勇者様と魔王様

14.そうなのか。何故だ





「選択肢は二つある。まず一つ、俺に投げ飛ばされる」

 指を一本立てて、エクサはアルゴンに示した。更にもう一本指を立ててこう言った。

「二つ、テルルさんと一緒に大人しく船に乗る。さぁ、どっちだ」

 船に乗る前から青くなっているアルゴンは、テルルの手を握って後者を選んだ。明るい表情のテルルとは対照的なアルゴンに、セルシウスは肩を上下させた。

「一体、今まで船を使わずにどうやって勇者をやってきたんだ」

 エクサと全く同じ疑問だった。しかもテルルが言うには、馬車と馬を除く乗り物が嫌いだという事だった。

「テルルさんがいなければ、力ずくで乗せていたんじゃないかと俺は思っている」

 船に乗り込んだエクサの言葉を肯定したのはケルビンだった。

「勇者時代の経路も以前に調べたんですが、大きく迂回する形となっても殆ど陸路を使って行動しています、力ずくも難しかったんでしょう。船に乗った回数は両手で数えられますからね、他は片手で数え切れます」

 自分の片手の指を数えてみて、エクサは苦笑した。船に乗ったのは緊急事態か、それとも誰かに放り投げられたのか、時間がある時にジーメンスに尋ねることにした。

 馬車が破壊され、残った残骸の中から荷物を探し出し、セルシウスの言った通りに海へと向かった。辿り着いたのは小さな漁村。それでも定期的に目的地の大陸まで船をだしているのだという。しかも、その小ささから国からの監視がなく、セルシウスとケルビンは度々利用していた。

 天使に襲われた草原では遠くへ走り去った馬を探す余裕もなく、無事に残った物だけを選別し、ひび割れしてしまった酒瓶の中身はエクサが一気に飲み干した。

 そして、天使が落とした槍はケルビンがしっかりと回収し、重たそうな荷物に加えた。

 エクサの両手剣もそうだが、天使や悪魔が持つ武器や防具は、人間の技術や地上の物で生成出来ない物が多い。現存数は限られ、希少価値がある。それだけでなく、その特殊な加工や材料から地上の物では遠く及ばぬ効果を持つ。売り払う以上に、持っている事にも意味があった。それに近いのがジーメンスのような魔剣だった。

 ケルビンは、それ以外にもカンデラの配下達から巻き上げた武器や防具を捨てようとはしなかった。痕跡を残すのが嫌だという建前で、目的地の大陸で売り捌くのが本心なのだとセルシウスが語った。

「あんなにデカデカと国の紋章が入った装備品なんて、正規の店舗じゃ買い取ってもらえない、その上に通報されるんだ。裏の方でも買い叩かれるし。でも、向こうじゃ金属の値段で買い取ってもらえるんだ、特に魔法を帯びてるのは高く売れる」

 不思議そうにセルシウスの話を聞いているエクサに、セルシウスは意地悪く笑って見せた。その笑顔の理由が分からないエクサは問うた。

「そうなのか。何故だ」

「金属なんて、潰してしまえば同じだ。とケルビンは言っていた」

 納得したエクサは小さく頷いた。船の縁に手を乗せて、潮風を感じていると船は港を出た。小さな定期船にはエクサ達と船員しか乗っていない。村では予定外の出航に、大金を積んで要求したところ、一隻の船が名乗りを上げてくれた。



 エクサの疑問が晴れたのはアルゴンの表情が戻ってからだった。

 常識が通じない土地だとエクサは大陸に降り立った瞬間に知った。肌で感じる異常な量のマナ。明らかに今まで行ったどの土地よりもマナの濃度が高かった、それは女神の神殿と比べても非常に高いマナの濃度だった。

「確かに、これは『常識が通じない』。こんな土地は初めてだ」

 多量の酒を飲んでもいないのに浮き足立つ、持っているはずの体が溶けて消えてしまいそうな感覚に襲われてエクサは両手で頬を張った。

 視覚からするには、出向した漁村よりも広いが富んでいる様子でも寂れている様子でもない。

 それなのに大気にも、大地にも、川にもマナが溢れている。

 それ以上の問題があった。

「酒がない、だと」

 酒場でエクサは目が点になった。ケルビンが重たい荷物を重たい硬貨へ交換するために交渉をしている間、船旅の休息と今後の予定を立てる為に酒場に入った。船上で殆どの酒を飲み干した酒を体に補充するために、エクサが率先して入ったのだ。席についたエクサは当然のように開口一番に酒を注文した。それが、無かった。

 酒場は酒がある場所だと書く、酒があるからこそ酒場なのだ。酒がなければただの食堂と変わらない。それはエクサの欲しい場所ではない。

 給仕の女、まだ娘に見える給仕は丸い盆を両手に抱えて済まなそうに肩をすぼめた。

「ごめんなさい、時期が悪かったの。この前、みんな飲んじゃった人がいて残ってないの。多分、ここの辺り一帯にお酒は残ってないと思うわ。全部のお店でそう言ってたの」

 どうやら、一帯の酒を飲みほした輩がいるらしい、それだけ分かるとエクサは机に額を擦りつけた。

 見かねた給仕が酒になる前のジュースをエクサ達に出した。それに一口だけ口を付け、エクサは再び机に頬を寄せた。今度ばかりはテルルが慰めても効果は無かった。

「俺は酒のある向こうに戻る。上の奴らに宣戦布告もしたしな」

 独り悲しむエクサを余所に、交渉から帰ってきたケルビンを加えてアルゴン達は食事をしながら予定を立て始めた。目的地である大陸に来たものの、土地勘もなく、住居を探すのは難しい。

「ケルビン、こっちで一緒に家を探してやってくれ。私はエクサと一緒に戻る」

 切り出したのはセルシウスだった。それにケルビンは迷いなく承諾した。

 驚いたのはアルゴンとテルルだった。そう願い出る機会を窺っていただけに有難い申し出だった。セルシウスとケルビンからは逃げ回っていた二人にとって、言い出しづらかったのだ。

「有難う、ケルビン。そしてセルシウス、なんてお礼を言ったらいいか」

 手を差し出すアルゴンにケルビンは不要の意を示した。

「こちらこそ、労働以上の報酬が手に入りました。流石に、国王が秘密裏に動かしただけあって素晴らしい金額です」

 伏せ気味の顔は口元だけを微かに動かして笑っていた。あえて、報酬金額を提示しようとも、実物を出そうともしないケルビン。そんな事はアルゴンとテルルにとって、どうでもよかった。

「有難う。ケルビンさん、セルシウスさん。でもお二人はいつも一緒じゃなくていいの」

 テルルの心配に、セルシウスは肉を差しているフォークを振った。

「大丈夫、慣れてるから。それに、換金にはまだ時間がかかるだろうから、ケルビンはこっちに残るんだ。気にしないで」

 セルシウスがケルビンに頷いて見せると、ケルビンも頷いた。視線を交わすだけで会話の成り立つ二人がテルルには不思議だった。アルゴンと長く一緒にいるつもりだったが、視線だけでこのような会話をしたことは無い。

 目を合わせると、気恥ずかしさからテルルから目を伏せてしまっていた。

「そうですね。正確には、大きな町が内陸部にあるので、そちらで換金してきます。家もそちらで探した方が良いでしょう」

 それでも嬉しいのだと、アルゴンとテルルは何度もセルシウスとケルビンに礼を言った。護衛を務めてくれたエクサにも。

「ここまで有難う、エクサ。お陰で無事にここまで来られた」

「エクサさん。本当に有難う」

 覇気の欠落した顔で、エクサは手を振った。手を振るその様子でさえも弱々しく、酒が無いだけでこれだけ表情が変わってしまうのかという程、エクサの表情は暗かった。

「俺の所為で、羽の生えた馬鹿にも襲われたんだ。それでお相子だ」

 差し出したエクサの手を、アルゴンとテルルは初めて会った時と同じように、強く握りしめた。

 酒場を出たアルゴン達は、早速翌日の出発に備えて荷馬車などの調達に回った。エクサとセルシウスも船の準備が整うまでの時間、周囲の散策をした。

 牧歌的でのどかだった。

 賑わう港町、そこから少し離れると草原に川が流れている平和な風景が広がっていた。

 麦わら帽子を被って釣りをしている男女、踊るように花を摘んでいる娘、鍬を片手に小さな畑で寝転んでいる少年、木陰で昼寝をしている子供達。遠くで母親が子供を呼ぶ声がした。

 実っている果実からは、実に美味そうな酒になるんだろう、とエクサは自らの希望なのか、予測なのか分からないそれを感じていた。次に来る時は、酒が飲み干されていない時か、飲み干されていない地域に行こう、と強く決心をした。

 船が出発する時間、エクサとセルシウスが乗り込む船を見送りにアルゴンとテルル、ケルビンが来た。

「アルゴン、テルル。二人の幸せがいつまでも続くように」

 船に乗り込んだエクサとセルシウスは、アルゴンとテルルに祝辞を述べて手を振った。

「新居から、必ず手紙を書きます。だから、またお会いしましょう」

 アルゴンとテルルは、船が見えなくなるまで手を振り続けた。



 半年後、アルゴンとテルルからエクサ達に一通ずつ手紙が届いた。

 手紙には、アルゴンの下手な文字の下に丁寧なテルルの文字が並んでいた。家の場所と共に、手紙の端には赤い薔薇が描かれていた。

「新居の祝いを兼ねて結婚式を挙げることにしました」

 幸せの満ちた結婚式の招待状に、エクサは目を細めた。



 そして、エクサは同じ手紙の届いた旅の同行者を覗き込んだ。

 魔王の名乗りを上げて半年、エクサは移動を続けながら数々の勇者希望者達を鍛錬し、それ以上に天使達の鍛錬をしていた。同行者と出会ったのは、移動の途中だった。最初に気付いたのはケルビンだった、それはほんの些細な、赤い薔薇だった。

 手紙を見るなり同行者は肩を落とし、深い溜め息を吐いた。目には涙が浮かぶ、しかし口元は優しく笑っていた。

「諦めろ、お前の娘は今幸せの絶頂期なんだ。それに、孫の顔も見たいだろう」

 セルシウスが黙ってテトラの大きな背中を平手で叩いた。驚くテトラに、セルシウスは歯を見せて笑った。

 エクサが肩を叩くとテトラは立ち上がり、白い雲が浮かぶ青空を見上げて目を細めた。深く息を吸い込み、胸を膨らませてテトラは嬉しさに吼えた。テトラの首には手紙描かれているような真っ赤な薔薇が蔦で結ばれていた。

「当り前だ。娘の晴れ姿を見ずにいれるか」

 テトラはエクサの背中を思いきり叩いた。

 父としてのテトラの力を背中で受け止め、エクサはゆっくりと確実に歩き出し、徐々に速度を上げて走り出した。

 踏みしめる大地は広く、空はどこまでも高く陽光が風に輝いていた。