はらりと舞い散る04




***

「寒い」

その一言で儚い花に見入っていた先輩共々現実に引き戻されました。
そういえば指の感覚もなくなっている。

白くなくなった息を吐きながら、こんな夜にまだ開いている喫茶店に入った。
事前に先輩が探していてくれていたらしく、入り組んだ道の先にその喫茶店があった。
店内は暖かく、木で作られた席はどことなく温かい気持ちにしてくれました。

窓際の席を陣取り、まだ人のいる店内を眺めると気の合った友人と食事に来ている気になってしまった。
憧れの先輩とその彼女の邪魔をしているのに。

「ねぇ長森さん。何にする? 僕はココア頼むよ」

メニューを広げて無邪気にはしゃぐのは彼女がいるから。

(彼女がいるからですよね?)

「悠里ちゃんだったけ? コイツは無視していいから好きに頼みなさい。
私、ナポリタンとダージリン。奢れ、秋月」

「いやです。だって咲子さんそれ夕食でしょう?
しっかり食べる気でしょ? 絶対に嫌です」

「じゃあ自分で払うわよ。デザートにアメリカンチーズケーキ追加ね。
ほら悠里ちゃんも頼む、寒かったんだから」

目の前にメニューを広げられて注文をするように勧められる。
まるで姉のような咲子さんに命じられるとあるはずもない妹気質が出てきて頷いてしまう。
何か温かい物を頼もう、小腹も空いてるしケーキのセットを頼もう。

「えぇっと、えっと。
イチゴのタルトとココアのケーキセットで」

おずおずと決める。
先輩が手を挙げて店員さんを呼び、注文をしていく。

「ココア二つ。一つはイチゴのタルトとセットで。
それにナポリタンに紅茶のダージリン、アメリカンチーズケーキ。
あとフライドポテトの山盛り」

「ついでに店長の気まぐれサラダと若鶏の竜田揚げ。取り皿三つで」

その細い体のどこに入るのか、咲子さんは更に追加注文をする。

(もしかして、胸にだけ栄養が回る羨ましい体質?!)

思わずフリルの多い服を横目で見てしまう。
そんなこと、あるはずない。
分かっていても見てしまった。
もしかすると、もしかするのかと思ってしまう。

「咲子さん、太るよ」

「ウルサイ、本当にデリカシーの欠片もない男ね。
誰がこの寒空の深夜に呼び出したか覚えてる?」

「だって、今日であの花は最後なんですよ。
長森さんにも見せられたんだから良かったんです」

「そうですよ。私も綺麗な花が見られてすっごく嬉しかったです。
それに、咲子さんが来てくれてなかったら、私あのストーカーから逃げられたか分かりません」

「あれ? 長森さんストーカーにあったの?」

先輩は急に目を点にして、口をポカンと開けた。
確かメールを見てしまったと言っていたのに、驚いている。
まさか、墓穴を掘ったんだろうか。
折角メールを削除してもらったというのに。

顔が赤く染まった。

「最近多いわよね。
可愛い子をコッソリなんて。
あー怖い」

「良かったね、咲子さんはストーカーいなくって」

「ストーカーみたいな秋月って男はいるけどね。
……ちょっと待ちなさい。まるで私が可愛くないみたいな台詞吐いたわね」

(秋月センパイがストーカー? でも、私なら、いいかも……。
咲子さん色々勘違いしてるケド、どうやって誤解を解こう)

「えー、咲子さんは可愛いよりも綺麗ってタイプだからじゃない?
それにストーカーって真っ向から付きまとわないでしょう」

(まさか! 秋月センパイがストーカーしてるの?
でも、これって付き合ってるんじゃないの?
違うの?
もしかして、可能性有ですか)

一人で悶々と二人の様子を観察していると、飲み物が先に運ばれてきた。
カップを持つと温かく、凍えていた指先が溶けていくようだった。

「ねー、そうだよね? 長森さん」

「え、ええ! ストーカーって陰湿な人ですもん!
秋月センパイは絶対に違いますよ!」

「このサボテン=恋人の男が陰湿じゃないって?
根拠を十文字以内で言いなさい。言えなきゃこの男はストーカー確定よ」

「えぇえ! 十文字って、えぁあ……」

「ほ~ら秋月、あんたは陰湿なストーカーで決定よ」

「そんな! な、長森さん僕って何かない?
咲子さんもそんな意地悪なこと言わないでください」

ニヤニヤと面白そうに笑う咲子さん、焦ってココアをこぼしそうな先輩、
一番慌てているのは自分自身。

「あぁ。明るくてカッコいいんです!」

「十文字超えたわよ。
でも、今回は悠里ちゃんに免じて秋月を許してあげましょう」

「助かったよ、長森さん。長森さんってスゴク良い人だね」

顔から火が出るような気がした。
言ったことも、言われたことも、顔から火が噴き出るような気持ちになった。
体中が茹で上げられたような火照りを覚えた。

「但し、あんた今日は悠里ちゃんに付き合ってあげなさいよ。
ストーカーにあって怖い思いしたんだから、今夜は話し相手にでもなりなさいよ」

「そんな! 迷惑ですよ」

一度は気持ちに任せてメールを送ったけれども、面と向かってお願いするのは恥ずかしい。
もう手の平はハンカチで拭いても拭いても汗が噴き出てくる。
彼女である咲子さん公認でも先輩と一緒に一晩は、本当に恥ずかしい。
きっと幸せ過ぎて何も喋れない。

(それでも、いいかもしれない。
し幸せには違いないよね?)

「ヤダ。だってサボテンに水をやらなきゃいけないし。
部屋の片付けしなきゃいけないし、眠いから話せないし」

(地獄に突き落とされた。
サボテン以下の存在って、どう思われてるの?
でもでも部屋の片づけってことは部屋に入れてくれる気なのよね?
ここだけは喜んでいいよね?)

「あんたはまたサボテンを殺す気? 部屋はマメに片付けなさい。
仕方ないわね。ここ何時まで開いてるの?
それまで話相手ぐらいになってあげるわよ」

(咲子さん、気をつかってくてる。
確かに一人で部屋に帰って怖がってるよりも、一緒にいてくれたらスゴク心強い。
それに咲子さんがいると先輩も一緒にいてくれる、よね?)

「この喫茶店、夜から朝にかけて開いてるんだけど。
咲子さん、本気?」

「あら、予想外。
でもその方が都合が良いんじゃない?
悠里ちゃん予定は?」

「明日は、休みです。講義もありません」

(むしろあっても出ません)

手帳をめくりながら予定を確かめる。
アルバイトの予定もない、切羽詰まったレポートもない、講義もない、人との約束もない。
貫徹しても問題はない。

「僕はね、朝から草むしりの予定が……」

「うるさい黙れ。誰があんたの予定を聞いた?
最初っから拒否権はないんだから付き合いなさい」

「そんなぁー」

扱いの違いに戸惑いながらも、スゴク、嬉しい。
先輩と二人だけなら話ができなくても、咲子さんがいてくれるなら会話もできると思う。
それって、もしかして、
棚から牡丹餅?
それとも禍福は縄の如し?

(結局今って幸せよね。)

先輩には少しだけ悪いけど、今の幸せをもう少し感じさせてください。

「悠里ちゃんの為というより、私が暇なのよね。
起きたのが夕方の四時だったから今から寝るっていうのが無理。
だから付き合いなさい。トランプならあるわ」

(まさかの自己中発言。
私の為じゃなくても、ちょっと、嬉しい)

「咲子さん酷い。七並べならやります」

咲子さんは手際よくトランプをきり、配ろうとしたところでナポリタンとフライドポテトがやってきた。
トランプは素早く仕舞われた。

「じゃあ、これを食べてからね」

***

空が白くなり始め、雲が赤い。
日の出だ。

「あ、太陽が顔を出したんですね」

「それじゃあ日の出を拝むことにしましょうか」

トランプを片付け、伝票を手に咲子さんは席を立った。
結局、貫徹してしまった。
目の下に隈があるかもしれないが、それでも今楽しい。

ずっと咲子さんと先輩の話を聞いていると、どうも想像していた関係と違うみたいだった。
どこがどう違うのかと問われると困るけれど、違うのだ。

一晩中居座ったのに店内での人の出入りは殆どなく、どこも同じように一晩中話をしたりカードをしたりと夜を楽しんでいるようだった。
こんな場所もある。

「朝日が眩しい」

思ったことをそのまま口にすると先輩は声を上げて笑った。
きっと貫徹でテンションがおかしいのだ。

「うん、本当に。あぁ朝日なんて久しぶりに見たよ。
最近は昼に起きてたから」

「あんたそれでよくも朝から草むしりをするなんて言えたわね」

咲子さんは先輩の後頭部を平手で叩いた。
大げさに倒れかける先輩。
笑ってしまった。

「僕の朝は最近昼なんですよー。
公園まで競争です!」

突然妙な宣言を残して先輩は走り出した。
倒れそうだったからか、男の人だからか、足が速い。
それに乗せられて咲子さんも走り出した。
ハイヒールの咲子さんには負けまいと追いかける。

意外とハイヒールでも速い。

靴を履いているのにハイヒールに追いつけない。
息を切らせて追いかけたが、結局追いついたのは公園に入ってからだ。

少しだけ開けている公園で、赤い太陽が昇り始めていた。
空の上にはまだ星が輝いているのに、太陽が同じ空に昇っている。
最後に日の出を見たのはいつだったか思い出せない。

「綺麗ですね」

隣で先輩が呟いた。

振り返る、その後ろで月下美人の花弁が一枚舞い散った。
月と太陽が夜の主導権を変わるように、儚く、けれども美しく、
はらりと舞い散る。

**

怖かった夜が明け、お酒を飲んでもいないのにほろ酔い気分で朝焼けの街を歩いて帰る。
咲子さんと先輩も家へと帰って行った。
家まで送ってもらえば良かったと、今気付いている。

白く染まっていく空を見上げると、桜の枝に一輪だけ気の早い花が咲いていた。


終わり