非現実的な現実主義者
03




**

荷物で狭くなった車内に大人四人が詰め込まれていた。
ハンドルを握るファラッドの隣では一二三がラジオを弄り、
その後ろでカロルが電話をしていた。

「そうか、お前もか。
いや、仕方がない。こいつが悪いんだ」

電話口に向かってカロルは唇を噛みしめ、隣の涼しい顔を睨んだ。
通話を終えたカロルは深い溜息をついた。

「案内が他にいなかったんならそう言え」

「俺の言葉を先にとるな。
仕方がないだろう、今回の現場は特殊な場所に特殊な連中を放り込むんだ」

思わずカロルは拳を握っていた。
今なら、隣にあるこの小奇麗な顔を殴れる。
殴った代償が拳の痛みだけではない、そんな奴だが、思わず拳を握ってしまっていた。

「その特殊な連中にすがらなきゃいけない奴が、細かいことで文句を言うな。
お前が案内をすればいいだけの話だろう」

それが嫌でたまらなかったから、カロルは他に案内を出来る者を探した。
事前に探してはいたのだが見つからなかった。
そして、最後の頼みの綱に先ほど断られたのだった。

現場が、演習場でなく、弱い人間が立ち入れないような場所でなければ。
下請け事務所がここでなければ、せめて所長が同行しなければ。

一番の問題はこの涼しい顔で毒を吐く、毒以上に役立つのだから利用している。

「あぁ、そうさせてもらう」

観念したカロルは苦々しく吐き出した。

「やったあ! お昼はラザニア~」

一二三とファラッドは小さくガッツポーズをとった。
カロルは再度深い溜息をついた。

**

昼食と称して乗り付けたレストランで、カロルは甘ったるいカフェオレをすすった。
目の前ではラザニアを頬張る一二三と、ドリアにスプーンを突き立てたままクレームブリュレを叩き割っているファラッドがいる。

隣がやけ涼しいのか熱いのか、カロルには分からなかった。

「なんだ、握り飯もないのか? この店は」

どうしてレストランでわざわざ握り飯を探すのかカロルには検討もつかなかった。
しかし、邪推はできる。
ただの嫌味だ。

「カルボナーラで我慢するか」

「大人なら言わずに我慢できないんですか?
にがーい珈琲は飲むクセに」

カロルが言いたくても言えないことを一二三は言う。
内心、賞賛を送ったのはファラッドも同じだ。

「食べたい気分だったんだ。
お前ならこの店にラザニアがなければどうする?」

一二三は視線を左右に泳がせた後、フォークを振り回しながら答えた。

「回れ右して他の店を探します。
それか厨房に直談判しますよ、もちろんお土産付きで。
それでもダメなら入り口が四つ減りますね」

一二三の言う「お土産」というのはピンを引けば火薬に点火する玩具や、引き金を引けば金属製の球が飛び出す玩具だ。
店側にしてみれば一方的な、しかも理不尽な仕打ちに違いない。

「一二三それはやり過ぎだ。
二つにしておけ」

ファラッドも同意するのだから、この二人はメニューが気に入らなけば実行するのだろう。

「だから、文句を言うだけの方がまだ理性的だと思わないか」

「そうかもね。所長なら無言の内に実行しそうですもんね『珈琲が不味い』とかいう理由で」

珈琲が不味い、メニューが気に入らない、どちらも理不尽な言い分に違いない。
カロルは唯一の常識人として、いざとなったらこの店を買収する決心をした。

物騒な四人組の考えなどよそに熱いカルボナーラは笑顔の店員に運ばれてきた。

***

レストランを爆破することもなく、無事に会計を済ませて四人が辿り着いたのは、昨日ファラッドが案内された家だった。

夜と昼とでは見た目も違い、古めかしく見えた外壁も真新しく塗り替えられた物だと知れた。
ファラッドを案内した時と同じ足取りでカロルは三人を案内した。

昼の光で浮かび上がる廊下には嘔吐の形跡があった。
その場所で足を止め、カロルは見取り図を引っ張り出した。

「ここが下見に来た連中の限界だ。
奥には入っていない」

カロルが最初に部下へ教えることは撤退する勇気だった。
命は消耗品ではない。
それが最初で最後の教えになる時もある。
だが、その勇気で救われる時も多い。

「下らない。こんな入り口で半数が身動きもとれなくなったのか?」

「正直、驚いている」

反論できなかった。
玄関から入って正面の廊下、歩いて五分もかからない場所で、下見に来た部下は息も絶え絶えに救護要請を出した。

家に入った時間から考えて、連絡を取るのに十分以上かかっている。
たかだか一本の電話。
しかも、緊急の救護要請はボタン一つで済む。
ボタン一つを押すのに十分以上かかったのだった。

「あ~あ、なんか汚れが酷い」

一二三が零す。
それは最近廊下を汚した跡ではなく、奥へと続く廊下の先にある汚れだった。
一見、埃だらけの廊下の先に何かを見つけたようだった。

「あぁ、酷いだろ。でも夜よりはマシだ」

夜に見に来ていたファラッドは一二三の腕を引いた。
引かれるままに一二三はファラッドへ体を預け廊下を開けた。

「でもな、こんなのは居なかった」

ファラッドの言葉に三人の視線が開けられた空間へ集まった。
そこには汚れた廊下が写るだけだ。

ただファラッドには、やたらと艶のある蜘蛛が写っていた。

***

何が見えているのか、それが現実の物か、非現実的な視覚障害の為か、
ファラッドには分からない部分が多い。

気づけば見えていた、という人間ならある意味区切りをつけられるのだろうが、
ファラッドは最初から見えていたわけではない。
つい最近と呼ぶには古い、昔からというには新しい、そんな視覚だった。

余分な物を見ないように、ファラッドは片目を閉じた。

残る光を失った片目で今いる場所を必死に見回した。
先ほどまで光で見ていた世界とは一転し、闇に埋もれた世界では奇妙な蜘蛛が蠢いている。

**

ファラッドが片目の光を失った日も仕事の為だった。
それだけで済んだのだから、そう言い聞かせて仕事を続けた。
慣れればどうにでもなる、そう思っていたのに、その眼は許してくれない。

最初に見えたのは羽の生えた人間だった。
緊急の手術室で見えたその姿は、まさに天使だった。
それを口にすると今の上司は冷たく笑うのだが、カロルと一二三は泣いてくれた。
手術室で覆いかぶさってきたその天使は確かに目から入ってきて、いつの間にか脳内に住み着いているらしい。

目が覚めた時には、事務的な医者の説明を聞き、泣きそうな顔をしたカロルを見た。

「あぁ、そうか。じゃあ次の仕事にはいつ戻れる?」

俺の質問に医者は半年後を宣言した。
それまで待つつもりなど毛頭なかったが、黙って頷く。

その時、すでに見知っているはずの病室に妙な生物が見えていた。
生物と呼ぶにはおかしな形をしていたが、多分それが一番近い呼び方になる。
そんな症状もある事は知っていた、だからこそ無視を続けた。

問題になったのは仕事に戻ってから。
片目の距離感にもある程度慣れる為と、荷物を取りに事務所へ入った時だ。
病院から付き添ってくれていたカロルの肩を借りて、再び病院へと入ることになる。
緊急治療がやけに多い病院、それよりも性質の悪い生物が天井から床まで蠢いていた。

更に酷かったのは仕事現場だった。
光を閉ざしてしまえば、より明確に見えた。

「俺はな、自分がかなーり図太い人間だって思ってたんだが」

「知ってる。お前の図太さは折り紙つきだ」

カロルと昼の公園でアイスクリームを食べながら気分転換をしてはみたものの、仕事への復帰はできなかった。

「さて、辞めたら何をしよう」

***

カロルがファラッドへ下請け事務所の話をもってきたのは、
ファラッドが仕事を辞めた翌日だった。

非常に苦い顔をしていたカロルに運転を任せ、ファラッドも苦い顔をした。
事務所長は以前から知っていたし、事務所の仕事も知っていた。
正直に言って、断るつもりだった。

「募集は年中しているが、役に立たなければ減給かクビにするぞ」

事務所近くの喫茶店で、いつまでも眺めていたくなる人物が語った。
給料は良かった。
以前よりは少ないが、生活していくには十分過ぎる金額。
それと釣り合うように危険な下請け仕事。

ファラッド達がしないような、面倒で部外に多少は漏らしてもいい仕事を請け負っているのだから当然だった。
それだけではなく、この形の良い口から出る言葉は全てが毒のような上司。

「履歴書に写真でも貼って持って来ればいいんですか?」

他人に書かれたことはあっても自分で書いたことはない。
今の上司は、その場にあった紙タオルに書かせてくれた。

「もう一人には領収書の裏に書かせた」

名前と住所が書き込まれた紙タオルを振り、事務所への所属を許可された。
その時のカロルの顔が今でも忘れられない。
呆れているとか、怒っているとか、悩んでいるとか、そういった感情を全て混ぜ込んだような顔だった。

「いいのか?」

自分でもってきたのに、カロルは帰りの車内で聞いた。

「あぁ」

自分勝手で、扱い難さは俺が知る中で三本の指に入った。
口さえ開かなければ、ずっと傍に置いておきたいという点においては最高の存在だ。
何をするにしても自信に満ち、その情報収集能力も他に並ぶものはない。

なにより、奇妙な生物さえ身を引く、そんな魅力に引き付けられた。

***

「状況は?」

片目を閉じて周囲を見回しているファラッドに、安全圏を作り出している張本人が問いかけた。
このファラッド専用安全圏創造者がいなければ、ファラッドはこの家に長居はできない。

「ひでぇ状況ですよ。俺、吐いても?」

「拳が必要なら一二三が提供してくれるらしいが?」

弱音を吐いたファラッドは、実際に口から胃液を吐き出す前に一二三から離れた。
にこやかに拳を握る一二三は、その気が無い相手からでも胃の内容物を引き出すことができる。

「やめとく」

仕方なく、何と言われようとファラッドはカロルの肩を借りた。
黙ってその巨体を貸してくれるカロルだけが、心配そうだった。

同僚は拳を構え、上司は冷たい目で見下している。
元・相棒だけが物理的に支えてくれている。
この状況で、立っているだけでもファラッドには奇跡だった。

目の前の艶めいている蜘蛛が吐き気を誘う。

まともな現場で仕事をしていなかったファラッドだったが、
目の前で蠢いている生物たちを見てからは、
少しはまともだったのではないかと思えてきた。

「少し、外に出てもいいっですか?」

裏返る声に、一二三が応じた。
窓ガラスを弾丸で叩き割り、ファラッドを引き連れて自分も窓から飛び出した。
それに二人が続く。

派手に割られた窓ガラスが靴裏で更に割られた。
口を押え、手元の銃に手をかけた。
一二三を睨みつけ、ファラッドはガラス片に反射する二つの銃口を確認した。
一つは一二三が持つ、手の平にすっぽりと収まるサイズの暗殺用拳銃。
もう一つは、両手でこちらに向けられた拳銃。

まさにお手本そのものの構え方。
威嚇に二発の銃声。

ファラッドの左右から、時間差がある。

カロルと一二三だ。
威嚇とはいえ、どちらも実弾だ。
当たれば痛い。

「きゃっ」