を掛けたファラッドは小さく口笛を吹く。

「今日は、えらく上司様にかまってちゃん、だな」

一二三は、ある種上司を崇拝しているのを知っている。
それは、子供が親や強打に甘えるのに似ている感情だとも聞いていた。
フレイに対して、何かが気に食わないらしい一二三の表情は、いつもと変わらない。
ただ無邪気だった。

フレイは痛みに顔を歪めた。
そして、ネイルが剥げるのも気にせず床を掻き、体を捩じった。

「現場の指揮官は、私よ」

必死に、フレイは声を上げた。
その頬に一線の赤が入る。

銃弾は床へとめり込み、厚い床板の途中で止まった。

「何度も言わせないでよ。
私の上司は一人なの」

軽く足を上げた一二三は、再度振り下ろそうとしたが、
フレイに触れる前にカロルが引き起こした。
顔面を潰されるより脱臼の方がマシだと信じてもらいたかった。

「一二三、労力の無駄だ。床を踏み抜くなよ」

「ふぁあーいっ」

気の抜けた返事をして、一二三は踵を返した。
銃弾の無駄遣いをしてしまった、と減給大好きな上司の顔を見て思い出したが、消耗品は殆ど実費だった。

確かめなくても分かる銃弾の数を視認して、追加した。

「もう大丈夫よ。一人で立てる!」

喚くフレイをカロルが抑える。
一人で立てる、と言い張るフレイの足取りは危うい。
カロルの腕を突き離し、その拍子によろめいて銃弾の穴にヒールを引っかけた。

ヒールはこれまでの疲労と瞬間的にかかった力学的作用により接合部分から外れた。
足首まで折る前にファラッドが掬うにフレイを抱き上げた。

「あらあら、お姫様~」

一二三が指先で自分の唇に触れ、目尻を下げて笑った。
同じように笑おうとしたファラッドは、フレイを放り投げてその場から飛び退いた。

ファラッドはどちら側に逃げればいいのか分からなかった。
元・同僚のカロルと放り投げたフレイ側。
現・同僚の一二三と上司側。

一瞬視界に入った窓の外へとファラッドは飛び出した。

「どうした? ファラッド」

フレイを上下逆さまに受け止めたカロルはファラッドへ叫んだ。

「どーしたの~ぉ? ファーラッドー。
敵前逃亡したら前からも撃っちゃうからね~?」

冗談めかして一二三は拳銃をチラつかせた。
だが、ファラッドにはその冗談に付き合う余裕は無かった。

ファラッドの視界にわずかに入った銃弾の穴。
そこから滲み出てくるものにファラッドはフレイを放り投げて、その場から逃げ出した。
そうしなければ自分の精神が保てないと本能的に理解したからだ。

「そこ、そこ、そこ!」

「大丈夫か? ファラッド」

窓の外にフレイを立たせ、カロルはファラッドへ駆け寄った。
一二三も窓の枠に足を乗せて、膝に手を乗せた。

一二三は上司を振り向き、黙って小さく一度頷いた。
あれだから疑われるんだ、と。
上司は小さく溜息を吐いて、ファラッドへ顔を向けた。

「ファラッド、どこだ?」

「した、した、した!」

一二三はきっかけになったと思われる穴に刺さったヒールの先を蹴とばした。
銃弾のめり込んだ穴は、ヒールによって貫通していたようで、金属面は見えなくなっていた。
代わりに黒が占めていた。

「この穴?」

一二三が窓越しに声を掛けたが、ファラッドは首を大きく何度も振った。

「違う、違う。
全部、全部、ぜんぶ!!」


フレイ以上に喚き始めたファラッドを上司と一二三が力強く説得した。
沈黙したファラッドは、うずくまり、しばらく地面と会話をしているようだった。
カロルが甲斐甲斐しく世話をしている間に、下請け業者は仕事を開始した。

持ってきていた内視鏡のスコープは床の穴に入らず、まずドリルで穴を大きくすることから始まった。

充電式のドリルを片手に、一二三を内視鏡に接続したパソコンの確認をさせた。
防塵マスクと防護眼鏡を掛けて、簡易エプロンを装備すると少しだけ嬉しそうに見えるのは何故か分からなかった。
一二三とフレイが共同で開けた穴の横に、スコープが入る大きさの穴を開けた。

床のささくれを払い、スコープを中へ押し込んだ。

「しょーちょー。見えな~い」

内視鏡を接続しているパソコンの画面を覗き込んだ。
確かに、わずかに凹凸が確認できたが、画面の殆どは暗闇を写していた。

「替われ。光量が足りないんだ、ライトを入れろ」

一二三が最初の穴にペンライトを突っ込んだ途端、ファラッドが潰れたような悲鳴を上げた。

「ぅぎゃぃ」

「うるさい。もっぱつ食らう?」

同僚の有難い言葉をもらい、ファラッドはジリジリと顔を上げた。
その顔は蒼白で熱くもないのに腹を押さえて汗をかいていた。

「そこの相思相愛、車にカツラを放り込んどけ」

火のないところに爆弾を投げ入れる上司様は冷たく命令をした。

「だから、誤解を招くようなセリフを吐くな!
何故だ?」

「撤収する。あと、この家での演習は諦めろ」

パソコンの画面を見つめ、目を細める。
ペンライトを固定し、パソコンへすり寄った一二三は思わず声を上げた。

「あーあ。確かに、これは、なんとも」

ファラッドから一旦離れ、一二三が向けたパソコンの画面を覗き込んだカロルは眉を寄せた。
ペンライトの僅かな光で見える。
画面の中には、白い全裸のマネキン、腐ったぬいぐるみ、針金で組まれた人形、
その下、明らかに人間と思われる骨があった。

古ぼけた人形と人間の骨は、光の端から端まで、続いていた。
奥の光の届かぬ場所まで延々と続いているように思われた。

下請け業者からの報告を受け取ったフレイは、カロルからの嘆願もあり演習所に予定していた家を解体することにした。

重機を使って外側から突き崩した。
一階より上の瓦礫を排除する時点で数多くの問題が上がった。
壁材の中に犬、猫、牛、馬、人間を問わず哺乳類の爪が練りこまれており、割れた部分から露出したそれらが作業員の服に引っ掛かった。

壊れた二階から滑り落ちてきたのは何枚もの毛皮。
女性用に仕立てられたそれらは何種類もの動物の皮からできており、斑だった。
それに顔を背ける作業員は一部だったが、ジャケット風に仕立てられたそれには全員が顔をそむけた。
長い毛もなく、ゴムのような触り心地のそれを、最初は合成皮のジャケットだと、唯一まともな物が出たぞと、笑った。
左肩部分にある、目と鼻と口の模様が作業員に似ていると分かるまで。

最後に一階部分を家の外側から打ち壊していくと、
事前に下請け事務所が報告していた通りのものが出てきた。

家の土台部分にコンクリートで埋められていた、それらは、玄関以外の全てにあった。

***

「誰があの家を買ったか、当ててやろうか?」

カロルの車で、揚げた細切りポテトを頬張りながらファラッドは聞いた。
後ろから伸びてきた手がファラッドの細切りポテトを引っ張り、マヨネーズソースへと突っ込んだ。

「当てて~」

炭酸飲料入りのカップにストローを突き刺し、口の周りをマヨネーズソースで汚した一二三が言う。
後部座席を占領している彼女の昼食には空のワインボトルが含まれていた。
赤、白、ロゼ、合計四本が空になっていた。

「管理室にあるデスクトップパソコン」

「まさか、ちゃんと利用者のIDがあった」

「売り出したのは十年以上前。でも、売りに来たのは十歳位の女の子。知ってるのはデスクトップパソコンだけ。カメラにも、紙面にも残ってない。残ってるのはデータだけだろ?」

「残念ながら、一つ違う。カメラの一台にだけ残ってた。パソコンに向かって自分の首を投げて遊んでたよ」

「わーお。死角なんて存在しないカメラ配置の部屋に一台だけ?」

一二三はひとしきり感心した後、新しい細切りポテトの箱を開けた。
香ばしい匂いに思わず腹が鳴る。
腹を鳴らしたカロルにファラッドは炭酸を抜いた元・炭酸入り飲料を渡した。
ただただ甘ったるいだけの飲料がファラッドは大好物だった。

チリソースを付けたポテトにフォークを付けた。
それだけで手を止めたファラッドは、一二三のマヨソースを付けたポテトと交換した。

「ケチャップは大好物なんだけどなー」

ファラッドは床下から滲み出た、何とも言えないイメージに溜息を吐いた。
穴が開いた途端に床下から大量の感情。
カロルと最初に訪れた時に見た少女は、自分の首を抱え、服を赤く染めながら笑っていた。
やけに艶めいていた蜘蛛は、解れるようになめされる前の皮膚に戻っていた。

地面の茶色と、草の緑がやけに美しかった。

「あぁ、なんにでも掛けてたな。牡蛎のトマトクリーム煮にぶち掛けた時はお前を疑ったがな」

「そうそう、ファラッドってピザにも掛けるよねーー。もちろんケチャップが先に塗ってありましたー」

「くっそー。この機会にトマト断ちするか?」

ファラッドがホールトマトに塩を掛けて食べたのは翌日になってからだった。

**

「ファラッド、おまえのトマト断ちは三日ももたないのか?」

風呂上りに全裸でトマトを齧っている姿をカロル共々発見した一二三は、上機嫌で翌日に上司へ報告した。

バツの悪い顔をしたファラッドから新聞へ視線を落とす。
募集欄には家屋の募集が続いていた。