クエスト名:神の吐息

4.完璧なまでに勘よ



 白いパンにバターを塗りつけ、野菜を乗せて口に運ぶ。隣でも同じようにパンに野菜と薄切りの燻製にした肉を乗せて食べるパステルの神経の太さにいつもながら感心した。

 さっきまで肉の中に腕を突っ込んで匂いがこびり付いているだろうに、気にした様子もなくその手で肉を口に出来るそれが羨ましかった。これだけの図太さがなければ最前線で戦うことが出来ないのだろう。

 自分には無い物を持っている者はいつでも羨ましい。

 それとも、同席している男が目を点にして見ている所からして、パステルは稀有な存在なのかもしれない。

 本人は全く気にした様子がないから余計に希少価値があるかもしれない、あったとしても現実的に金銭へ変換される訳でもない。

「お嬢さん、あなた、その手で肉を食べて平気なの?」

 パステルは眉を少しだけ上下させ、わざとらしくパンに厚い肉だけを乗せて食べて見せた。それをぬるい水で飲み下し、真正面から質問をした女を見返す。

「平気」

 それに女は口の端を上げて笑い、隣の男を肘で突いた。何が女を笑わせたのかは分からない。女というのは本当に理解不能な生物だ。

「ほら、彼女も平気よ」

 その言葉の意味が自分には分からず顔をしかめていると、苦虫を潰したような顔で男が野菜だけ乗ったパンを持ったまま説明した。

「魔法使いなら分かるだろうが、魔術媒体に生体を使う場合もあるだろう? その生体をバラした後に平気で肉を食べるもんだから俺も同じ質問をした」

 結果は容易に想像できた。そして女の性格の一部も。

「『平気』だって答えたんでしょ? これぐらいでへこたれてちゃ冒険者なんてやってられないっての」

 自分も含め、男は揃って目線を下に向けた。女という生物はつくづく図太い。そして、不思議でならない。不意に気絶したり、子を産む激痛に耐え抜いたり、時々優しかったり、その行動は予想できない。

「しかし、解体直後に食べられるのは特技にして構わないと思いますよ」

 少しだけ悲しみを加えて、女とパステルに向けて提案してみた。どんな反応があるかは大体の想像が出来た。

 パステルなら「そうね」と返すだろう。

「そうね、自慢する機会があれば使うわ。それに、私はお嬢さんじゃないから。パステルって名前がちゃんとあるの」

 無い胸を張ってパステルは名乗った。

 朝食も済ませ、依頼も受理し、竜の幼生を解体した後で、今更になってやっと名前すら伝えて無かった事に気が付いた。名前という大事な証を他人に示しもせずに同行していた。

 自分はどこまで惰眠の邪魔をしてくれた彼らに潜在的敵意を持っていたのか、感じざるを得なかった。

「多少腕に覚えがある程度の戦士よ。因みに、こっちがバリバリで魔法使いゼラニウム。二人の方が身軽だからこいつと組んでるけど、そろそろ僧侶か誰か回復の術が使える仲間が欲しいのよね」

 パステルの紹介に男女は揃って目を見張った。互いに視線を交差させて無言の会話をしている、何か問題があったのだろう。

 多分、彼らは自分の事を僧侶の術、つまり回復の術が使える僧侶か司祭だと思っていたのだ。魔法使いも、職を僧侶に変え術を学べば使える、その逆もある。しかしパステルの言葉はその意味を含んでいなかった。

 バリバリで魔法使い、魔法使いしかやってきていない事を示しているように聞こえる。

 実際そうなのだ。職を変えれば職に合った術を学べる。しかし、それには多大な努力と時間を要する。僧侶の術と魔法使いの術は根本的に違うのだからしょうがない。その両方を習得していけるのが司祭、習熟するには僧侶や魔法使いの倍以上、そして才能が必要とされる。自分にはそんな根気も才能もなかった。

 それなりに需要の高い司祭も僧侶も町の何処かで必ず見かけられる。

 町に住んでいる者もいるが、旅をしている者の方が多い。その方が自らの宗教を普及させることもできるし、お布施ばかりに頼る必要もないと考える者が多いからだ。それ以上に今も何処かで自然発生している悪しきモノを殲滅し、一時の平和を保とうと努めているのかもしれない。

「まさか、彼は少なくとも司祭だと思っていたんだが。僧侶の経験が?」

 嘘だろう、顔にそう書いて男は問い詰めるように聞いてきた。

 仕方がない、ここは笑顔で返してやるしかない。

「聖職者が自分で解体をすると思います? えぇ勿論僧侶の経験は一切ありませんよ。竜の幼生は殆ど彼女が傷を与えたんですよ、死体を見ましたよね?」

 男は口をつぐみ、頭を押さえた。

「困ったわ。一応私が司祭だけど、あてにならないのよ」

 言葉とは裏腹に女の声は少し嬉しそうだ。

 四人程度が街の近くで数日過ごす程度なら司祭一人の力でもどうにかなりそうなものだが、あてにならないというのは回復の術が殆ど使用できないという意味だろうか。それとも全く使用できないという意味だろうか。

 パステルと視線で短く会話をして、女に視線を戻す。

「学園で一通りの魔法は覚えたけれど僧侶系の術と相性が悪いのよ」

「しかも、時々病毒の術と間違える。こちらの回復よりは道具を優先してくれ」

 男の盛大な溜息が証拠だった。

「そして、彼マスカルも見ての通り僧侶でもなければ聖騎士でもない侍」

 聖騎士は神に仕えながらも剣を振るう、戦士よりも上位の職業。侍は剣と魔法を操る魔法戦士の一部とも考えられるが、剣技を主とする者を特にそう呼んだりもする。戦士だろうと想像していただけに少しだけ驚いた。

 今回はこれまで通り回復は道具頼りになる。今回に限ってはそれでも構わない。消耗品は依頼者がもってくるのだから高価な物まで購入できるのだから有難い。

「じゃぁ何で司祭なんてやってんの? 魔法使いでもいいんじゃない?」

 パステルが「無駄に職業の上位を当てつけがましく宣言するんじゃない!」という言葉を変換して訊ねた。この変換前が分かるには少しだけ邪推が必要だ。そして、自分はその邪推が得意で、皮肉るのも好きだ。

「僧侶の術が回復だけじゃないからよ。特に肉体強化の点においてリーリアリは素晴らしい加護を与えてくれるのよ」

 冷たい笑いを初めて見せた。

 それは嬉しそうにだが、凍えてしまいそうな鋭利さを含んでいた。この類の笑顔を自分は知っていた。契約金を出し渋る依頼者を見つめる時のパステルの笑いだ。暴れ出す直前にこの兆しが現れ、何を引き金に剣を抜くか分からない状態で見せる。

 一癖も二癖もありそうな女だ、面倒なのはパステルだけで十分だというのに。それに、同じ様な女が二人いるとロクな事にならない。

「で、学園で魔法を全部覚えた司祭様のお名前は?」

 自分と同じ笑みを持つ女に、パステルは溜め息混じりに聞いた。本当は名前なんてどうでもいい、だが同じパーティにいる都合上知らないと不便だ、パステルはそう思っているだけらしい。それだけの事だが、どうして腹立たし気なのだろうか。

 第一に学園で魔法を学んだというのが自分には羨ましい。最も大きなこの大陸に幾つか魔法や剣術を教える学園が存在する、その殆どが多大な入学金と受講料とで一般人の立ち入りを拒む。しかも一通り学んだということはそれだけの才能もあったのだ。

 第二に司祭であること。自分にない力を求め、羨ましがるのは仕方ないとは思いつつも諦めきれない。諦めればそこで終わってしまうのも知っている。

 自分がそう思うのは仕方がないにしても、どうしてパステルも腹が立つのだろうか。

 そんな気持ちを全く知らないであろう女は髪をかき上げながら答えた。

「グレナンデよ。パステルにゼラニウム、今回は宜しくお願いするわ」

 不意に、耳で煌めいたそれに目を奪われた。

 左耳を飾る小粒ながらも上質な宝石。空を映した色ではなく、深い水底をすくい取ったかのような碧い宝石。実際に手にとって見なければ分からないが、高価な魔法石の類には間違いないだろう。

 もし、グレナンデが持っている宝石が自分の想像したものなら、金銭に困った生活は訪れないだろう。平凡な暮らしを望むのならば一生。下手な魔術道具に手を出さなければ、しばらくの間は研究費を気にせず実験を行える。それだけの価値がある宝石を身につけている。

 髪で隠しているのは意図しての事だ。宝石の価値を知る者ならば、首ごと宝石を奪う事さえ躊躇しないだろう。

 魔法石と呼ぶが、その正体は術を封じた石だ。

 意図的に造られる物は多いが、時に気まぐれな自然が作り出すそれは凄まじい力を含有している可能性が高い。

 特に有名なのがこの大陸の石であり、世界の中央に位置する大陸の中央部、つまり世界のほぼ中心に位置する二つの山から採られる石だ。

 燃えるような赤い石と凍えるような青い石の二種類で、一般庶民が一生働き続けたとしても払えないような額の代物だ。

「綺麗な宝石ですね。片方だけですか?」

 言葉にしたのは警告。仲間の私物を手にかけるほど餓えてもいないが、誰も彼もが同じとは限らない。不用意に高価な物を見せびらかすのは命取りでしかない。

 そして、一対のピアスなのかという問い。

 その言葉に薄く柔らかく笑う、そこには冷たさはない。

「えぇ片方だけよ」

 グレナンデは嬉しそうに、自慢するように、右の耳を見せた。そして少しだけ照れ臭そうに、隣のマスカルを見た。

 マスカルもついでと言わんばかりに髪を掻き分けて左の耳を見せた。同じピアスが陽光を反射している。

 片方だけのピアス。伴侶を持つ証。

 羨ましくもなんともない自分は何処か冷めているのだと今更ながら知った。見目麗しい女性に目を止め、言葉を交わしてもその先は訪れないのを知っているのと同じに。

 ただパステルが「羨ましくなんかないんだから」と、内心頬を膨らせているのは楽しい。



**



 解体所を後にし、香草の匂いを漂わせながら町で買い物を開始したのは昼を少し過ぎてからだった。

 何をするにしても最低限の道具が必要で、今回は特に治療道具が必要らしく、それだけはどうしても先に買っておきたかった。

 店の主人に嫌な顔をされながらも消耗品を大量に買いこみ、町長に支払いを求めるよう言い含めて大荷物を運ぶ。

 質の悪い物を買わないように注意しながら、自分にしては珍しく値切り以外で楽しみながら買い物をした。

 その所為で他の三名を待たせたのだが誰も怒りはしなかった。

「ご機嫌にお買い物ね。そんな大荷物どうする気?」

 パステルがガラス製のカップ越しに横目で聞いた。

 パステルの足元にもいつも以上に大きな荷物が置かれているのを確認してから、値切りもせずに買い物をしたと得意気に話した。

 待ち合わせ場所に指定した酒場はどこか寂れていた。昼間だからか、自分達以外に客はおらず頼んでもいないのに貸し切り状態で店主は欠伸を噛み殺している。

 自分がその店主にパステルと同じ物を注文した所でマスカルが机の上を軽く払い、地図を広げた。見たところ付近の詳細な地図らしく描かれている範囲は広くない、昨日自分達が走った道を目で追っていくが山の途中で終わっていた。狭い範囲の地図を用意しているとなると、神の吐息なる音源はかなり絞り込んでいるようだ。

「音が聞こえる者に音がしていた方向を聞きこんでいる。一昨日から聞きこんで、山の反射を考え、絞り込んだ場所がこの近辺」

 マスカルは地図上の町の北側を大きく指でなぞった。地図の半分程度を示している。

 一昨日から聞きこんだにしては狭い範囲だろうが、この人数で歩いて探すには広過ぎる範囲だ。しかも音源の正体が分かっていない現状では、歩いて探したところで発見できるかどうか怪しい。

 町の外に出れば神の吐息が消えた影響がうろついている。山に入ればそこにいる生物に襲われる可能性が高くなる。

 この世界に住んでいるのは自分達のような生物に友好的な生物ばかりではない。むしろ考え方の違いから距離をとる生物、敵対する生物も多い。

 そのどれも同じ世界で生きている者に違いはないが、同じ社会には生きていない。わざわざ外からやってきてまで敵対している存在もいるのだから、同じ社会で生活していない程度は可愛いものだ。

 それぞれの生活圏に入れば敵対行動になる。時にはそれも必要だ。

 しかも、音源をどうやって探すのか彼らは考えているのだろうか。いや流石に司祭と侍だけでパーティを組んでいるのだ、必ずどちらかが考えているはずだ。

「さらに、音が聞こえた日は風が強く吹いていたとも聞いている。しかも聞こえる時期が限定されているようで、季節による風の可能性がある。そして音の消えた頃の前後にはこの辺りで山崩れが起きている」

 説明をしながら地図を指し示す、段々と場所が限定されてゆく。

「風が影響しているとすれば海風が昇る山側か、吹き下りる風のある山側ですね。時期が関係しているのであれば方向は掴めているのでしょう?」

 自分の質問にマスカルは頷き、山の北から南を示す。

 その先には今いる町が広がっている。季節風によって作用するならば、山の南側に何かがあるのだろう。

「風の通り道と山崩れがあった場所が重なれば、そこに音源がある可能性が高いですね。定期的に音がしていたのであれば何処かに固定されているか、動かないほどの重さか大きさがあると考えてよさそうですね」

 今まで黙っていたパステルが身を乗り出し、地図を叩いた。

 推測の域を出ない、音源がある可能性のある山の中腹だが、山崩れがあった場所からは離れていた。

「ココ。昨日遠くから見ただけだけど小さな川が流れてるわよね? 多分ココに何かあるんじゃない?」

 しかし地図には川は示されておらず、それにグレナンデとマスカルは顔を見合わせた。

 昨日、意識が遠のいている間に通った道から見えなくもない距離だが、パステルがただ単に川を見ただけで断言できる理由が分からなかった。

 商人から貰い受けた地図を広げてみても、川は見当たらなかった。マスカルが広げた地図よりも詳細な地図だったが、付近に川は流れていなかった。地図に描けない程小さな川なのかもしれないが、パステルが無い胸を張って主張する意味は分からない。いや、分かった。根拠があるわけではない、経験があるわけでもないだろう、全くの勘だ。

「パステル、思っただけならそう言って下さい」

 両手を肩の位置で広げて自慢するように威張った。鎧の形状だけに持たせた胸の膨らみを強調するように胸を反らせる。

「うん、勘よ。完璧なまでに勘よ!」

 脚部の防具を付けているのに金属音をさせて、わざわざ足を組む所が理由は何も無い事を大々的に表現する。それに呆れかえるグレナンデとマスカルは、もう一度地図を確認し、他に目ぼしい場所がないか探している。

「パステルが言う場所に行ってみましょう。長い付き合いだから知っているんです、こういった彼女の妙な直感は良く当たる。それにその地図に載っていない川があるなら山崩れで水脈に影響が出ているのかもしれない。地図でいくら探した所で実際行ってみなくては分かりませんよ」

 また顔を見合せて、今度はグレナンデとマスカルは覚悟を決めたように、地図を折りたたんだ。

「彼女の勘に賭けてみよう。だが、他の場所も捜索しながらになる。長期間になるかもしれないな。宜しく頼む」

 手にしていた硝子のカップの中身を一気に飲み干し、パステルは立ち上がった。足元の大きな荷物を持ち、酒場の店主に「代金は町長にツケる」とだけ言い渡して店を出た。

 その軽い足取りとは対照的に、重量感のある音で床板を踏みぬかないか心配した。



***



 目的地にした場所は足が速い馬なら町から一日で往復できる程度の距離しかない。だが、足止めを食らうのは十分考えられた。

 何があるか分からない以上、出来るだけ消耗を避け、山に入るのは翌日の朝以降にして、街道で一晩野宿をする予定を立てた。途中で野宿出来るような場所を探すしかない。

 そこで、荷台付きの馬車を借りようとしたが何処からも断られた。

 どうやら、また竜でも乗せて帰ってくるとでも思われているようだった。

 本当に商人がいるのだろうかと何度も耳を疑ったが、どうやら冒険者に理解ある商人は出払っているようで、詰所に掛け合って出てきたのが木の骨組みが腐りかけた物だったので諦めた。

 馬車がない事で持てる荷物は更に制限され、寝場所の確保もしなくてはいけなくなった。しかも、どれだけの日数がかかるかも分からない為に食料は長期保存の出来る物を選ばなくてはならなかった、食料だけは交易で成り立っていた町だけあって種類も豊富だ。当然味の良い高級な物を選び、町長に支払いを求めるように書き付けた。

 持って行く荷物を選び、馬に乗せた頃には陽が少し傾き始めていた。

 馬に跨り町の門を出る時になって、一人の僧侶が余程暇だったのか義務なのか短く祈り、見送ってくれた。

 先頭をマスカルが行き、グレナンデ、自分、パステルの順に馬を走らせる。パステルの直ぐ背後で、出ていけとばかりに大きな音がした。振り返るまでもなく町の門は閉ざされた。

 例え、ここで俗に言う悪しき物に自分達が殺されそうな声を上げても、その脆く固い門扉は開かないだろう、と想像し馬の手綱を引いた。

 前を走るマスカルの馬が嘶く、それと同時に馬の足元を影が走る。それでも速度を落とさず走り抜け、グレナンデの馬がその影を踏みぬいて街道を着色した。着色されたばかりの部分を避けながら続く。

 馬の速度が落ちたのは星が空を飾り始めた頃だった。馬の疲れもあったが、それ以上にマスカルの前方に立ち塞がる影が足を止めさせた。

「乗せておくれでないかい」

 杖をつき頭巾を被った一人の老婆が街道の真ん中に立っていた。

 無理をすれば馬で走り抜けられない事もないが、今の疲労状態で周辺に下手な隠れ方をしている連中から逃げきれる自信はなかった。追いはぎだろう。街道ではしばしば現れる追いはぎ連中から身を守る為に警護を雇う等して集団で路を行き来するが、今は山崩れで人も少ない。それを狙った者達だ。

 疲れた体には、こいつらが自分の神経を逆なでする為だけに湧いて出たようにしか思えなかった。

 何であれ、懐へ入れてある本を静かに取り出す。

「町にいる娘に会いに行ったんだが、帰りが遅くなってしまってね」

 適当な理由を並べながら、老婆はマスカルの馬に近付く。

 もう少しで馬に手が届く所で光が走った。

 細く反った刃が老婆の手を止めた。手を切り落とされそうになった老婆は杖を放り投げ街道を転がる。声を上げて驚きを全身で表現するが、それがまるで男のようだった。

 面白くもない冗談に、背後でパステルが剣を抜く音がした。パステルもかなり疲労しているのは知っている。そして面白くない冗談は嘘つきと同じくらい大嫌いだとも。

「この鬱憤はあんた達を切り捨てれば晴れるのかしら? 今なら一刀両断できそうな気がするんだけど」

 パステルが剣を抜いたと知った周りの者達は慌てて街道に姿を現したが、あまりに慌て過ぎたらしく転がって出てくる者もいた。その姿だけは滑稽だったが、笑えなかった。

「娘さんからのお迎えが来たようですね。では仲良くいきなさい」

 言葉と同時に、機会を窺っていた魔法を使用した。竜の幼生を眠らせた術を。

 一人、また一人とその場に崩れ落ち、静かな寝息をたて始めた。転がって出てきた者も眠っているのを確認してから本を閉じ、溜息一つ本を懐に仕舞った。パステルとマスカルも剣を鞘に収める。

 横たわる者達を避けて再び街道を進む。今度は先程までの速さでは無く、野宿が出来る場所を探しながらついでに進んでおく程度のもの。

 追いはぎがいたのだから近くに野営している場所がないだろうか、と探したが見つからない。

 本格的に星が夜空に輝き始める前に、ランタンに灯りを点けた。

 結局、町から一定の距離を示す二本の木の後ろを野宿の場所とした。適当に布を敷き、馬を繋ぎ、やっと一息ついた。

 喋る元気もなく、黙ったまま荷物から夕食分の食料と水を取り出して三人に渡していく。分厚い瓶に布で蓋をしたそれは長旅では嫌になる程見るような物だった。各自不平も口にせず、二重になった布を外し中に金属のスプーンを突き込む。

「これは美味いな」

 マスカルがそう呟く。

 これは、とは他の長期保存が出来る食料と比べての事だろう。長期保存できる物はその分味が悪くなる、逆に長期保存を望まなければ味はそれなりの物が多い。今回はそれなりに味の良い物が選べた。

「そうね」

 グレナンデもそれに賛同する。

 食事の時間になって、誰も鍋を持ちださない所で調理はしないと言っているようなものだった。

 いくら瓶一つで一食分を詰め込んでいるといっても、無理に腹を膨れさせるものを入れているだけで、何か温かい物が食べたいと思うものだ。気力がないのであれば、尚更心の余裕を持つために簡単にでも作って食べようとする。

 今日まで町の中で活動していたグレナンデとマスカルにはそれでも構わないかもしれない。しかし、昨日這うようにして町に着いたばかり、今日新たに駆り出された身には心の余裕が欲しかった。

 パステルが横目で自分を睨む。

 仕方なく小さな鍋を取り出し、近くにある石を並べ、鍋を火にかける場所を作る。夕べと同じように適当な材料を適当に煮込む、それだけだ。

「その鍋で妙な物を煮炊きしてないだろうな?」

 神妙な面持ちで訪ねてくるマスカルに手が止まった。

 思考までもが止まってしまう程にその質問は予想外だった。もしかしたら、冗談なのかもしれない。笑わせようとして真剣な顔で聞いているのかと想像を巡らせる。だが、マスカルの言葉は真剣そのものに違いなかった。

「そ、それは魔法使いに対する偏見ですよ。まさかこんな所に妙な物を煮炊きするような道具を持ち込むわけがないですよ」

 言葉の端々で声が裏返る。まさかこんな時、こんな所で奇妙な誤解を受けるとは思ってもいなかった。

「済まない、単なる確認だ。偏見ではないんだ、偏見では」

 マスカルは横目でグレナンデを見た。それを完全に無視した形でグレナンデはスプーンを舐めている。

 そんな確認が必要になるほど、今までグレナンデが不審な行動をしてきたのだろうか。どれだけ自分が不審に見られているのか、羞恥と怒りの為に顔を赤く染め上げたくなる程嫌になった。

「夫婦の確認に文句をつけるわけではありませんが。この鍋は大丈夫です」

 まだ空の鍋をひっくり返し、中を示した。それでマスカルが納得したとは思えないが、確認の為に。

 瓶詰めにされた野菜、燻製にされた肉、防腐処理のされた水と酒、調味料を適当に鍋へ入れる。後は煮えるまで適当にかき混ぜつつ待つだけだ。

 これをパステルは適当鍋と命名したが、それほど大層なものではない。味はその時々でかなり変化するのでギャンブル性が高い、しかもよく失敗するので残ると処分に困る。

 今日の鍋が吉と出るか凶と出るか、結果を待つ間に地図を広げて現在の位置を確かめる。

 町から一定距離にある木の傍で野宿をしているので簡単に距離だけは掴める、予定していた距離より進んでいる。それは他に野宿出来る場所がなかった所為だが、進んだ分だけ楽が出来るはずだ。そうでも思わなければ、この疲労感で満ちてきた体を慰められない。

 焦げないようにかき混ぜている鍋から怪しい煙が立っているように、きっとこの疲れは明日には宙に消えてしまう。宙へ消えた疲労が他人の疲労になるのかもしれない、そんなことは有り得ないのだが。

「今寝たら、あんたを一緒に鍋で煮込んでやるから」

 白濁しかけていた意識が急激に澄み渡る。

 いつの間にか舟を漕いでいたようで、鍋の具材が近くにあった。正確には目と鼻の先にあった。その状況を把握した所で自分を出汁に使おうとしていたのだと気付く。

 曇った眼鏡を袖で拭い再び装着する。

 明瞭になった視界には夜闇で迫力をました寝不足のパステル、鍋はどうなっているのか気にしているマスカル、代りに鍋をかき混ぜるグレナンデがいた。

 眼鏡を押し上げて何事もなかったように鍋の様子を確かめる。もうそろそろ野菜にも火が通っているハズだ。自分が食べ終わった空瓶に汁を少し取り飲んでみる、食べられない物ではない。

「今日の鍋は出来た?」

 パステルも自身が中身を食べつくした空瓶を突き出し、入れろと無言で命令する。

 言われていないが、確かにパステルは自分に命令している。そうでなければ拒否ができないような顔をしているはずがない。目尻を上げ、口をへの字に曲げていては食事を請求している表情には遠い。

 黙って空瓶を受け取り、よそう。

 受け取るなりパステルは鼻を近づけ、匂いを確認した上でスプーンを突っ込んで野菜を突き崩す。それを勢いよく口に、いや胃に流し込む。味を感じる前に体に放り込む、そういった風にしか見えないのが不思議でたまらない。身体を温めるために無理矢理飲み込んでは、「これは不味い!」と宣言されているより酷い扱いをされている気がする。

「熱い物を急いで食べ過ぎると火傷しますよ」

 マスカルとグレナンデにも適当鍋をよそいながら、パステルへ遠まわしに嫌味を言ってみたが大した効果は無いようで、再び空になった瓶を突き出してくる。ただ単に温かい物を食べたいだけなのは十分承知しているが、作らされる方の身にもなってほしい。せめて一言でも何か言葉が欲しい。

 再び瓶によそうと、また野菜を突き崩すが今度はゆっくりと噛みしめるように食べる。

 この両極端な反応は嫌味を理解して反抗的にわざとゆっくりと食べているようにも見えるし、嫌味を理解せず言葉に従っているようにも見える。自分の都合の良い後者で解釈することにした。その方が精神的に経済的だ。選ばなかった前者を肉と共に飲み込んだ。

 パステルの反応が薄いのは分かっていた。だからこそ初めて適当鍋を食べるマスカルとグレナンデの様子を窺っているが、その反応があまりにも正反対で何か問題でもあるのかと不安になってきた。

 マスカルは美味そうに何度もスプーンを突っ込んでは口に運び、こんな不味くも美味くもない物を食べて喜んでいる。対して、グレナンデは眉を寄せ複雑そうな面持ちで瓶の中をかき混ぜるだけで不味そうに食べている。

 彼らの味覚が極端なのか、使っているスプーンが変質させているのか、苦手な食べ物でも入っていたのか、言われなければ分からない。

「何か嫌いな物でもあったんですか?」

 喋らないので聞いてみた。グレナンデは薄暗い顔で何も言わず、横目で自分を見ているだけだ。何か喋ればいいものを、腹立たしいグレナンデの態度に上機嫌のマスカルも溜め息をついた。

「君が作ったこれが美味いから機嫌が悪いんだ、悪く思わないでくれ。君は悪くない」

 これが美味いのか。それは良いとして美味いから機嫌が悪い、自分の一般常識とずれている答えに理解できない。彼らの反応は分かりにくくて理解しがたい。

「まぁ、理由を聞いてくれ。彼女は『魔法使いの男は美味い料理が作れない。だから自分は作るだけまだ大丈夫だ』と俺に言っていたんだ。しかしゼラニウム、魔法使いの男である君が美味い料理が作れると実証してしまったから、それで機嫌が悪いんだ。決して君の料理が悪いわけではない。こんなに美味い物が悪い訳がない」

 こんな物を料理と言えるのか、これが美味いのか。

 彼らの料理に対する価値観は自分達とは少し外れているのだと深く理解した。まともな食事を出す店などは素晴らしいはずだ、食生活の貧困さが感じられる。今までどうやって食事をしてきたのか聞きたいような、聞きたくないような、どっちつかずの気持ちが揺れ動く。多分、いやかなりの高確率で、グレナンデは料理が下手だ。

 その気持ちはいつまでも続かなかった。

「はい。ご馳走様!」

 スプーンを置くなり、立ち上がりざまパステルは空瓶を光の届かない闇の中へと投げた。突然の行動に自然汚染を始めたと驚いた。だが、空瓶が割れる音の前に、違う弾力のある柔らかい物に当たった音がした。

 人間に当たった音だと何故判断出来たのか、もっと他の生物であってもいいわけなのに。

 ランタンを動かし、パステルが瓶を投げた方へ光を向ける。

 一人の人間が俯き加減に立っている姿があった。灯りも持たずにただ立っているだけで、その表情は窺えない。

 瓶が当たったなら声を上げてもいいのに、黙って立っている。様子がおかしいのは直ぐに分かった。

 光を動かし、本当に一人だろうかと調べようとしたがその必要はなくなった。引きずるような足音が立っている者の背後でした。少なくとも一人や二人ではない。

 ランタンの光が届く位置にまで足音の主が現れた時、顔が引きつった。

 老婆の恰好をした男を含め、五人が白目をむいて脱力した体を動かしている、その動きに意志らしいものが見受けられない。

「はいはい。食後の運動といこうかしら」

 口元を手の甲で拭い、剣を鞘から引き抜く。

 パステルが「予想してましたよ」と余裕で応じているのが変だった。

 夜目が利くといっても遠くまで見えるわけではない、なのにパステルは瓶を投げつけ、今は剣を引き抜いている。

「知り合いでもいるんですか。来るのを知っていたんなら教えて下さい、まだ食事が終わってないんですよ。出来るんならお引き取り願いたい」

 文句を言いつつ、自分も本を取り出し広げる。

 眠らせた相手が意識を取り戻して再び襲いかかって来たのなら、再び眠らせる。しかし、意識を取り戻している様子ではなく何かに操られているようだ。

 出来るだけ朝は気分よく目覚めたいので、殺生は可能な限りしないように心掛けている、つもりだ。操られているだけの者を殺すのは多少なりとも気が咎める、それだけの心は持ち合わせている。

 どうやって相手を傷つけずに止めるか迷っていた。それをいとも簡単に断ち切ったのはパステルだった。

「匂いがしてた。魔法使いなんて奴らは、年中変な薬混ぜてて匂いに鈍いみたいだけど。すっごく変な匂いが」

 わざと鼻を擦って見せた。

「そんな匂いがする中でよく食事ができましたね」

 殆どパステルと同じ条件で生活しているのに自分にはどうして嗅ぎ分けられない。理由は簡単に思いつく、疲労の中で適当鍋をかき混ぜていたからだ。決してパステルが指摘した理由ではないと信じていたい。

 自分に言い訳してからパステルに笑って見せると剣の柄で殴られた。