完璧彼女を造りましょう

10.「蜂蜜に酢をぶっかけたような臭い」







 タウはカンテラ片手にラムダを鼻で探しました。ラムダはその頃、独特な匂いをさせていたので墓場でも探し出せました。血と油と、人工香料、古い土と、合成樹脂、洗浄溶剤などタウにしてみれば日常生活から遠い匂いでした。

 それらの匂いがなければ、ラムダに纏わりつく匂いの殆どは墓場のそれと似ているのだそうです。

 タウの言葉は当たっています。ラムダの匂いは連日、深夜の墓場に潜り込んでいる為です。

 独特の匂いのもとにはラムダがいました。

 愛用のシャベル、工具が入っている鞄を手に、身を屈めて墓石を覗き込んでいました。その真剣な表情にタウは声を掛けるべきか迷いましたが、答えが出る前にラムダの方が振り返りました。

 カンテラの光に目を細め、タウの背後にイェプシロンを探しましたが、その姿はありませんでした。

「イェプシロンは交渉中?」

 タウは肩を上下させました。

「墓の中に入ってたのが学府長だったもんで、受講料を安くしてくれないかって相談してる。心配だったけど、イェプシロンが蝋燭持ってたから手伝いに来た」

 視線の先を変え、ラムダはイェプシロンが蝋燭を持つ理由を考えましたが、高い確率で蝋燭を持っていないと結論付けました。イェプシロンが専攻している魔術技巧分野では火の扱いは選択必修で、殆どの人間が選択するとしても森貴族の多くが選択しない事を知っていました。夜間も不自由はしない程度の視野がある森貴族には蝋燭を持ち歩く必要はありません。しかし、今夜はタウとラムダの為にとカンテラを準備していたのです、もしかすると蝋燭を持っているのかもしれません。ただし、低確率です。

 イェプシロンが蝋燭を持っているのか、それを学府長の為に使うのか、それは無い。確率論に見切りをつけたラムダはイェプシロンを呼びに行こうかと迷いました。

「交渉は長くなりそう?」

 珍しくイェプシロンに気を使うラムダ、不思議に思ったタウは問い返しました。

「さぁ、分からない。どうした、俺が手伝いじゃ不満か?」

 ゆっくり、三度瞬きをしてラムダは小さく頷きました。その間にタウは数字を二十以上数えられるだけの時間を要しました。内心、馬鹿にされているのか、憐れまれているのか分からなかったそうです。

 私の稼働してからの短い時間で得られた勘からは、両方です。勘というのは、一体どこから湧いてきたのでしょうか。長い経験から、と答えがあるのですが、私の経験はまだ小学生よりも短いのです。

 あまりにもゆっくりとラムダが肯定したので、反論する機会を失ったタウは痛む頭を押さえて視線を落としました。

「遺跡にあるような、古代戦争時代の文字は少し読める。墓場にある文字は省略されていて読みにくい、イェプシロンのように毎日読んでいないから癖も分からない」

 ラムダは弱音を吐き出しました。

 その表情は無機質で、全く変化をしていないようでしたが、確かにラムダは弱音を吐き出したのです。それはタウを信用していて、多少なりとも心を開いており、簡単には倒れない事を知っていたからです。

 タウはラムダの弱音をただの言い訳に聞き、腕を組んで頷きました。そして、ラムダを慰めてやる機会は今しかないと思いました。年下で、肉体的に弱い人間族、周囲の人間は平常心でいられない、そんな悲しいラムダを許してやれるのは自分だけだと信じ込もうとしたそうです。

「そうか、珍しくイェプシロンを心配したのは文字が読めないからか。でもさ、あいつが来ても読めるとは限らないぜ。古い墓石だから文字が欠けてたり、土が積もってたりしてそもそも読めない物も多いし、な。この方なんて、苔が生えてて、可哀想に」

 墓守が仕事をしていない事を示すような墓石に、タウは妙な感情を覚えていました。自分もいつか、こうやって忘れられていくのかもしれないと。

 そう思うと苔生した墓石が可哀想でならなかったのです。そして、不用意に払った苔は簡単に剥がれ落ち、美しい石が月明かりを反射しました。

「あっと」

 思わずタウは声を上げてしまいましたが、落ちた苔はもう元には戻りません。戻す必要性もないのですが、カンテラを地面に置き、落ちた苔と墓石を見比べてどうしようかと迷いました。

 迷った挙句に、墓石に付着していた苔を全て払い落しました。

 静かに待っていたラムダの目が妖しく光ったのだと、タウは語ります。目に月明かりに反射しただけだと思いますが、確かに光ったのだとタウは譲りませんでした。

「有難う。やっと、見つけられた」

 今までに無い優しい手つきで、墓石に触れたラムダはタウに礼を言いました。

 何を言っているのか分からないタウに、墓石の文字を一つ一つ確かめるように、自分自身に言い聞かせるように単語を読み上げていきました。

 タウにも分かるほど丁寧に、読み上げられた名前はラムダが探していたプシー嬢の名でした。

「礼は良いぜ、毎日頂いている。あ、でも。この前に家でご馳走になった焼き菓子が美味かったとだけ言っとく」

 タウの言う焼き菓子はいつもラムダが持参しているイオタお嬢様が焼いたケーキだったので、これ以上イオタお嬢様に手間をかけさせたら何か言われないかラムダは戸惑ったそうですが、曖昧に頷きました。

 ラムダの頷きに満面の笑みを浮かべたタウは、その後の事を思うと少々悲しくなりました。ラムダは苔の生した墓の下で長い眠りについているプシー嬢を冒涜するのです。

 少しだけ墓を覗く程度で冒涜などとは酷い言い方ですが、一般的にそう言われるそうです。確かに、寝室に見ず知らずの人間が入ってくるのは気分がよくありません。

 でも、元が生命体であったというだけで死後にまでそれ程の権利があるとは到底思えません。私にはあります。例えラムダでも勝手に寝室へ入ってきたら私は怒ります、まだ私だけの寝室が存在しないのが問題ですが。

 カンテラを持ち上げ、タウは墓石の前をラムダに譲りました。

 靴紐を直す為に墓石に座ったイェプシロンを諌めたタウでしたが、おもむろに墓を掘り返すラムダには閉口していました。

 タウはラムダの行動の意味を知っていました。ラムダは自分自身の為だけではなく、現代を支える古代文明の一端を解き明かそうとしている、例えそれが墓暴きと同じ行動だったとしてもラムダの行動は皆の為になるのだと信じ込まされていました。

 ファイが、タウに何度も刷りこんだ甲斐があった、と明かしたのは最近です。ファイは私と違って冗談も上手に使えます、人間のような行動も私より短期間で出来るようになったそうです。素材が問題なのでしょう。でも、私も直ぐに冗談を上手く使えるようになります。

 プシー嬢の墓を掘る前、ラムダと友人になったタウは何度かラムダの住んでいる家を訪れていました。その頃から、ラムダの行為は皆の生活の為だとファイやご両親に吹き込まれていたようです。実際その通りなのですが、タウは騙されたと思っているようです。可哀想なタウは未だに騙されたと信じています。

 騙されたタウと、虚言すら聞かなかったイェプシロンと、どちらが憐れなのか、私にはまだ分かりません。

 この頃イェプシロンはラムダの住む家を訪れたことがありませんでした。時間の都合がつかなかったのではなく、ラムダは家に帰らず学府の寮に住んでいるのだとイェプシロンは想像し、ラムダは問われぬ事に答えず、タウはイェプシロンも知っているものだと思っていました。

 墓を掘る人間族と、死者に敬意を払う獣人族、棺桶の中の学府長を脅す森貴族。思惑は其々でしたが、友情という見えもしない不確かな何かによって確かに繋がっていました。

 先程と違って焦った様子の無いラムダに、タウは少し離れてその様子を見守っていました。タウは死体が勝手に動き出す妄想に駆られていた、と言いました。死体が勝手に動き出すのは妄想でも何でもないのですが、タウによるとファイや私のような者とは違うそうです。タウが想像していた者はこの時には現れませんでした。

「どうする? イェプシロンを呼んできた方が良いか?」

 タウの質問に、ラムダは汗を拭いながら答えました。これまでにない、確かな口調です。

「一人で、やらせて欲しい」

 額から伝わる汗、土に汚れた手がラムダを人間のように思わせました。実際人間なのですが、日頃は日陰で生活している為か汗をかくような人間らしい反応が少ないのだそうです。かなり間違った方向からしかラムダを観察していないようですが、ラムダは体温もあります汗もかけば眠りもします、確かに生きています。

 生物の観察能力は偏り、不変的ではありません。特にタウは嗅覚に頼る癖が強く、人工香料や洗浄溶剤の匂いでラムダを人形だと勘違いしているのです。逆にイェプシロンは視覚に頼る癖があるので、表立って出てこない表情の為に人形のようだと思っているようです。愚かだとしか言いようがありません。

 汗を滴らせ、土で汚れなければ生き物だと判断できない感覚など取り替えるべきです。

「俺は、ここに居てもいいのか?」

 二つ目のタウの質問に、ラムダはどうしたものか悩みました。

 一人で念願のプシー嬢に会いたい気持ちはありました。でも、単独で墓を暴いてはいけないという家訓もありました。

 単独で墓を暴いた時、棺桶の中身は全て自分の物になるでしょう。時には金貨や宝石、本、死体、知識、病気、呪詛等々。知識や金品は独占せずに分け合うべきです、そして病気や呪詛に単独で向き合う必要はないのです。

 タウと、既にシャベルの先に当たる棺桶とを見比べ、ラムダは小さく頷きました。

「居てほしい」

 ラムダは自分の胸を占める輝きよりも家訓を優先しました。ラムダは浮足立っていても冷静ではあったのです。

 目的の棺桶を目の前に、蝋燭の火を確認しながらラムダは一度穴から這い出しました。愛用のシャベルをタウに頼むと鞄から工具を取り出し、何度も深呼吸をしました。その顔はいつもと違い、頬は紅潮し、目は潤んでいました。

 夜闇を纏い、月明かりとカンテラの灯に浮かぶラムダは異様でした。例えば、神聖学部の人間が、もしもその場に居たらこう形容しただろうとタウは言います。

 まるで天使か悪魔のようだ、と。

 どちらも神聖学部が必修する講義の必携図書に掲載されている生物です。どちらも羽が生えていて、日頃は姿形、存在すら分からないそうです。見つけたら確実に捕獲対象です、とても稀少な研究材料になるでしょう。

 古代兵器はどちらの形にも変形できる機能を持っていたという見解がありますが、ファイにそのような機能は搭載されていません。

 私にも変形機能は搭載されていません、構造的、技術的に容量が足りないそうです。しかし、羽が生えているように見せる方法はあります。ある装置が原因で変形できる機能を持っていた、と誤解されているのではないか、というのが今の見解です。

 羽が生えているように見えるそれは、古代兵器が装備したという背負う形の生命集束器です。丁度、鳥が羽を広げているような形にも展開できるので、羽が生えていると勘違いされているのだろう、というのです。

 生命集束器は古代兵器が対象を無傷で捕獲し、生命を停止させる事のできる装置です。

 背負う形の生命集束器は大きささえ合えば誰でも装備できるので、誰でも羽を生やしたように見せる事ができます。しかし、そんな者は捕獲対象にはなりません。

 そして、羽の生えていないラムダを天使悪魔だと言っても捕獲対象になりません。羽の有無に関わらず、ラムダを捕獲対象にするわけにはいきません。私の物なのですから他の捕獲対象にさせるつもりもありません。イオタお嬢様とファイ、ご両親にはお貸して差し上げても構いませんが、必ず返していただきます。

 だからラムダは天使や悪魔ではありません。そもそも存在さえも怪しい者に同一視するとは、余程頭が悪いのです。

 タウが言う神聖学部の人間は大変頭が悪いのです。そうでなければタウの嫌味です。そして、ラムダが所属している学部、医療学部は神聖学部と仲が悪いそうなのです。

 神聖学部は神という得体のしれない存在に傅いて病気や怪我を治してしまうそうです。医療学部は道具を駆使して病気や怪我を治療します、古代文明の原理を多く利用するのです。私やファイが古代文明の最たるものですが、私もファイも怪我はしません。部品の交換はしますが、怪我もしなければ病気にもかかりませんので、修理の必要はあっても治療の必要はありません。それも神聖学部の人間からすれば神の理に反するそうです。神が分からないのでその理もよくわかりません。

 きっと、神の理を知れば神聖学部の人間の言う通りに、墓を掘り返すラムダの行為に嫌悪感を覚えるのかもしれませんが、ラムダに対して私の中に存在しない感情なので都合が良いです。

 誰も自分が生まれた理由を嫌悪したくないでしょうから。

「分かった、早い所済ませてくれ。俺はこんな恐ろしい行為を今日で終わらせたい」

 タウは、再び穴に潜り込んだラムダへ恐怖を伝えました。

 しかし、ラムダにとってタウの鼻はとても都合の良いものでした。

 もし次があればその時も同行を願いたかったのです。タウの鼻はよく利いて、危険な出来事の匂いすら嗅ぎ取れるようでした。それを一般的に勘とも言うのだそうですが、教えてくれたファイですら勘を明確に説明してはくれません。

 不確かなタウの勘ですが、それは確かにラムダの役には立ってくれます。それだけで十分です。タウ自身が拒否しても、役に立つのだから利用されるべきなのです。

「ラムダ、妙な臭いがする」

 この時もタウの鼻が役に立つことを意図せず証明してしまったのです。

「妙? どんな臭い」

「なんか、妙に甘ったるいけど鼻を突くような、蜂蜜に酢をぶっかけたような臭い」

 蝋燭の火を揺らし、装飾の凝らされた棺桶の上に乗った土を払いながらラムダは問いかけました。異臭は危険の前兆です。ラムダは鼻を擦っても土と死者、蝋燭の匂いしか分かりませんでしたが、タウは何かを嗅ぎ取ったのです。

 警戒しながら棺桶の上の土を全て払い落とし、棺桶の装飾を十分確かめ、蓋との継ぎ目を指でなぞった時です。タウの言う、妙な臭いの原因が分かりました。

「タウ、感謝する。泥棒除けの呪いが仕掛けてある」

 ラムダの指が確かに感じ取ったのは、古い呪いの文句でした。

「死者の眠りを妨げる者に死の報いを」

 ラムダの言葉にタウは身を竦めました。怯えた様子のタウに手を振り、ラムダは工具を取り換えました。

 呪いの文句は棺桶の継ぎ目に彫られていました。

 この文字を割かなければ蓋を開けられません。逆に文字を割かなければ呪いは効果が無い事をラムダはよく知っていました。同時にどのようにすれば呪いを受けずに中身を得られるかも知っていました。

 この呪いは、これまた不確実な神へ死者の安眠を願うものでしたが、神の存在と反して確実に存在しています。それは、まるで機械のように条件が揃えば確実に作動する代物で遺跡探索をしているラムダは多くを見ていました。遺跡だけではなく一般の墓所でも見られ、ラムダの調査を阻んでいました。

 棺桶に頬を寄せ、愛おしそうに撫でまわし、ラムダは一つの装飾を探しました。

 その一つを探し当て、ラムダは花が咲いたような息を吐き出しました。そして、息を止めて慎重にその装飾へ工具を当てて外してしまいました。外した装飾をポケットに捻じ込み、装飾が隠してあった文字を全て削り取りました。

 棺桶の継ぎ目に彫られた脅し文句、そして装飾が隠している文字、この二つが揃って呪いは初めて効果を持ちます。棺桶の継ぎ目に彫られた文句を削り取ることもできますが、この文句は彫られた事に意味を持ち、後に全てを削り取っても無意味でした。

 そして、棺桶事態を傷付ける事になります、棺桶はそれ自体も大切な資料なので可能な限り傷付けません。

 呪いには文字が必要でした。その文字を一つだけ変えてしまうと、効果は消失します。効果が消失すれば呪いの報いを受ける必要はありません。文字を用いた呪いは単純ですが効果的ではあります、文字さえあれば十分効果を発揮するのです、そして何よりも安価でした。特別な道具や材料は必要ありません。

 文字さえ見つけられなければ効果があるのですが、古来より盗掘者は報いを受けないようにその文字を削り取りました。それに伴い盗掘者から文字を隠すために様々な方法が編み出されました。棺桶を装飾で飾る事は、死者の権威を象徴するだけではなく、装飾の中に文字を隠した装飾を、文字を隠すためでもあります。

 文字を隠す装飾にも時代の傾向があり、ラムダはそれを熟知していました。無駄に墓場へ出向いている訳ではありません。

 そのラムダでさえも、文字に使われるインクの臭いは分かりません。呪いに用いられる文字は消えにくいインクで書かれます。そうでなければ彫り込まれます。

 文字を彫れば凹凸で場所が知れます、そのために消えにくいインクで書いて、その上を装飾で隠してしまうのがプシー嬢の埋葬された時代の傾向でした。インクの文字だけで死者の安眠を守れると信じられています。

 現に、その呪いはラムダが文字を削り落とすまで確かに生きていました。

 タウが嗅ぎ取ったのはこのインクの臭いでした。死者の安眠を守るインクは人間族のラムダには嗅ぎ取れない特殊な臭いをさせていたのです。

「俺は役に立ったか?」

 イオタお嬢様が言う、太陽のような眩しい笑顔をラムダに向けて、タウは問いかけました。自分の成果を褒めて欲しいのです。

「とても、役に立った。タウ、呪いを避ける為に十分な嗅覚を持っている」

 それはラムダにタウの有能性を示し、更に遺跡探索の勧誘を強める結果になりました。そのことをタウはまだ知りません。タウにとって、ラムダの手伝いは危険だとしても止められないのは、危険という甘美な果実の味が忘れられないからです。これはファイの受け売りなのですが、危険というのは事象ですが果実は物質です。比喩の一つだと説明されたのですが、私にはまだ理解できません。

「これから開ける。少し離れていた方が良いかもしれない」

 ラムダはタウに離れるように指示し、気配が少し離れた事を確かめました。そして顔の半分以上を覆うマスクをしました。嗅覚以外にも利用できる器官を多く持っているのが生物です。

 棺桶の装飾に手で触れ、確かに文字を削り取った事を目視して、呪いを取り除いたと信じました。最終的に呪いを取り除いたかは信じるしかないのだそうです、自分の勘と技術を。

 細心の注意を払って、ラムダは棺桶の蓋を外しました。

 その時、タウは肺の奥に腐った臭いが入りこんできたと言います。実際には長い年月で発酵した生物の臭いです。棺桶の気密性が高い場合は死体が液状化している時もあるそうですが、この棺桶の気密性はそれ程高くありませんでした。

 このプシー嬢の場合では棺桶が文字の呪いで守られたままだったので、棺桶は開封されていません。文字の呪いは中の臭いまでは遮断しないので多少は抜けていたので、完全密封されたものよりは大分マシだったそうです。これはラムダの言い分なので、嗅覚の鋭いタウはどれだけ苦しかったのか想像もできません。

 文字通りのた打ち回ったタウは、マシだとは思わなかったのでしょう。

 タウが暴れているのを知りつつ、ラムダは棺桶の中にプシー嬢を見つけました。ラムダにとって会いたくてたまらなかった相手が目の前にいました。

「あぁ、思っていた通り」

 棺桶の内側に呪いがかけられていないか、目を素早く動かし確かめ、ラムダはプシー嬢に手を伸ばしました。その頬に手の甲で触れ、縮れた髪を上げ、優しくメスを当てました。片手で顎を支え、工具を這わせます。丁寧に、しかし、確実に素早く作業を進めていきました。

 鈍い音がラムダの耳にだけ届きました。

「そう、綺麗」

 このたった一言を、ラムダが自分に向けてくれるなら自分の魂を売り渡しても良い。などという不気味な事を言う者はいます。私は何度も言われているので、神が創造した事物ではないのですが何度も魂を売らなければならないようです。そもそも、魂とは何なのでしょうか。心とどこが違うのか、切り売りできるとしたら通常の価格は幾らなのか気になる点ではあります。ラムダの言葉一つの値段だとしたら、パンケーキ一つ焼けば貰える程度なので魂の値段は高くないように思われます。

 ラムダは折りたたみ式の箱を組み立て、目的の物を優しく布で包み仕舞いました。揺れても破損しないように蓋をして、確かに錠をかけました。

 のた打ち回っていたタウは、その視界にラムダを捕えた瞬間に動きを止めました。月とカンテラに照らされたラムダは額に汗を浮かべ、服を土で汚し、手には最初は持っていなかった箱を手にしていました。顔には優しい笑顔を浮かべて。