はらりと舞い散る01
合同企画より
シチュ(お茶屋=喫茶店)
単語(机の下、空の上、江戸、日の出)
はらりと舞い散る
**
吐く息が白かったのもつい先日。
春の暖かさがすぐそこに来ているのか、夜に蕾を膨らませている桜の枝を見つけた。
満月の近い夜空にその白い色がやけに浮いて見えた。
肩に掛けている鞄から携帯電話を引っ張り出す。
いくつもしているストラップが荷物に引っかかって邪魔をしている、
特にビーズを繋げている長いストラップが財布の飾りに引っかかっているのが見えた。
最初に財布を取り出してから携帯電話を取り出すと一仕事終えた気持ちになるから不思議。
携帯電話を取り出して、時代遅れだと言われた二つ折りを開いた。
待ち受けにはこっそりと憧れる先輩との写真を設定してある。
わざわざ先輩が通りかかるのを待って、友人に撮ってもらったものだ。
カメラ機能を立ち上げて、空の上の月と桜の枝が入る場所を探しながら携帯電話を持つ腕を上げた。
覗き込む画面の中に背後が移りこんだ瞬間に心臓が飛び上がった。
覗き見防止のミラーシートを貼ってある画面は私を見つめる顔をはっきりと反射していた。
小さい画面の中では見知らぬ男性が曲がり角からこちらの様子を見つめている。
思わず振り返りそうになった瞬間に動きが止まった。
(振り返ったら、バレる。よね)
息を飲んで、何度も瞬きを繰り返して、
必死に気付かなかったフリをした。
そして写真を撮るのにいい場所はないか探しているようなフリをして画面の中に映る男性がどこかへ行ってしまうのを待った。
(ストーカー? まさか、そんな、私が?
有り得ない。
でも、友達は最近別れた彼氏がストーカーを始めたって愚痴ってた。
でもでも、単なる通りすがりのおじさんだよね?)
暫く写真を撮った後、その希望的観測は打ち壊された。
いつも通りの足取りを何度も言い聞かせ、震える足を動かすと、男性が居ただろう場所から足音が続いた。
早くなる心臓の音を抑えこもうと胸に手を当てて、片手で携帯を操った。
電話をすべきか、メールを打つべきか迷った。
したとしても誰に?
『後ろにストーカーみたいなおじさんが居るんだけど、助けて』
そんな冗談めいたことを誰に伝えられるか、手のひらに嫌な汗が伝ってきた。
偶然道が同じだけ、同じだけだと何度も心の中で言い聞かせる。
後ろの足音に注意している耳の中で流れる血の音さえうるさくなってきた。
自然と足早になる。
続いて足音も歩幅を広げてついてくる。
きっと夜のランニングをしてるおじさん、なんとか落ちつこうと必死に言い訳を考えた。
考えながら頭の中が白くなっていくのが分かった。
そして最悪のタイミングとも言える今になってストーカー被害を受けた友人の言葉が頭の中を染めた。
『そしたらさ、私走っちゃって。でも体力ないでしょ? 私、立ち止まっちゃって』
その時開いていた本も知っている、受けていた講義も思い出せる。
開いていた本はファッション雑誌の96ページ目、ちょうどピンク色の春服特集をしていたページ。
日本史の講義、江戸時代前期の将軍の名前を聞きながらピンクのスカートを選んでいた。
突然その先の記憶が吹っ飛んだ。
本当に何も考えられない、頭の中は真っ白だ。
ヤマの外れた試験開始と同じ位に真っ白に染まった。
(走っちゃって、立ち止まった?
それから何て言ってた?)
ふと激しい光が視界に入った。
夜に毒々しいオレンジ色の車体がすぐ隣を走り抜けていった。
思わず体がすくんで立ち止まっている。
ピンク色のスカートを一つ選んで、どうだろうかと尋ねられた。
その直前、友人の薄いルージュの形だけが音もなく動いた。
「向こうも、立ち止まった」
**
ずっと追いかけてくるのなら、もしも立ち止まれば向こうも立ち止まる。
そうやってずっと影みたいについてくる。
残念ながら友人の場合、ストーカーは元・彼氏だった。
家がすでに知られていたし、家に帰っても大丈夫だった。
見知らぬおじさんじゃない。
偶然同じ道だった夜のランニングおじさんだと願い、その場から動けなかった。
足音は止まらず、ゆっくりとこちらに向かってくる。
手の中で設定もしていないのに振動する携帯電話。
勝手に揺れる髪の毛。
マフラーとセーターが触れ合って起こす静電気。
息が白い。
軽快な足音が背中に近寄る。
横をパーカー姿のおじさんが通り過ぎる。
道の先を曲がった。
足音が消えた。
(考えすぎ、妄想だった。
でも、よかった。何もなかった)
握りしめていた携帯電話を確認すると、さっき写真を撮った時から十分も経っていない。
一時間以上も自分の妄想と追いかけっこをしている気分だったのに。
白い溜息を一つ吐いて、顔を上げて電灯が点々と続く道を再び歩き出した。
後は大通りまで一本道。
携帯電話を鞄に仕舞い、再び顔を上げるとパーカー姿が電灯と電灯の間にいた。
「長森悠里ちゃん、こんな遅くまでアルバイトなんて大変だったね」
悲鳴が喉の奥に引っかかって出てこなかった。