鬼蘇死霊学実験

三 死霊学の実験







三 死霊学の実験



 基本的な理論を踏まえた上で実験方法を説明することにしよう。労働代行と知識保存の二つに必要な道具、術式、過程を示す。道具などを完璧に揃えられない場合の為に代替品も示しておくが、可能な限り揃えることを勧める。また術式において一切手を抜いてはいけない。



 シグマは、もし死体として回収された場合にはコースへ寄付する契約を済ませるように勧め、クマを刻んだ虚ろな表情で訊ねた。

「ところで、お前何日寝てない?」

 カイは視線を上下に動かし、指折り数えた。

「まだ二日。平常な稼働範囲の内だ」

 平常な可動範囲の内にしては、走ればすぐに息が切れ、言動が不安定だった。

 常日頃から体力も無く、行動が怪しいことから気付かれにくかったが、この時のカイは本人も気づかぬ内に疲労感を感じにくく多少の高揚感を覚える程度までになっていた。

「はっはっはっ。だからか。カイ、てめぇ閉鎖棟だからって都合良く材料が転がってると思ったら大間違いだからな! 労働代行にしても、知識保存にしても下準備がどれだけ大事か知ってるだろうが。しかも、例え転がってたとしても死霊学への寄付契約をしてなけりゃ使えないだろうが」

 こちらも都合、四日程寝ていない。気絶していた時間を除けば、もう少しで五日目に突入する。シグマは疲労すら感じずに浮き足立ち、呂律が回っているのが不思議な程だった。日常的な慣れもあるが、グザイ教員から与えられた添削と資料閲覧の許可の期限が間近だったことが大きな原因だった。

 昨日も今日も十分な睡眠をとっていたニューにとって、睡眠不足でおかしな状態になっている二人を見守るのも大変な仕事だった。しかも、カイに至ってはこれから閉鎖棟という危険な領域に入ろうと言うのだ。

 ニューの中で、止めるべきかもしれないという考えよりも、面白そうという思いの方が強かった。閉鎖棟には入ったことが無い。地下通路への入り口にまでは行けなくとも、次に入る時の為の良い経験にはなる。

「俺だって馬鹿じゃねぇよ、分かってるよ。知識には直前に、労働には寝かせてから」

 知識保存には当人との契約を事前に済ませておかなければ研究対象として許可されない。魂を封じ込める為に人道的な問題が大きく、明確な契約がなければ強制的に保存対象から除外される。

 労働代行とて同じ事で、死者の肉体を酷使することは許されない。更に、肉体を利用する為の処理には没後から長時間複雑な処理が伴う。

「それに、だ。例外的に学府創設以前のものには適用されない。または、白骨化し当人と契約を交わすことが出来るのであれば、この契約を認める」

 学府が創設される以前には、死霊学の契約そのものが確立されていなかった。学府創設以前の死体が残っている可能性があるのは地下通路だが、それは侵入があまりにも危険で死体などを持ち帰る余裕がある場所ではないからだ。そして、正体不明の死体を回収する者も少ない。

 過去の大戦は多くの命を飲み込み、同時に名前を記した資料すら闇へと葬った。学府に現存する共同墓地に眠る者ですら、墓石に名を刻めぬ者もいる。

 白骨化したものは死霊学問内では利用が難しく、神聖学部が例外的に神の啓示を聴くという理由から認められている。神聖学部の分野の一つでは白骨化した聖人を媒介に神託を受けている。死霊学の為ではなく神聖学部の為の例外的な措置であったが、カイはそれを利用しようとしていた。

「だから、そんなもん意味ないだろ」

 シグマは手にしていた分厚い本でカイの頭を叩こうとしたが、カイは難なく避けた。

「だから、聞けよ。学府創設以前のやつでも、白骨化してるやつでも労働代行には使えない。十中八九、よっぽどしぶとい奴じゃなきゃ魂も残ってないから知識保存にも使えない」

 それにはニューも小さく頷いた。

 ニューの専攻である破壊技術分野の中で最も重要視されるのが作り手によって魂を吹き込まれた物だ。

 作り手によって魂を吹き込まれた物は、それ自体が生物のような意思や命の輝きを持っている。それらの持つ力は不思議で、時に魔術を封じ込め、時に術式を構築し、時に人の心へ干渉する。その力に善悪はない、ただ使う側がいかに使うかが問題だ。最大の問題が、意思を持ってしまった物は使い手を狂わせることもあるということだ。

 魂を持ったものから、大量生産品のものまで破壊することがニューの技術だ。

 ただ破壊するのではなく、物の内に込められたものを解放するのが目的でもある。魂を持ったものは炉の中で姿を変えて次の機会を得る事ができる。

 融かされたとしても蘇る、それだけの執念がなければ魂は残らないのだ。

「でも、この題名を言ってみろよ。シグマ」

 添削をしている紙束を手の平で叩き、挑発するようにカイはシグマの方へ突きだした。

 何度も見たその表紙に、シグマは何度も日付を書き込んだ。最初は添削が済んだ部分までを、最近は内容を確認すべき部分を日付と共に書き込んでいた。お陰で空白だらけだった表紙には書き込む余裕は残されていない。

「『鬼蘇死霊学概論 基礎から応用』。他にも『初心者から学べる』とか、ふざけた事書いてあったから流石に削ってもらったんだ。これのどこが初心者からだっつーんだ。鬼蘇死霊学自体が応用なのに初心者が読めるかっつーんだ」

 シグマは今更に題名へ文句が噴出しそうだった。

「偉かったな、シグマ! そのまま頭部隠匿者を殴り倒しときゃよかったんだよ。試料保管庫にはまだ少しの余裕があるぞっ」

 言わずもがな、死霊学コースの試料保管庫には学生が作成した試料が保管されている。主に学生が管理しているということもあり、多少の変動は気付かれにくかった。年度末に行われる一斉点検を乗り切れば何とか出来るだろうとカイは考えていた。

「試料保管庫にはまだ少しの余裕がある、そして鬼蘇死霊学の理論と実験方法はここにある。そして、そして俺は鬼蘇死霊学の基礎である死霊学の専攻だ」

 睡眠不足と疲労があったシグマだったが、突如として合点がいった。

 そして急に馬鹿馬鹿しくなり、手の中にある本の利用期限を思い出した。担当教員の期待が大きいのを知っていた。

「アホらしい。俺だって死霊学の専攻だ。だからって俺は今そんな遊んでる余裕はねぇ」

 シグマはカイがやろうとしている事の予想がついた。シグマにとってもそれは興味があったが、言葉通りカイに付き合う余裕などなかった。

 背中を向けて書館の外へと向かい始めたシグマを追うとして、ニューはカイに止められた。カイも現状のシグマを連れて行く余裕などなく、紙束の添削を全て預けた気分になっていた。

 黙って見送っていた背中は急に止まり、ポケットから何かを取り出すとカイへ向けて放り投げた。放物線を描いて、カイの手から弾かれ、ニューの手の中にそれは収まった。シグマが床へばら撒いた石の一つだった。

「後で返せよー」

 シグマは力なく手を振り、再び背を向けて歩き出した。

 ニューは手の中の小さな石を指先で転がしてみた。白い石の中に透明で四角い石が埋まっている。自然の造形ではなく、人為的に作られたようで、光を受けて透明な石は柔らかく内側から輝いているようだった。

 シグマが渡してきたことから何らかの呪術的な意味がある物なのだろうが、ニューの知識の中にはピッタリと当てはまる物が無かった。白い石の部分を破壊してみれば分かるのかもしれないが、シグマが渡していった物だ。壊すわけにはいかない。

 カイはニューの手の中で転がる石を奇妙な気分で眺めていた。

「あ~、返さなきゃいけないのか、これ。面倒だな。ってか返したくないな」

 ニューの手から摘み上げ、ポケットの中に放り込む。ポケットの中で角の部分が布地を引っ掻いているのが分かるほど、石は存在感を持っていた。石が布地を引き裂いてしまってもカイはそれを肌身離さず閉鎖棟へ入る事にした。

「さぁて、今日も忙しいぞ」

 カイとニューも書館の外へと足を向けた。