完璧彼女を造りましょう

9.「他にもう一人、ここにいる」







 急いで、土を掴み、感触と匂いを確かめました。手で優しく表面の土を払い、手を突き入れ棺桶に暫くは当たらないと確認した上でシャベルを土へ突き立てました。足で更に奥へ突き、手首を返して土を退けました。

 何度か繰り返すと、イェプシロンがシャベルの振動とは別の動きがあると、ラムダに声を掛けました。仕方なくラムダは手を止めました。持って来ていた蝋燭にカンテラから火を移し、掘り返している傍へ置きました。穴はラムダの膝にまで達していました。

「まさか、本当に死体が動いてるんじゃないだろう? 死体が動くなんて馬鹿なこと」

 タウが鼻を擦り、鼻孔を僅かに広げました。気付いていたのです、墓場独特の臭いの中では死体が動いていても分からないだろうと。

 今も、タウの鼻は腐った臭いを感じ取っています、同時に生きている者の匂いも。生きている者の匂い、ラムダとイェプシロンの匂いだと知っていますが、それと別に二人の匂いが残っています。特に一人は今ここにいるかのように強く主張していました。

「ファイもある意味動いている死体。一緒に発掘調査に行けば世界が変わるよ」

 さり気ないラムダの勧誘をタウは拒否しました。冗談抜きで世界が変わってしまう気がしたからです。タウの世界は陽光の降り注ぐ世界で、ラムダが好むような陽の光も届かない遺跡の世界ではありませんでした。

 徐々に振動が強くなるのを感じつつ、イェプシロンは掘り返している墓の名前を見つめていました。古い文字で書かれてはいますが、文字の一部に土がねじ込まれ、今の文字として読むことも出来ました。その名前がどうしても引っ掛かります。

 首を傾げるイェプシロンにタウが耳打ちをしました。今のラムダには届かないと思ったからです。

「さっきすれ違った奴の匂いがする。他にもう一人、ここにいる」

 ここに、とタウは指を地面に向けました。それが場所を示すのか、地面の下を意味するのか今回に限ればどちらにも取れました。タウ自身、どちらを示したかったのか分からなかったと言います。ラムダの手が止まり、土に汚れた手で二人を呼びました。

 タウとイェプシロンは最悪の事態を考え、いつでも逃げ出せるようにラムダから十分な距離をとっていました。二人の目の前でラムダは蝋燭を掘り下げた地面に近付け、金属張りの箱を示しました。

 タウは思わず鼻を押さえて後ずさり、目線を泳がせました。想像してしまったのです、金属張りの箱から腕が突出し、ラムダの手を掴んで引きずり込む様子を。

 間の悪い事に、金属張りの箱は大きく揺れました。

 悲鳴を上げかけたタウの口をイェプシロンが塞ぎました。そして、自分もその場から静かに離れ、ラムダが金属張りの箱を開けるのを見守りました。見守っていた、違いました。その場から逃げだして、遠くから見ていただけです。

 金属張りの箱は蓋に宗教色の絵を刻んでおり、長年土の中にあった為に劣化もしていました。それでも、外側に金属が施されている為に中の保存状態は良さそうでした。金属も年代によって使われる物に傾向があるので、プシー嬢の時代とは合致しないとも判断でき、ラムダは少なからず安心しました。それでも、中を開けて見なければ分かりません。

 シャベルを置いて、穴から出たラムダは荷物の中から工具を取り出し、深呼吸をしました。高ぶる心を落ち着けるためです。そして再び穴へ入りました。

 最悪の場合は箱の中からガスが出てくるかもしれない。本来なら落ち着いて作業をするはずだったのですが、先を越されているのならすれ違った相手を探し出す必要があります。そうでなければ、今度こそ落ち着いて作業が出来るのです。

 タウとイェプシロンは箱を持ち上げることを手伝ってはくれません、死体が動いているのではないかと、それだけに怯えているのは確かです。それに、ラムダは大切な作業を一人でやりたかったのです。誰に手伝ってもらっても嬉しくない、宝箱を開ける楽しみ。特にプシー嬢のそれは長年待っていた宝箱でした。

「あぁ、探さなきゃ」

 イェプシロンが耳にしたのは小さな金属音とラムダの呟きでした。目を回しかけたタウにはラムダの声と生きた人間の匂い、長い間土の中にあった乾いた死体の臭いが届きました。目を合わせるタウとイェプシロンの前に、ラムダは土を払いながら現れました。

 無機質に見えるその表情は安堵と失望に包まれていました。それは夜でなくとも分からない僅かな差でした。

 工具を鞄の中に戻し、愛用のシャベルを掴んでラムダは再び墓石を探し始めました。

 金属張りの箱の中身が一体何だったのか、伝わった振動、生き物の匂いの正体を恐怖半分に覗き込んだイェプシロンは驚いたものの溜息を吐いてしゃがみこみました。一方タウはイェプシロンの後ろから恐る恐る覗き込み、顔を歪めました。

「なんだ、タウそんなに嫌ってやるなよ。ただの学府長だよ」

 イェプシロンの引っかかりは取れました。

 墓石の名前に土がねじ込まれ、現代の文字に読めたそれは学府長の名前だったのです。ここに学府長を埋めた者には洒落っ気があったようです。

 箱の中では棺桶の主よりも大きな男が手足を縛られた上に、猿ぐつわを噛まされて青白い顔をしていました。その肩の下には、棺桶の主が小さく乾いた体を捻じっていました。

 タウが感じていた生き物の匂いは学府長、死体の臭いは乾いた体から発せられていたのです。タウは自分が思っていた以上に素晴らしい嗅覚の持ち主のようです。

 目的の墓ではない、先を越されていない、今度こそラムダは丁寧に墓石を探しました。

 カンテラを持っていたタウはラムダの手伝いをしようとは思いましたが、数少ない灯を持っていけば学府長は再び暗闇に閉ざされてしまいます。今の今まで墓の中に死体と一緒に居たのです、灯は大事な心の支えだったのだそうです。仕方なく学府長が墓穴から出てくるまで待つことにしました。

 暗闇と死体のどちらも怖いと思えない私には理解できません。ただ、一人きりにされるのは寂しいのです、それは分かります。

 夜もさほど不便ではないと自慢するイェプシロンは、黙って学府長を見下ろしていました。タウは直ぐに助け出すものだと見守っていたそうです。でも、一向にイェプシロンは墓穴から学府長を出そうとしません。猿ぐつわで奇妙な呻き声しか上げられない学府長は何事か叫んでいます。

「タウ。学府の受講料って高いと思わない?」

 一瞬、目を見張ったのはタウだけではありません、学府長も目玉が零れんばかりに目を見開きました。質問の意図が全く分からなかったのです。

「ここに、受講料をなんとかしてくれそうな人間がいるんだけど、どう思う? 少しばかり受講料って安くならないかなぁって、聞いたんですよ?」

 受講料をなんとかしてくれそうな人間は、何度も瞬きをして体を大きく揺らしました。

 学府長というのは学府の長です。管理運営の一部を行う代表者らしく、各学部の学部長の中から選ばれるそうです。本来は全学部の教授が参加できる選挙で決まるそうですが、学部長がエライので学部長しか選挙に出ないそうです。きっと夜より深い、沼底のような何かがあるのでしょう。タウがそう言っていました、しかし、何かとは一体何なのでしょうか。私に感知できるものだと良いのですが。

 その学府長を下に見て、イェプシロンは沈黙していました。イェプシロンは森貴族ですが、この時の学府長は人間族だったそうです。人間族は、夜には視界が悪くなります。夜目が利くラムダのようなものもいますが、ラムダは遺跡探索や遮光した部屋での作業が多いからだそうです、つまり特別製です。

 視界が悪くなる以上に、精神的に夜は恐ろしいのだそうです。古い時代に、生き物を襲っていた古代兵器が主として夜間に行動した名残だという者もいます。遺伝子に恐怖が刻み込まれているのだそうです。

 この時の学府長は特別製でなかったようで、タウがラムダを振り返って一瞬隠れた灯に恐怖し、身震いしました。それを見逃すイェプシロンではありません。

「タウ、ラムダを手伝ってやれば?」

 灯を持つタウにこの場から離れるように勧めました。

 戸惑ったのはタウです。タウは学府長も灯がなければ不安だと思い残っているのです。それを知っているはずのイェプシロンが、灯を持ってラムダの手伝いに行けと言うのです、意図が読めない訳ではありません。そして、受講料が高いと思っているのはタウも同じでした。

 しかし、タウは本当に優しい。これから払う受講料と、今現在、恐怖に怯える学府長を秤にかけて揺れているのです。私なら受講料に即決します。恐怖に怯える人間はそこいらにいます、しかし受講料が減る機会はここにしかないのです。迷う余地などありません。

「いや、灯は必要だろう」

 渋い顔を作るタウの表情を、学府長は見ることができません。きっと視線を合わせることが出来たのならタウはその場から去ることはなかったでしょう。

 イェプシロンの口から溜息と笑いが漏れました。イェプシロンはポケットに手を入れ、白い棒を取り出しました。カンテラの灯を向けたものの、タウにはそれが白い棒状の物だという事しか分かりませんでした。

「大丈夫、これがあるから。ラムダを手伝ってくれ。今夜中に見つからなかったら、明日の夜も来る羽目になりそうだし」

 イェプシロンの言葉に安心と納得をしたタウはカンテラという灯を持って、その場から立ち去りました。

 この時、タウは自分が持っていた灯だけでは学府長の姿は見えませんでした。もし、見えていたのなら恐怖に顔を歪ませる学府長の変わり様にその場へ残りました。でも、見えなかったものは仕方がないのです。

 学府長には見えていました。

 イェプシロンが手にしていたのは白いチョーク。黒板などに白線を残す、白いチョークです。大きさからすれば、確かに細い蝋燭にも見えました。だからタウはそれを蝋燭だと思い込んだのです。手元でカンテラの灯が燃焼している為に匂いも勘違いし、開いている棺桶の前に居るのは心地よい物ではなかったのです。

 目と口を三日月のように歪ませて、イェプシロンは学府長と二人きりになりました。

「確かに、タウの言う通り。誰も近寄りたくない場所なら、誰にも知られたくないような事をするには丁度いい」

 月明かりに微笑むイェプシロンの表情は実に幻想的に映ったのでしょう、学府長の顔までも青白く光っているようだったとイェプシロンは言いました。青白く光る人間、想像できないわけではありませんが、それは塗装された哀れな頭蓋骨模型のようでした。