レッツ採掘!~題名に意味はありません~

2.確率



今は昔、生命と排斥の女神ティリアイと、豊穣と落雷の女神スィリアイが信仰されていた。土地に根付いた神様で子供が生まれると祝福を授け、死人が出ると祝福を授け新たな道を酒で洗った。

 それがいつしか名を変え、姿を変え、性質を変え、呑まれ呑まれて今では数十の神の元となった。

 最も色濃く昔を残す神の一柱・豊穣の女神ティリティア。一時期、女神が混同され混ぜ捏ねられて都合よく作られた神のそれである。

 一柱・太陽の男神ケティパス。スィリアイの落雷の女神の部分が誇張され、その稲光が太陽の破片とする信仰の主神。スィリアイだったのが征服者の手により男神に変わり、主神に座するまでとなった。

 一柱・誕生(卵)の神ツァコ。生命の誕生と繁栄、無限の可能性を持つ幼い中性神だが、一般的には成人したての男神として表わされる事が多い。現在の最大規模の宗教における最高神である。

 一柱・争いと戦いの女神リーリアリ。その性格から多くの信者を集めることができない小規模宗教だ。その前身がツァコと同一であると知る者は少ない。

 その女神リーリアリを崇めるリーニァク教は、戦いこそが最大の捧げものとして今日も肉体を鍛え抜く。例えその行為がほとんど趣味だとしても、捧げる。ただヒタスラニ。







「叩け! 叩け! 叩け!」

 怒声が掻き消えてしまいそうなほど、金属を叩く音がする。金槌と土台に挟まれた板が伸びていく。熱気に包まれ、持ちあげられ何度も形を確認される。

あれは、銀光する百足だった。百足といっても本物の虫じゃない、金属の脈。私にはあれが何て名前の金属か分からないし、特に知りたいとも思わない。単純に、その金属が軽くて丈夫な鎧になると分かり自分で着られるとなると嬉しかった。それだけだ。

今は、胸に当たる部分が打たれているのが見える。早く出来上がらないか連日鍛冶場に見に来ている。炉の熱気なのか、鍛冶屋の熱気なのか、頬は火照り、恍惚として覗いている。

「それほどに楽しみですか?」

 耳元で声がした。確かに聞こえたが、頭には伝わらない。それ程に魅入っている。自覚しているが、もう何が何だか分からないくらい、心は宙を彷徨っていた。

「明日には出来上がるそうですよ?」

 明日か…。最後の合わせに入るのか、ちょっと厚手の服を着てサイズを誤魔化さなきゃ、胸が無いのがばれる。それに少しだけ擦れると痛いし。背中とのつなぎが柔らかいといいな。柔らかいけど、弾力が十分で動いてもずれにくいともっといいな。

 固い物が頭に当たった。

 急に地に足が付き、現実に引き戻されてひどく驚いた。今まではどうしていたんだ、何があったんだ? と周りを見回す。不機嫌そうな眼鏡がそこにいた。

「夢は夜に見るものですよ。それとも新しい恋人がそれ程待ち遠しいのですか? 貴女の昔の恋人はあの炉の中で身を焦がさんばかりに悶えているのに」

 私の頭を叩いたのであろう、所々に鉄で模様を描く分厚い本で鍛冶場の奥を示した。確かに、そこには以前着用していた元・鎧が原型も留めず溶けて、陽炎を創り出している。まるで蛤が蜃気楼を吐き出すかのように。

「所詮は古着のように捨てるのですね『新しい方が好いわ』とか言いながら」

 眼鏡が意地悪く笑った。

 その眼鏡に自分が映る。なんて言い返してやろうか、と拳を握るいたいけな少女。いつもあんたより重い物を背負って筋肉アリアリよ、顎に当ててのけぞらせるなんて簡単なんだから。

「あの女のように…『やっぱり男は体力なくっちゃ』とか言い出す日がくるんでしょうかね? 貴女のような方は」

 鼻で笑った。でも、眼鏡からは涙が滝のようにこぼれ始めた。

 そこでようやく、この眼鏡の意地悪の真相が分かった気がした。怒りに握られた拳を腕にしまい、腕組みをする。呆れてため息が出た。

「今度は誰にフラレタの?」

「色黒エルフの弓使い」

 この男は…。町を出歩くと新しく出会い、発つまでに必ずフラレテくる。なんとも旅人らしい性質を持っているらしい。

 私の鎧を作ってもらう為にしばらく滞在しているが、既に五回目の失恋である。恋多きことは、別れ多きことであると体現してくれている。いらん事を。

「いいじゃないの。明日調整が終わったらここも発つんだし。ね?」

 なぜ私が慰めなくてはいけない? しかも頭を叩いてきた眼鏡何ぞを。殴り飛ばして一切合財を消去してくれれば助かるのだが、さっぱりと忘れてくれた記憶はない。なかなか都合よくないのが現実だ。

「その前に心の調節が済んだら良いのですがね。いえ、済ませます」

 落涙の笑顔でそんな事を言われても、全く説得力がない。砂漠に水草が繁茂し過ぎて魚がぷかぷかそこいら中で浮いていると言われるくらいに、説得力がない。虎が黒と黄色に分かれているが、子供は三毛だと言われているのと同じくらい。

「きっとよ」

 きっと明日には新しい片思いを見つけているだろう、きっと。そうでもないと旅は続けられない。続けられないならここにはいない。

「えぇきっと」

 涙に曇る眼鏡をおさえながら、眼鏡は決心した。もうフラレルような恋はしないと。



**



 眼鏡の決心は無駄ではなかったらしく、翌日にはすっかり立ち直っていた。

「世界の半分は女性ですからね」

 などと言いながら、二日酔いの頭をおさえた。それ程強いわけでもない地酒を浴びるほど飲んでいたのだからしようがない。これから支障が出なければそれで良い、所詮は後衛よ。

「前にも聞いた台詞だなー」

 嬉しさ半分、寂しさ半分で新たな鎧を体に当てる。新しいなめし皮が金属と服の間で体を保護する、まだ薬臭さが抜けきっていない皮は硬い。使いこめば丁度良い柔らかさになるが、それは大分先だ。

 前と後ろを繋ぐ紐がわきの下で交差する。何度か固く締められ、コルセットで死んだ貴婦人の気持ちがよく分かる。しかもまだ新しくて体に馴染んでいない。薬臭さと締め付けで口から何か出て行ってしまいそうだった、清く美しい魂は天国で楽しげに暮らすのだろうが、今はまだその時ではない。まだ生に執着がある。

「さぁもっと強く締め上げて!」

 眼鏡が、苦しくて青くなる私の横で紐を調整するオッチャンに声を張る。その長年連れ添っている眼鏡の命日は今日だ、眼鏡よ。動けるようになった暁には、首を締め上げてやる。

 紐を調整するオッチャンは無理に締め上げもせず、これから馴染むであろうなめし皮を考慮しそこそこの苦しさを残して調節を終えた。ただ、胸元だけは余裕があった事は誰にも言えない。そこだって将来満たされるはず、そして苦しいと思えるハズ…。

 そして代金の残りを払い貧乏と自由の身になった私には、眼鏡を奪いあたふたさせるという使命があった。鏡を前に胸躍らせる事も今は昔のことのように思える、夢を糧に成長する時期は過ぎたのだ。以前より軽くなった鎧のおかげで、動きが素早くなった(当人比)私は、紐を調節し終わり余分な分を切っている間に逃走した眼鏡を、難なく捕えた。多少は暴れると想像していたが、それもなく拍子抜けした。

「見て下さいよ。面白そうなことやってますよ」

 指さす方を見ると、マーケットらしきテントを設営した所で二人を囲んで人垣ができている。

「昨日もやってましたね。サイコロの賭け事、時に金銭だけでなく人生を賭ける危険な遊び」

「どこが面白いのよ? それが逃げた言い訳なら面白くない」

 指をパキパキとならして警告音を立てるが、眼鏡はそれを制した。殴られるなんて考えていないような顔で、やはり人垣の奥を促す。

 男二人が小さなテーブルとサイコロ二つで争っている。それは昨日も見た、気がするがよく覚えていない。

 違うといえば、昨日は大勝していた大男が汗を流しているのと、今までの豪快な笑い声と戦利品が手元に無いことだ。

 それに対して、今日の対戦相手は余裕の笑みを浮かべ、足元に置かれた大男からはぎ取ったと思しき品々の上に座っている。見た目からして二十代の後半といったところか。決してごついわけではない身体は、当然大男と比べると細い。

「さぁて、もう一勝負といこうか」

 大男が大量の汗を流しながら、指を一本立てた。

「かまわん。さぁダイスを振れ」

 大男が机の上のサイコロをひっ捕まえ、乱暴にカップの中に放り込んだ。

「ぁ」

 一瞬だが、ポケットの中に手を入れた。それでサイコロを入れ替えたのかどうかは判断できないが、大男は確かにポケットの中に手を入れた。

「奇数だ」

 大男がニタリと気味悪く笑った。底意地の悪そうな余裕のある、昨日までと同じ笑みだ。それが、さっきの行為の証明のように見える。これで奇数なら大男はサイコロを入れ替えたのだ。

「偶数」

 相手の男は全く判らなかったのか、それとも自分の運に余程の自信があるのか先程と変わらぬ様子で勝負に出る。

「どうしました? 気になりますか彼の行く末」

 眼鏡にもわかっているハズだが、面白そうに場を眺めているだけだ。この男にとって面白いは益になるかどうか、それだけが興味の対象であって、他者がどうなるか等というのは全く別次元の問題なのだ。瀕死の病人の前でも算盤を弾きそうな人間だ。だから、私と一緒にいるわけだが。

「別に。あの荷が金貨に替わったら欲しいわね」

 今の貧乏からは直ぐに解放されるくらいの金貨にはなりそうだ。



**



 カップが机に振り下ろされた。上げられたカップの下は、

「二と五で奇数だ。俺の勝ちだ」

 大男の宣言通り、奇数となった。しかし相手の男は未だ余裕の笑いを崩さないばかりか、サイコロの一つを摘みあげた。

「いや、お前の負けだ」

 人差し指と親指でサイコロを摘み、力をかけていく。サイコロにヒビが入ると縦にずれた。

 割れたサイコロの中に黒い重りが入っていた。

「まともな勝負を捨てたお前の負けだ」

 大男の鼻先に証拠のサイコロを突きつける。しかし、大男はここぞとばかりに声を張り上げる。

「これはお前が用意したサイコロだ! てめぇがまともな勝負をしてなかったんじゃねぇか!」

 そうだろう! と周りに声を掛けて群衆を仲間に引きずり込む。それに付和雷同して人垣が更に集まり、騒ぎ出す。大男の仲間だろう桜が喚き出す。

「ダイスの片方に細工をしても関係ないことを知らんのかお前は」

「あ?」

 これには大男が驚き、つられて騒ぎが収まる。

「片方を偶数にでるように細工しても、もう片方が奇数なら奇数。偶数なら偶数になっちまう。奇数にでるようにしても同じだ」

 明らかに息を呑む。細工がばれている上に、それが群衆に露呈した。

「俺がやるなら両方のダイスに細工するが…俺のダイスを返してもらおうか」

 残されたダイスを摘み上げる。今度はヒビも入らずに砕けた。黒い重りも入っていない。群衆が大男を責め立てるような目で見始めた。

「さっき片方のダイスをポケットのダイスと入れ替えたんだろう? 嘘だと言うなら中身を洗いざらい出せ」

 問答無用の言葉に、大男が追い詰められていく。本来なら桜の仲間と共々相手の男から身ぐるみを剥いで、堂々とこの場を去るのだろうが、逆に追い詰められている。仲間が助けに入る余地が無いほど群衆が集まり、いつもとは勝手が違うのだろう。

「これがお前らの手口か」

 群衆を完全に味方につけた男は、大男詰め寄った。

 汗が脂汗になった大男は震えて凝視していたが、突然大声を上げたかと思うと机を跳ね上げて、男に殴りかかった。

 男の余裕の笑みが隠れたかと思うと、大男が動きを止めた。

 男が大男の足の甲を、自身の足先で押さえているのだ。たったそれだけで大男を止めてしまった。

「いでぇ!」

 一声上げると、その場で片足を上げてとび跳ね始めた。

 ひとしきり踊り終わると、男を涙目で睨みつけて再び襲いかかろうとした。しかし、男が両手を水平に動かし親指の間接で首を強打すると、大男が声も上げずに地面とキスをした。

 それまで人垣に隠れていた桜たちが身を引いたとき、群衆の一部がニッコリと笑って両腕を抱えてくれた。

「賭博詐欺の“山嵐”一団だな?」

 周囲で下がった桜はぎょっとした。

 周りの人垣が一気に崩れたかと思うと、大量捕縛作戦が決行された。騒ぎ立てていた桜たちに縄がかけられ、残ったのはほんのわずかな者だった。ほとんどが衛兵と詐欺の一団だったのだ。

 つまり、詐欺の一団を捕まえるための芝居。

「で? 俺の報酬はこの戦利品全部と…」

 倒れた大男のポケットから自分のサイコロを取り戻すと、足元で山になっていた戦利品を大きな袋に詰め始めた。それを一団に縄をかけていた一人がニッコニッコと止めた。

「勿論のこと証拠品は没収。報酬はこちらに用意してあります」

 そう言って小さな袋を渡して証拠品を全て没収していった。

 男は舌打ちして、袋の中から証拠品を出して小さな袋と交換した。なんとも軽そうな音だ。銅貨が一掴み程度しか入っていないのだろう。残念そうな顔をして大きな袋を背負うと、ぶつくさ文句を言いながら歩き出した。

「お待ちください」

 報酬でも追加してくれると思ったのか、男は振り返った。

「袋に残った戦利品の宝石を渡してもらえますか?」

 ニッコニッコと青筋を立てて衛兵は言った。



**



「あの動き、あの根性…」

「お仲間かもしれませんね」

 マーケットで男の後を尾けた。

 マーケットがきれる直前に裏の細道に男が曲がった。今がチャンスだ。今なら男は一人のハズ。

 眼鏡と共に同じ道へと入る。壁を背に、男は待っていた、先程と同じ余裕の笑みを浮かべて。

「俺になんか用か?」

 素手の相手だからといって油断できない。大男をたった一発でのした相手だ、多分接近戦では相手が圧倒的に有利だ。

「さっきの見てましたよ。あの“山嵐”を簡単に倒してしまえるなんて、はっきり言って驚きましたよ」

 眼鏡が距離を取りながら話し始めた。

「そこで貴方にお願いがありまして」

 壁から背を離し、ゆっくりと眼鏡に近づいてくる。相手の攻撃が届く範囲に入った。ここで引くことはできない。引けば信用と、虚栄心を失う。心は冷や汗でも、表面上は平静を装うそれが駆け引きだ。

「私達は新しくパーティを組みましたが、いかんせんメンバーが集まりません。そこで貴方をお誘いしているのです。貴方さえいてくれれば百人力です!」

 パーティは冒険者等が少人数で集まって作る旅団のようなものだ。意気投合したものや、金銭的関係で結ばれる小さな旅団だ。

「わりぃな。もうパーティには入ってるんだよ」

 ぼりぼりと頭を掻きながら、うつむいて上目づかいに私達を見上げる。

「まだ人数が十分とは言い難いがな」

 突然背後から声がした。

 振り返ると、離れていない場所に真っ黒いコートを着た男と、灰色のローブで顔まで隠している者が立っていた。

 気を付けていたつもりだが、いつの間にか背後を取られていたようだ。これで前後を囲まれ左右を壁に挟まれた形になった。逃げることができない。

 しかも、背後の一人は剣を持っている。灰色のローブに至っては顔以外を全身(フル)鎧(プレート)で包んでいる。音もなく近づくことなどできはしない。音に気付かないほど、男に集中していたようだ。

 ローブが姿かろうじで見えている口を開いた。

「我々も三人でパーティを組んでいるが、十分やっていける」

 拒否の態勢だ。これでは、男を仲間に入れることも、相手のパーティに入ることも難しい。男とコートの反応が気になるところだが…。

「セシル。数は多い方がいいぞ~」

 男がローブを説得にかかった。どうやら意思統一はしていない。それに、どちらもがリーダーではないようだ。その証拠に残るコートに二人して視線で問いかけている。

 コートがリーダーだろうが、三人それぞれがリーダー格だろうが、コートの判断にかかっている。心臓の音が響きそうなほどに緊張する。ここで失敗すれば、また誰か適任者を探さなくてはいけない。しかも、ここではないどこかで。

「足手まといにはならないだろう?」

 コートの問いかけまでがやけに長かった。

「もちろん。ね?」

 声が裏返らなかっただけでもほめてほしいくらいだった。眼鏡も、心で冷や汗をかきながら答えるに違いない。

「当然です」

 鼻先にずり落ちていた眼鏡を冷静そうに直しながら、眼鏡は答えた。

「おーし! 新しい仲間と一緒に一杯行こうか?」

 男は嬉しそうに眼鏡と私の肩を掴んで、二人に呼びかけた。

 コートとローブの渋い顔が答えだった。



***



 コートとローブの渋い顔の理由が分かった。この男かなりの酒を呑む。底の抜けた桶に酒を注いでいるかの如く、あおる。

「やっぱ酒はウマい!」

 何度目かの乾杯を一人で笑う。完全に酔っている。顔がほんのりと赤くなるだけで、呑んだ量に対してあまり表だって出ていない。青い髪の毛がそう見せているだけだろうか。泥酔しても耳まで赤くなることはないのではなかろうか。

「程々にしておけ」

 ローブが男のつまんでいた肴のチーズを寄せた。それをコートがさらう。そこに男が手をのばして肴を手元に戻そうとする。

「いい加減にしないと体を壊すぞ」

 全身鎧だが、今は食事のため片方だけ籠手(ガントレット)を外している。机を叩いた時は外していない手だった。素手を籠手で叩かれたら絶対に痛い。きっとそれで、わざわざ片方外してないのだろう。

「ところで飲んで食べているばかりで名前すら聞いていないのだが」

 チーズをさらいながら、塩で酒を飲んでいたコートが今更ながら聞いてきた。遅すぎるだろう。席についた途端に酒を注文した時点でどうかとも思ったが、優先順位は私達のほうが低いのだろう。

 そんな事を口にはせず、ちびちびとやっていたが、やっときた本題に酒の回りかけた頭は反応が遅れた。

「ひゃい?」

 男とは違いあからさまに酒の回りが分かる眼鏡は、呂律の回らない口で聞き返した。もう耳まで真っ赤だ。

「名前なまえ」

 眼鏡よりは酒に強いつもり、だがいつまでも飲んでいたら酒に呑まれる。身の程をわきまえて、カップに残った分を一気に飲み干した。酒に飲まれるより、雰囲気に飲まれる方が怖かった。

「ああ。にゃまへ。…ゼラニウムです」

 自分の名前だけははっきりと答えられただけ良しとしよう。ほとんど眠りこけている眼鏡にしては上等だ。

「彼は魔法使い(マジックユーザー)で、私が戦士(ファイター)のパステルです」

 もう職業までは言えないだろうと思い、机にしがみつく眼鏡をつつきながら代わりに答えた。

 眼鏡の魔法使いが多いわけではないが、少ないわけでもない。眼鏡を含めてそれなりの数の魔法使いを見たが、半分近くは眼鏡をかけていた。そのまた半分ほどはレンズがなかったり、度が入っていなかった。魔法使いといえば、眼鏡が固定概念らしい。

 それを知ってか知らずか、簡単に納得してくれた。

「君が戦士? その割には装備が薄いが」

 ローブが不思議そうに聞いた。

 そりゃあ、あなたに比べると薄くて軽いでしょうよ? と言い返してやろうかとも思ったが、籠手で殴られてはたまらない。

「とりあえずコイツが魔法使うまでの時間稼ぎなんですよ」

 乙女の笑顔で誤魔化す。自分で言うほど笑顔が可愛い私なのだ。まだ何か言いたそうにしていたが、ローブは水で言葉を飲んだ。

 言いたいことの検討はつく。

 長旅には完全に不向きなのだ。だから、他に仲間を探していたのだが、これほど増えるとは思ってもみなかった。しかも、相手は自分達より強いであろうパーティだ。良い買い物をしたのかもしれない。

「時間稼ぎなんて考えずに相手をぶちのめしてきたんじゃないのか?」

 男が私の肩に腕を組んできて、ご機嫌に喋る。これだから酔っぱらいは嫌われるんだ。直ぐに調子に乗るから。でも、私は嫌いじゃないよ。ご機嫌な酔っ払いほどいいお客さんはいないからね。

「そんな事私にはできませんって」

 どちらかというと後ろで弓を引いていたい私は、相手の攻撃を避けまくって撹乱する方が性に合っている。できればの話だが。

「ところで御三方は?」

 ここは逃げねば。話を反らして、なんとか逃れねば。ボロが出る前に。

 ご機嫌に酔っぱらった男がニッカと笑った。待ってましたと言わんばかりに名乗りを上げた。

「ヴァスティス、リーリアリに仕える僧兵(モンク)だ。ヴァスって呼んでくれ」

 僧兵だったのか。どうりで、盗賊(シーフ)にしては急所を的確に狙っていたはずだ。筋肉馬鹿の僧兵ならあの力も頷ける。

 塩を舐めながら酒を飲むコートに視線を送り、貴方は? と無言で問いかけてみる。カップを置き、息を吐いて応えてくれた。赤い目で見返されて視線が合う、一瞬だけ鼓動が高鳴った。

「魔法戦士のファーン。ほとんど魔法なんて使うこともないが」

 チラリとヴァスを見た。時間稼ぎなんて考えずに相手の懐に潜り込み、ぶちのめしてきたのだろう。そんな気がした。

「自分が使わないだけだろ?」

 ヴァスが自分だけが悪いのではないと主張した。ファーンも剣を二本携えているだけあって、じっと魔法に集中するよりも自分から斬りかかっていくようなタイプだろう。それには重い鎧を着込むのは面倒といったところかだろうか…。それとも魔法戦士は軽い鎧しか着れない所為だろうか?

「そうだな。二人して突撃をかけてくれるから私は楽だが」

 一番の重装備のローブが水を飲みながら、何かに同意する。私の心が顔に出たのかもしれない。それなら多分このカップの中身の所為だ。

「えっと~」

 貴方の名前は? と、さり気なく聞こうとしているオーラを出すが、無視してカップに氷を入れている。まだ不審がって答えてくれないのか。流石に全身鎧で身を守るだけあって、心も全身鎧を着ているのだろう。この手のタイプが一番苦手だ! この手はいつも眼鏡が相手をするから尚のこと嫌いだ。

「セシルー答えてやれよ~」

 ヴァスが私にしたようにローブの肩を抱く。今は全身に鎧を纏っているわけではないようで、意外と細い体を思わせた。

「ごめんな~こいつノリ悪くって。飲んでんのも水だし」

 この二人をいつも宿まで引っ張って帰っていたのなら、水だけで済ませる理由も分かる。下手に酔いが回っていたら連れて帰ることなどできないだろう。その点だけはノリが悪くても仕様がない。

「セシルは聖戦士(ロード)で重戦士ってやつだよ」

 あぁ、名前だけ聖が付くあれか。回復の魔法を使えることから単に聖が付くあの職業…上級の職業だ、魔法戦士も聖戦士も。つまりこのパーティ回復が出来るのが三人中二人もいることになるのか。僧兵も聖戦士も神の加護によって僧侶に及ばぬまでも回復役ができるのだ。

「すごいパーティですね」

 戦闘が長引くとそれなりに不利だが、それを許さぬほどの速さと攻撃力を持つパーティなのだろう。多分私達が三人ずついたとしても、撹乱もできず魔法を使う暇も与えられずに墓場に直行だろう。

 敵に回さずにすんでよかった、と胸を撫で下ろした。

「まともな回復ができればな。所詮、我々の力では僧侶の真似ごとで精一杯」

 セシルは中々辛口の評価をした。

 つまり、怪我をしても自分でなんとかしろ。そう言いたいのだろうか? ローブで隠れた表情は読み取れない。食事時にまで顔を隠した者の手当もあまり信用したくない。もしかしたら毒々しい深藍の刺青(タトゥー)が顔にまであるのかもしれない。聖戦士とうそぶいて、実は呪いをかけるような奴ではあるまいか、人生の大半を冒険者として過ごしてきたその経験が、そう勘繰らせた。

 仲間にまで顔を隠す者は信用できない。それをここで言うと重たい籠手で殴られそうなので止めた。

「てか回復必要ないし」

 自信満々でヴァスは言うが、現実はセシルの言う方だろう。

「…それもそうだな」

 セシルが少し笑った。

 おいっ! 回復なくてもいいのかっ! アンタは現実派じゃないのかっ! どんだけ自信があんのよっ! 笑うところですかソコっ!  色んなツッコミが頭に浮かんだが、どれをツッコンでいいのか分からなかった。酒も回ってきて、もう頭が練乳みたいにトロトロになっていた。

 そこからは、よく覚えていない。

 多量の酒に意識を引き渡してしまい、返してもらったのが翌朝だったからだ。



***



「あったまいた~~いっ」

 完全に二日酔いだった。頭に石でも詰まってるんじゃないかと思うくらい重い。昨日飲んだ酒の量から考えて、これぐらいじゃ済まないハズだが、自分の体が酔いに強くなったのか、ヴァスかセシルのどちらかに応急手当をしてもらったのだろう。

 後者の方が可能性が高いが、あまり認めたくない。酔っ払い、又は顔も判らぬ輩に手当をしてもらったなんて…考えたくもない。しかも同じ部屋で眼鏡が寝ていた。これでも一応は女! 部屋ぐらい分けて欲しかった。

 眼鏡と二人だけの時は宿代を浮かせるために同じ部屋だったけど、人数多いし、それなりにお金に余裕があるはずだ。ケチケチせずに出せ! だから馴染めてない時って嫌だ。

 部屋から出て、宿の水場を聞くために一階に降りた。

「起きたか?」

 髪が少々濡れた、タオル片手のファーンだった。私より早く起きて顔を洗ってきた所だろう。丁度好い、水場を聞こう。まさか、酒で顔を洗ってきたわけではないだろうから。

「おはよぅ御座いますぅ」

 まだ寝ぼけているせいで語尾が小さくなる。別にカワイコぶってるわけではない。私は元々可愛いからそんな無駄なことをする必要ない。今更語尾を可愛くしても、声が可愛いからそんなに可愛い度は上がらない。

 何もしなくても天が偏見の塊で、私に良いものを与えてくれたから無駄な努力はしな~い。その分、幸運が少ない気がする。それは私が可愛いからしょうがない、そこらへんでバランスがとられているのだ。

「相棒はどうした? 魔法使いはまだ眠っているのか?」

 私の可愛さにメロメロになったのか、濡れた黒髪の下に表情を隠し階段を上る。

 今日も罪を犯してしまった…。私って罪な女。



「おはよう。昨夜は潰れちまったな」

 結局ファーンをメロメロにしてしまい、水場を聞けなかったので宿の人間に聞いて裏手にある井戸を教えてもらった。

 そこで火照った体に水をかけていたヴァスがいたのだった。

 朝飯前の運動を済ませて汗を流してます状態のヴァスは、二日酔いになりもせず元気一杯だった。なんて羨ましい身体をしているのだ。酒にも負けず朝にも負けず…ってか僧兵ってよく考えたら格闘馬鹿だ。そんな馬鹿に合わせてたらこっちが筋肉の塊になってしまう。

「おはよぅございますぅ」

 そんな筋肉格闘馬鹿に、私の可愛さは届かなかった。

「ん。朝飯もうすぐだからな」

 ヴァスは私の肩を軽く叩いて、そのまま素通りだった。

 …所詮は脳みそまで筋肉馬鹿ねっ。



**



「おはよう眼鏡君」

 顔を洗って部屋に帰ってきた所に、運悪く眼鏡が起きだしていた。そして運悪く私の軽いボディプレスを喰らったわけだ。ただ一つ運が良かったとすれば、私の鎧を昨夜の内に誰かが外していてくれた事だ。パーツごとに外してくれたのか、呪文(魔法)で外してくれたのかは知らないが、朝は身軽に目覚めた。

 それを今頃気づいたのだから、やっと目が覚めてきたのだろう。

「ぐぇ」

 眼鏡を手探りで探していた眼鏡は、苦しそうに声を上げた。

「おはよう。仲良しだな」

 ドアを開けたままにしていたのを深く後悔する言葉が、私に降りかかった。

 眠気が一気に吹き飛んだ。そして、赤面しているのを自覚しつつも声のする方向を向いた。

 ヴァスなら良かった。笑って済ませてくれそうだし、楽しい奴だから。ファーンなら良かった。何も声を掛けずに放っておいてくれただろうから。

 よりにもよって、セシルだ…。



「朝食に行こうか。もう宿は出るぞ」

 顔を隠したスタイルは昨日と変わらない、表情の読めなさも。もし、誤解をされていたら…。あぁ、やだやだ考えたくもない。

「はぁーい」

 ここは笑って誤魔化そう。そうしよう。…笑うしかなかったなんて考えたくもないのだが。なんとなく負けたような気がして腹が立つ。職種も能力も負けて、それだけでも嫌なのにこれ以上負けるとプライドが砕ける。砕けるなんてものじゃない、崩れ落ちる。私の、高いプライドがだ。

 それを知ってか知らずか、セシルはとっととその場を立ち去った。一瞬口の端が上がり、笑ったように見えたが、私の可愛らしい有能な目を持ってしても本当かどうかわからなかった。

 あんな謎の多い奴に笑われたのか? なんとなく腹が立った。

「では行きますか」

 ぼさぼさ頭で起きてきた眼鏡が、怒りとも言えない小さな腹立たしさの槍玉に上がった。

「なによアレ」

 私の小さな拳が唸った。

「うぐっ」



**



「朝から飲むんですか?」

 朝食を取るからと行った先が、夕べ飲み潰れた酒場だった。ヴァスが朝からノリ気だったのはこの為だったか。

「まさか。朝の朝っぱらから飲むわけないだろ。ほらセシルが睨んでる」

 ジロリとこちらを睨んでいる、のだろうと思われるセシルをこっそりと指さして小声で教えてくれる。

 じゃあ、セシルが睨んでなかったら朝から飲むんだろ? 怒られるから飲まないって子供みたいで、ヴァスの若々しさに合っている。男は永遠に少年なんだよ。という説得が上手そうだ。ただ単に中身が子供なだけだろうというのは置いておくとしよう。

 目がキラキラしてる少年のようなヴァスにはよく似合うそれだけだ。

「昨夜の内に朝食も頼んでおいたんだ。それにここには噂話も集まる」

 空の酒瓶を片手にファーンが木のドアを押し開けた。

 夕べ持って帰って飲んだんだなこの男。それで空なんだなその瓶。部屋に置いてくるわけにもいかず、戻しに来たついでに朝食じゃないだろうね?



 夕べの内に頼んでおいたというのは本当らしく、注文もしていないのに手軽な料理がドカドカと運ばれてきた。にやにやしながらヴァスは運ばれてくる皿の上の物を遠慮なく取っていく。

 無言の圧力で、セシルがヴァスを止める。それでも悪戯好きのガキみたいな顔をしてヴァスはそろりそろりと取っていく。それを横目にファーンが自分の分をしっかりと取っていく。

 どうにもセシルの威圧感で、料理の味がしない。本当は美味しいのだろうけれど、喉に通るのに、味は喉を通らなかった。



***



「所で俺を引き入れたかった理由をよく聞いてなかったが?」

 指についた油を舐めながら、ヴァスは食事の進まない私達に話しかけてきた。

「まさか、旅先不安の為のお守りじゃあるまい」

 食事が一段落したのか、ファーンはフォークとナイフを皿の上に置いた。本格的に聞くつもりなのか、椅子を後ろに引いて足を組んだ。右腕を腹に、左手をカップにあてがった。左隣の私からは見えないが、コッソリと剣に触れているのが分かる。多分クセだろう。

「実は上質の鉱脈があるんです」

眼鏡が身を乗り出し、声を落して話しだした。