完璧彼女を造りましょう

6.「沈黙」





 片手にカンテラを持ち、イェプシロンは墓石に腰掛けました。

 墓石に腰掛けるというのは背徳行為です。しかし、イェプシロンのような森貴族にはそういった人間族の感覚を知識として持っていても理解していない者は多いようです。何故なら、森貴族は墓石という概念を完全に理解できないからです。

 習慣や感覚は宗教に大きく影響されます、考え方は個人の物ですが、当人が作り出したものとは限りません。

 イェプシロンは死者を重いだけの石の下に埋める習慣を持ちません。森貴族の大半は、死後の肉体は新しい苗木、若しくは祖先や家族が眠る木の下に埋葬されます。そうすれば木としてずっと残った者を見守れるのだと言います。更に言えば生命が循環しているだけだと言います、私にはそれを理解できません。

 墓石に腰掛けて靴紐を調整するイェプシロンを見つけたタウは大きく口元を歪めました。獣人族は時として仲間の死体を貪ることもありますが、それは切迫した状況で仕方がない時だと言います。そうでなければ埋葬する方が主流だと言います。

 しかも、タウは人間族と関わって長く、人間族が墓石を死者への畏敬の念を持って設置するのだと理解していました。確かに生きていた、愛していた証拠なのだと聞いて知っていましたから、イェプシロンの行動を咎めました。

「あぁ、悪かったね」

 靴紐の調整を終えて立ち上がり、面白くもなさそうにカンテラを持ち直しました。イェプシロンは咎められた理由とタウが顔を歪める理由を知っていましたが、知識として持っているだけでした。悪いとは言いつつ、全く悪びれた様子はありませんでした。

「俺じゃなく、そこで眠っている方に謝れ」

 イェプシロンの様子に苛立つタウは墓石から埃を払い、刻まれた名前を呼びました。

「靴紐を直しました。すみません」

 謝罪には聞こえない台詞を吐いて、イェプシロンはカンテラに灯を点けました。歯ぎしりが聞こえそうな程顔を歪めているタウ。イェプシロンはそのタウにカンテラの灯を向けました。タウは一瞬だけ目を細め、灯りに慣れた目にはイェプシロンの横顔が映りました。視線の先にはラムダがいました。

 昼間と同じ服装で小さな鞄を肩から下げ、シャベルを片手に、燭台を片手に持っていました。

 青白い月が祝福するようにその姿を照らしていました。背後で瞬き始めた星や月までもが服の装飾品かと錯覚させる程、ラムダは夜が似合いました。規則正しく並んだ大小の墓石と定期的に植えられている木さえも幾何学模様のようで、夜に浮かび上がっていました。

「誘った本人が一番最後ですか」

 肩を上下させ、イェプシロンは嫌味を大量に含んだ言葉をラムダに投げました。いえ、そうでもしなければ夜の星々さえ従えたかのようなラムダに見入っていたのだ、とタウは教えてくれました。

 大多数がそうですが、それは明らかに間違った認識です。ラムダはいつも誤解に囲まれていますが、あれが普通です。あれが標準です。周囲の者が愚かなだけです。

 ともあれ、勘違いの呪縛から解放されたタウはイェプシロンからカンテラを奪い、その灯を頼りにラムダへ向かいました。ラムダならイェプシロンの行為を咎めると考えたからですが、これが大間違いだと気付くのに時間は掛かりませんでした。

「森貴族は夜目が利くはずだけど」

 カンテラを持っていたイェプシロンにラムダは静かに問いかけました。目の前でカンテラを振っているタウの肩越しに、ラムダはイェプシロンと会話を始めてしまいました。二人の間に挟まれたタウはどうしようもなく、退きました。

「こんな月が出ていれば昼間と変わりませんよ。僕は人間族と獣人族を心配したつもりですが」

 心配された人間族は目を細めました。

「夜目は利く方」

 一方、心配された獣人族は初めてイェプシロンの意図が分かりました。タウは夜目が利く方ではありません。今手にしているカンテラは自分の為に用意されたのだと知ると、先ほどまで苛立ちを向けていたのが恥ずかしくなり、どう謝ったものか頬を掻きました。

「でも、有難い。ありがとう」

「あ、ありがと」

 タウはラムダに便乗することで礼を言う事ができました。夜目の利く森貴族は眼鏡の位置を直しながら気の無い返事をしました。

 鼻を鳴らすイェプシロンを余所に、ラムダはシャベルを担ぎ直して墓場を歩き出しました。仕方なく、その背を追うタウとイェプシロン。夜に墓場を歩いているということでタウは何か出るのではないかと心配していました。始終目を泳がせて、不安げにラムダと距離を詰めます。

 タウの様子に気付いたイェプシロンは少々の出来心、悪戯心からタウの髪をそっと引っ張りました。

 タウは声にもならない悲鳴を上げました。

心臓に冷や水を掛けられたような気になった、持っていたカンテラを危うく放り投げて逃げ出しそうになりました。そんなタウの後ろでイェプシロンは両手を広げて意地悪い笑みを浮かべていました。

「タウ? どうしたんだーい?」

 イェプシロンの声は笑っていました。

 恐怖の正体を知ったタウは腕を振り上げ、イェプシロンを殴りつけようとしました。それを上手く躱したイェプシロンは回り込んでもう一度タウの髪を引きました。今度こそイェプシロンを捕まえたタウはふざけた眼鏡面を睨み付けました。

 その二人の両肩に手を置いたのはラムダでした。

「沈黙」

 怒っているのか、伏せ目で一言だけ命ずるわけでもなく、ただ呟きました。それだけで十分な効果がありました。タウもイェプシロンもふざけるのを止め、口を閉ざしました。そうすると、音が聞こえてきました。