完璧彼女を造りましょう
12.「珍しい、ラムダが分からない棺桶があるのか」
縄が解け、押えの手がなくなった今、学府長は飛び起きようとしました。
「待つ」
ラムダは学府長の胸に優しくシャベルの先を向けていました。
棺桶から出られると信じていた学府長は胸の圧迫感に戸惑い、顔色を青から紫へ変えました。今にも棺桶から飛び出しそうな学府長を制し、ラムダは棺桶の隣へ降りました。シャベルは胸へ乗せられたままでしたので、学府長は身動きも出来ずに痛みに耐えるだけでした。
苦痛に顔を歪める学府長のすぐ横へ、ラムダは顔を寄せました。
黙って見守っていたイェプシロンは自分でも分からない理由で慌てて、ラムダの肩を引いて学府長から引き離しました。イェプシロンが思っていた通りに、学府長は目の焦点を合わせられずに頬を赤く染めていました。先程まで紫色になっていた時とは打って変わって恍惚とした表情になっていました。
先に署名をさせておいて正解だった、とイェプシロンは言います。恍惚としていた時には字も書けなかったはず、だそうです。ラムダの顔が近付いただけで恍惚となれるので、学府長は安い人間です。
「ラムダ、何をしてるんだ?」
イェプシロンが咎めるようにラムダを引っ張りました。
「棺桶の呪いを見ている。今出したら、呪いが降りかかる」
疑問が頭上に浮かんでは消えるイェプシロンに、タウがプシー嬢の棺桶での事を説明しました。棺桶には死者の安眠を守る呪いが存在する事を、イェプシロンは初めて知りました。棺桶は生涯において必要としないと思っていたので、興味など無かったのです。
何故、朽ちるだけの肉体に棺桶が必要なのか考えた事もないイェプシロンでもラムダが警戒する呪いには多少の恐怖を覚えました。呪いはイェプシロンが学ぶ魔術技巧分野の中でも多くを占めていましたから。
引っ張っていたラムダを離し、イェプシロンは再びラムダの行動を見守る事にしました。手が離れ、自由になったラムダは今度こそ学府長の背後で見え隠れしていた呪いの模様を覗き込みました。
学府長の頭が邪魔で、完全には模様を確認できませんが、珍しい呪いの模様でした。学府長が棺桶に収まって埋め戻された事が奇跡だと思えるような呪いだ、とラムダは学府長を埋めた者の運の強さに感心していました。
そうでなければ、静かな墓所は騒がしくなっていたはずです。
棺桶を開けると同時に学府長を放り込み、蓋をして埋め戻した手際の良さがあったからこそ呪いは効果を発していませんでしたが、学府長が直ぐに棺桶から飛び出していれば呪いは降りかかっていました。
「珍しい」
耳元で囁くようなラムダの声に学府長は脱力し、だらしなく鼻の下を伸ばしました。当然、ラムダは呪いの事を言ったのであり、学府長へ言葉を掛けた訳ではありません。それを理解するだけの思考力は完全に失われていたのです。
ラムダは鞄から布を取り出し、学府長の体を僅かに動かすと棺桶の隙間に潜り込ませました。そして学府長が歓喜に身じろぎした瞬間をついて、棺桶の主に棺桶ごと布を掛けて呪いの模様を隠しました。
棺桶と棺桶の主から学府長を布で隔離したような形になりましたが、実際は棺桶と棺桶の主を破壊原因から守ったのです。それと同時に呪いに対する手段だったのです。
「光に反応する。森貴族が視覚出来る程度で」
イェプシロンは森貴族が引き合いに出され、自分が悪いのかと一瞬疑ってしまいましたが、ラムダの言葉を頭の中で反芻すると納得しました。森貴族の視力は他の種族と比べて良く月の光だけでも十分な活動ができます、その森貴族が視覚できない程度の光は他の種族にとっては真の闇です。目の前にある手さえ見えない程の暗闇なのです、それ程の暗さは一部の限られた空間でしか存在しません。
今夜の月明かりでは明る過ぎる、という意味に理解するまでに眉を潜めて戻すまでの時間が必要でした。イェプシロンは頭が悪いのです。
「光に反応するんなら、もうしてるだろ?」
確かに模様は既に人間族のラムダが視認しています。イェプシロンの目も知識を得た今なら呪いの模様が見えます、森貴族のイェプシロンが見えたという事は呪いの模様が光りを受けている証拠です。
「呪いの核心へは反応していない、かもしれない。何故だか分からない」
この時のラムダには何故この光に反応する呪いが効果を発していないのか分かりませんでした。光に反応するこの呪いは、棺桶の中身が出されれば必ず光に触れる部分があるのですが、学府長は押し込められた為、奇跡的に光が当たっていなかったのです。
そして、ラムダが布を素早く広げてしまったので模様の全貌は確認できなかったのがラムダの分からなかった理由です。
「珍しい、ラムダが分からない棺桶があるのか」
地上から見守っていたタウは鼻を押さえ、カンテラの光が墓穴に届かないように体の後ろへ隠しながら笑いました。ラムダはタウが知らない多くの事を知っています、イェプシロンでも知らない事を知っています。タウはラムダが知らない事があるだけで人間らしく感じるのです。
タウには見えませんでしたが、ラムダは小さくタウの言葉に頷きました。事実でしたから。
「じゃあ、棺桶の呪いが分からないラムダ。まさか、呪いをどうすればいいかも分からない、なんて事じゃないだろうね」
イェプシロンは先程からあまり動かなくなった学府長が心配でした。書面はあってもそれは学府長がいてこそ真の意味を持つのです、生きたまま棺桶から陽の下に出られないのでは意味がありません。
折角もぎ取った受講料の減額、学生寮の建て直しがなくなるのです。学府長の遺言なのです、と学府に願い出ても次の学府長が破棄する事でしょう。学府長の代わりはいくらでも存在するのです。
「いや、それは、知ってる」
言うと、ラムダはイェプシロンに学府長を押さえておくように頼みました。学府長もラムダの頼みを満面の笑みで受け入れました。
棺桶の主を壊さないように、学府長は体重を移動させイェプシロンに押さえつけられました。イェプシロンの手と学府長の身体へ土が降りかかったのは次の瞬間です。
突然の事にイェプシロンは驚きましたが、更に驚いて震えあがった学府長に冷めてしまい、冷静になれました。その間もラムダは愛用のシャベルで周りの土をすくい上げ、棺桶の中へと慎重に入れていきました。
「土で光を遮る」
布程度では光を完全に遮る事は出来ず、どこに呪いの核心があるのか確かめられない場合は土で光を遮断してしまうのが簡単で楽な方法でした。
労力を考えないなら、学府長を棺桶に入れたまま蓋をして光が全く入らない場所まで運び、そこで学府長を取り出す方法があります。棺桶も汚れずそちらの方が安全なのですが、光が全く入らない場所は遠く学府長が発狂する前に取り出したかったのです。
土を入れて少しずつ均し、呪いの模様があった棺桶の底に土を敷き詰めます。
棺桶と棺桶の主の強度を心配しながら土を入れていましたが、一通り土を入れ終えて学府長を取り出しても破損した様子はありませんでした。
学府長をタウが引き上げ、足の縄と猿ぐつわを解いてやりました。署名の為に手の縄は解かれていたので自分解けたのですが、全身が震えてしまった学府長を見かねたタウは怪我をしない程度に急いで縄を切ったのです。
余計な生物を棺桶から除去し、ラムダは名残惜しそうに棺桶の蓋をしました。