完璧彼女を造りましょう

13.「口に合うかな?」







 棺桶を閉めた後にラムダは愛用のシャベルを片手に考え込みました。

 このまま土を埋め戻せば、形跡から墓守が報告するかもしれないが、学府長が今夜の沈黙を守ってくれるだろう。本当に沈黙するかもしれないが、証拠は残していない。残っていたとしても自分達にまでは決して辿りつけない。

 このまま土を戻さなければ次に会いに来る時掘り返す必要は無い。その次も、その次も土を掘らなくていい。しかし、問題になるのは目に見えている。事によれば墓場に侵入することが出来なくなるかもしれない。

「ラムダ、無事か? 怪我は無いか?」

 シャベルを片手に悩んでいるラムダにタウが駆け寄りました。匂いで怪我をしていない事も分かるのに、タウはラムダに何度も怪我をしていないか問いかけました。

「怪我は、無い」

 服に付いた土を払いながら、土を戻すべきか戻さざるべきかラムダは迷っていました。変な迷いです。答えは分かり切っているのに、それが一般常識と無駄な倫理が絡み合って口にするのも躊躇われるのです。

 違和感に気付いたのはイェプシロンでした。ラムダの視線がタウと墓穴を彷徨っている様子を見てとったのです。

「ラムダ、言っておくけど棺桶を持ち出すのは駄目だから」

 その時、ラムダは頭を何かに打ち付けたような衝撃を受けたそうです。

「イェプシロン」

 片眉だけを下げて、タウは咎めるような表情をイェプシロンに向けました。そんな事を言う必要は無い、タウはそう続けたかったのですが先にラムダの様子を確かめて失敗しました。

 ラムダは大きく頷き、納得したようにシャベルをもう一度地面に突きたてました。

「そう、その手があった」

 鞄の中から長い縄を引っ張り出し、ラムダは墓穴へ飛び込もうとしました。しかし、それはタウによって阻止されました。ラムダの服の後ろ襟を掴み、まるで小動物を捕獲するかのようにラムダを捕獲しました。肉体的に獣人族よりも劣る人間族は、地面から足を離され宙に持ち上げられてしまいました。

 持ち上げられたラムダの下に呆れた顔のイェプシロンがいます。イェプシロンは素早く縄をラムダの手から奪い取り、眼鏡を持ち上げ直しました。

「学園内にある全ての墓所の権利、ではない」

 口ぶりからは少々拗ねているようでしたが、イェプシロンとタウは心を鬼にします。ここでラムダを甘やかしては、ラムダは最終的に墓所の権利を手にしてしまうでしょう。学府長でも恐怖で正気を失いかけていなければラムダに魅入られて、要求を全て飲んでいた可能性が高いのです。

 タウは墓穴から距離をとり、ラムダを棺桶から引き離しました。着ている上着が丈夫な為に破れもせずラムダは引っ掛かっていました。留めてあるボタンを外せば脱ぐ事もできるのですが目の前のイェプシロンがそれを許してくれるとは思えませんでした

「棺桶を持ち出せばバレるだろ。それくらいの事、分かってるだろう?」

 今度はラムダが顔を歪める番でした。

「何故? 土を戻しておけば直ぐには分からない。それに棺桶だけじゃなく、中身も欲しい」

 それもそうだ、とイェプシロンは一瞬納得しかけてしまいました。適当な枠組みを作り埋めてしまえば掘り返さない限り知れる事は無い。ラムダのように好んで墓を掘る連中は多くない、見つかったとしても今夜の事は学府長が忘却してくれるはずです。

 しかし、タウに睨み付けられてイェプシロンは頭を振りました。

「駄目だ、駄目だ、駄目だ。棺桶だけじゃなく中身も欲しい? 何を言っているのか分かっているのか、ラムダ。そんな物を寮に持って帰って隠し通せるとでも思っているのか」

「寮には住んでいない、家がある」

 疑問に眉を寄せたイェプシロンに、タウはラムダが家から通っている事を教えました。実家とは別に書庫状態の別宅が学府の近くにある為、そこから通っているのです。イェプシロンは再度悩みました。もしかすると問題は無いのかもしれない。自宅のような場所に隠し通せるのなら棺桶はベッド一つ分程度しかない、ちょっとした衣装箱が一つ増えるだけです。

 悩み始めたイェプシロンに歯痒さを感じたタウはラムダを諦めさせようと説得を始めました。今夜、タウの目の前で起きた事はタウの道徳に反する事ばかりでした。これ以上自らの道徳に反する行為を黙認する事は許容できません。

「ラムダ。お前、棺桶なんて家に持ち込んで良いと思ってるのか。家族の気持ちを考えた事があるのか、お前には妹もいるだろう」

 この言葉でタウは墓穴を掘る事になりました。妹思いのラムダへの切り札でした、家族の事を持ち出せば考え直すだろうと思っていたタウは、深い後悔をするのです。

「ファイもある意味動いている死体。棺桶と中身の一つや二つ増えても、大した問題ではない」

 この時、タウがラムダの家で知っている場所は玄関と廊下、応接間だけでした。寝室の数と同じだけの死体安置所があることは知らなかったのです。墓場のような匂いはラムダの匂いだと勘違いしてしまっていたのです。

 そして、ファイに関してもラムダとイオタお嬢様、ファイが三人でタウを騙そうとしていると勘違いしていたのです。成人男性、滑舌と思考も確かに見えるファイを、死体に古代兵器の部品を組み込んでいるようには見えなかったのです。ラムダの言動から想像できない範囲ではなかったでしょうが、この頃からファイは殆ど人間と見分けがつかなかったのです。タウならファイから漂う防腐剤独特の臭いから判断できたのでしょうが、ラムダとイオタお嬢様も日頃から利用するので、その家特有の臭いだと判断していたのでしょう。

 ラムダにしてみれば、問題があるとすれば棺桶と中身の運搬方法と置き場所だけです。運搬方法は、ここに四人の持ち手がいるだけで十分でした。家からは徒歩で通っており、誰にも見られず運ぶ事もできます。その頃、死体安置所は手狭になりつつあったのが心配でした。

「家族の事を考えるなら、墓石と土も持って帰る必要がある」

 ラムダは地面に突き刺したシャベルを掴もうと手を伸ばしましたが、タウに阻止されました。風に吹かれる木の葉のように揺れるラムダ。家族の事を持ち出せば後に引けないのは、タウも同じでした。

「よし、分かった。今夜の内に棺桶と中身だけ運んでしまおう。これ以上、無駄な話を続けていると隣の墓まで欲しがるかもしれない」

 シャベルを引き抜き、イェプシロンはタウの肩を叩きました。酷く苦々しい表情を浮かべてタウはラムダを下しました。最初に、何が欲しいと問われて墓所の権利を要求するような者がタウの道理に適うはずがありませんでした。時には諦める事も大切だ、とタウは自分に言い聞かせました。

 棺桶を引き上げ、嫌々ながらもタウは運搬を手伝う事になりました。

 学府長を宿舎へ放り込み、棺桶を中身ごとラムダの家まで運び込んだ頃には星ではなく陽光が射し始め、夜が明けていました。完全に徹夜してしまったのです。

 ラムダの家を訪れ、タウは応接間のソファにもたれかかると肉体的にも精神的にも疲れた体を横たえて眠りこけてしまいました。イェプシロンも疲れに任せてさわり心地の良いソファで眠ってしまいたかったのですが、台所と思しき所から漂ってくる匂いの正体が気になりました。

「口に合うかな?」

 ラムダが運んできたのはハーブティでした。古い本のような匂いと油の臭いと混じり、イェプシロンは知っていたはずの匂いさえも分かりませんでした。近くに来れば、どの種類のハーブがどれ位入っているのかも分かります。

 カップを受け取り、口を付けると心地よい香りが鼻から抜けていきました。いつの間にか、纏わりついていた墓場の臭いが洗い流されるようでした。

 一気にカップの中身を飲み干し、気持ちを切り替えイェプシロンは動けなくなる前にソファから立ち上がり帰宅することにしました。タウのように無防備な状態で眠るには、ソファは柔らか過ぎたのです。

「美味しかったよ。じゃあ、僕はこれで失礼するよ」

 イェプシロンは早く帰って、眠りたかったのです。整然と並ぶ本や大小の工具とではなく、壁や天井に吊るされた鉢植えや植え付けたハーブと、熟睡したかったのです。墓場や棺桶から発せられる臭いとではなく、草木や濡れた土が発する匂いを身に纏って眠りにその身を委ねたかったのです。

 しかし、そのどれも叶わぬ内にイェプシロンはソファに倒れ込みました。

「あ」

 驚いたらしいラムダの声を聞いた所でイェプシロンの世界は暗転しました。イェプシロンは自分が思っていた以上に疲労していたのです。

 薬品でも混入してしまっただろうか、とラムダは自分が淹れたハーブティの匂いを嗅いでみました。しかし、いつも通り適当なハーブを適当な量だけ入れた匂いしかしませんでした。

 応接間の二つのソファがタウとイェプシロンで埋まり、二人して寝息をたてています。タウに出す予定だったハーブティを台所に置き、ラムダは自室で仮眠をとる事もせず昨夜の戦利品を眺めました。