勇者様と魔王様

1.はい。魔王討伐おめでとう





 月が満ち、光で冷たく照らされている夜。カンデラは眠れずに城の渡り廊下を歩いていた。裾の長い寝間着が重たく衣擦れの音を立てた、それがやけに煩わしい。

 火が灯してあるとはいえ、明るい月夜にカンデラは溜め息をついた。栄光に自分自身が輝いていたあの夜も月がよく太っていたと、近頃は度々思い出していた。それが年をとった所為だと分かっていたが、心だけは若く、どこかで否定している。

 手を見れば艶のある肌、手入れの行き届いた爪、金の指輪どれも自分が老いているとは思えなかった。それでも年毎に三人の子供達は大きくなり、今では自分の考えも持てるようになっている。

 鏡を見れば確かに老けた、だがそれだけだった。

 カンデラの心は栄光に満ちた日々を彷徨っている。

 若かりし頃のカンデラは乱立する魔王の討伐に名乗りを上げ、仲間を連れて国中を巡っていた。

 あの頃、確かに自分自身が光を放っていると勘違いするほど希望に満ちていた。魔王率いる悪魔を討伐していく世界一の勇者だった。

 そして魔王の根城にたった六人で乗り込み、上位の悪魔達相手に一人二人と仲間を残し、カンデラは単身魔王に向かった。仲間もカンデラを信頼し、ほとんど無傷のまま行かせてくれた。何度も床が揺れ、崩れかけた通路を進むと、瓦礫の向こうに討伐すべき魔王の姿が見えた。目前に迫った魔王に息が詰まりそうだった。それでも瓦礫を押し退けて辿り着いた先には、地に伏した魔王と二人の人間がいた。

 何が起こっているのか理解できないカンデラに向かって、人間の男が剣を差し出してきた。まるで持てとばかりに剣の柄を向け、カンデラの頭を真っ白にする台詞を吐いた。

「はい。魔王討伐おめでとう」

 言うなり剣を握らせるとカンデラの剣を奪い、蹴飛ばしたのだ。その直後、崩れかけていた壁の崩壊が始まり、カンデラはその場から離れたのだった。

 魔王の血に汚れた剣を握り締めたまま。

 暫く走った後に仲間と合流した、その時になって、やっと自分がどういった状況に置かれたのかを知った。

 仲間は口々に賛美の言葉を投げかけた。そして魔王が倒れたと言って悪魔達が退いたのだと、それはカンデラのお蔭なのだろうと感情を昂ぶらせながら伝えた。

 曖昧に頷くことしか出来なかった。

 魔王討伐を報告しにその足で王城を訪れた。すると手にしていた剣を訊ねられた。国王は目を見張り、王女は口を開閉させて戦慄いていた。

 幾つもの考えが脳裏をかすめ、心の中で天使と悪魔が争っていた。仲間さえも羨望の眼差しでカンデラを見つめていた。心は掻き回され善悪の天秤が傾きかけていた。

 そして悪魔は囁いた。

「この剣は、この剣で魔王を仕留めました」

 カンデラの心の天秤はささやかな嘘に傾いた。

 もし、あの男より先に自分が入っていれば、カンデラが魔王を倒していた。カンデラは確信していた。ただあの男が先に入っていただけで結果は同じだ、順番が多少狂っただけで結果は同じなのだ。

 間違ったことなど何一つ無い。

「魔王との争いの中、剣は砕け、そばに落ちていたこの剣で止めを刺しました」

 それを聞いた国王と王女は涙した。カンデラが持ち帰った剣は、王女との結婚を目前に突如として姿を消したアルゴンの物だと言う。アルゴンの名前はカンデラも知っていた、何度も魔王討伐を成し遂げ、大陸を渡り歩いた勇者だ。だがその時のカンデラにとってはどうでも良かった。魔王を倒したと認められた事実が大切だった。

「きっと新たな魔王にアルゴン様はいち早く気付かれ、御一人で討伐に向かわれたまま」

 王女はそこまで言うと泣き崩れた。

 アルゴンはこの瞬間死んだことになった。

 そしてカンデラは王女・ルクスと国を貰い受けた。アルゴンが倒せなかった程の魔王をたった一人で倒してのけたカンデラは最高の誉れを得た。誰も彼もがカンデラを手放しで称え、尊敬の眼差しを向けた。

 至福の時間が過ぎた。

 しかし、その時間は長続きしなかった。カンデラが討伐した後から魔王の出現は殆どなくなり、治める国でも、付近でも魔王は出現しなくなった。悪魔の脅威が薄れると共にカンデラへの尊敬の念も次第に薄れていった。瞬間的に沸きたった熱は冷めるのは早かった。

 周囲の変化を肌で感じていたカンデラだが魔王が現れれば再び自分の時代がやってくると信じていた。兵に訓練をし、吟遊詩人に功績を称えさせ、玉座を温めた。元より他にすべきことが無かった。

 貴族でもない、学も無い、魔王を討伐しただけの王に政治は務まらなかった。

 表立って王が発言をする機会も滅多になく、あったとしても実権を握っている女王には逆らえなかった。カンデラは女王・ルクスの飾りでしかなかった。それが分かるだけに辛かった。

 特に妻である女王の目が辛かった。

 恋愛感情で成り立った夫婦ではない。最初はカンデラも愛そうと努力をした、しかし女王にとって所詮カンデラはアルゴンの代わりでしかなかった。愛情など一向に示してはくれなかった。

 最低限の言葉と表情を示しはするが、それさえもまるで召使に対する叱責だった。

 それでも子は成した。だが、カンデラには自分の子供だという自信がなかった。三人の子供は母の女王に似て、カンデラに似ている様に見えなかった。むしろ召使の一人に似ている気がしてならなかった。成長するにつれそれは顕著になった気がしていた。

 どこに自分の居場所があるのか、探しても見つからなかった。時折城を訪れる昔の仲間と話す時間だけが安らぎだった。

 そんな時間が長く続いている。

 そして苦しむカンデラに追い打ちをかける者がいた。

 唯一カンデラの嘘を知り、全てを知る魔剣・ジーメンスは持ち帰ってからずっとカンデラを悩ませている。ジーメンスが喋るのを知ったのは挙式を終え数日が経ってからだった。

 満ち満ちた月の光が窓を通して室内を照らしている中、突然ジーメンスは悪意に満ちた声で安心しきっていたカンデラに語りかけた。

「魔王討伐オメデトウ、いつまで騙し通せるか見ものだな」

 一人だと思い、祝い酒を浴びるように飲んでいたのに、冷や水を浴びせられた気分になった。どこから声がしているのか探すと壁に立てかけた剣が目に留まった。他に考えられなかった、あの時は他に誰もいなかったのだから。

 嬉々としてジーメンスはカンデラの偽りに触れた。本当は魔王に剣を振ることも出来なかった事、剣も砕けたのではない事、アルゴンが生きている事。

 耳を塞いでも聞こえるジーメンスの声に血の気が引いた。もし他の誰かが居る所で喋り始めればカンデラは地位も名誉も失うだけでなく、今まで称えられただけ蔑まれるだろう。

 世界が暗転した。

 他の者が居る時に喋らない代わりにジーメンスは血を要求した。しかも、生きている者の新鮮な血を求めた。

 カンデラはジーメンスの言葉に従い、こっそりと小さな動物や死刑囚を手にかけた。それと同時に封印するための鞘を作らせた。けれども嘲笑うように鞘へ収めた翌朝には鞘が砕けていた。

 ただジーメンスに服従することに耐えられなくなったカンデラは、地下の一室にジーメンスを閉じ込めた。幾重にも鎖で巻き、可能な限りの封印を施し、鍵を掛けて、誰も立ち入らぬように命じた。

 女王に逆らえぬカンデラはジーメンスにだけでも抵抗しなければ正気を保っていられなかった。

 それでもジーメンスはカンデラを苦しめた。血に飢えた剣はカンデラを呼び、唆し、脅かした。

「俺はいつでも此処から出られるんだ」

 出来るはずはない、そう思っても最後の最後でカンデラが折れた。何度も叩き折ってしまおうとした、しかし折ろうとした物の方が先に壊れた。その度に笑い声が響いた。

 今はもう諦めている。出来る限り地下に近寄らず、夜も酒を飲んで朝まで目覚めぬように努めている。

「アルゴンが現れた時にどうなるか楽しみだ」

 ジーメンスの捨て台詞は時が過ぎるにつれカンデラの不安を募らせた。

 いつかアルゴンがジーメンスを取りにやって来る。アルゴンが生きている限り、カンデラは安眠を得られない。

 アルゴンが生きている内は本当の栄光が得られない。十数年の栄光が全て嘘になる。積み重ねてきた何もかもが嘘になる。宝石だと信じてきた物がガラス玉になる。カンデラの人生そのものが崩れ落ちる。

 それを知ってか知らずか、女王が何度もアルゴンの捜索を試みていた。女王は、未だにアルゴンが忘れられず、カンデラと比べる。理想の男性像を、自分を迎えに来る王子様をアルゴンに押し付けて比べる。何度も会ったことのないアルゴンと毎日会うカンデラを比べる。来なかった王子様に女王は今でも夢を見ている。

 夢を見ているのはカンデラも同じだった。女王がアルゴンの捜索に失敗し続ける限り、夢の中を彷徨い続ける。現実という夢を彷徨い続ける。

 分かっているのに、そのまどろみから抜けられないでいる現状に、苛立ちを蓄え続けていた。

 この夢を現実にするために、昔のような尊敬の眼差しを得るために、カンデラは魔王の出現を切望している。国が乱れる事を王が望むべきではない。知っていても、理解していても、欲望に似たそれは心を満たしていた。そして、ほんの少し残された良識が歯止めとなっていた。しかし、その良識さえも歪めて欲望を叶えようとしていた。

 カンデラは神に祈った。

 カンデラの小さな偽りが知れれば国は魔王の出現以上に乱れるだろう、アルゴンが現れれば現実は嘘になり女王の心は乱れ政治は疎かになるだろう、カンデラがいなくなればジーメンスの封印を知る者はいなくなりジーメンスが災いをもたらすだろう。

 深夜、神の前でカンデラは祈りという脅迫を神に続けていた。それはもはや呪いだった。

 もしも再び機会を与えてくれるならば必ず、成し遂げよう。アルゴンが現れようと誰もカンデラの地位を疑わぬように、必ず試練を乗り越える。

 熱心な祈りは沈黙のまま続けられた。

 そして、神は応えた。