完璧彼女を造りましょう

15.「入れないんですね」







 ラムダは長期休業の期間、禁書の誘惑を断り、自然の理とも言える生物創造に対して挑戦していました。

「ラムダー。休み、何するんだ?」

 長期休業に入る二日前、長期休業直前の試験期間にも関わらずラムダへの贈り物は減少するどころか増加していました。試験が早く終わった者には自由が待っているからです。

 試験期間中だけは本に齧りつくタウを横目にイェプシロンは春色の包みを開けました。中には白い焼き菓子が収まって、食べられるのを待ち望んでいました。作った者がラムダに食べて欲しいと望んだ白い焼き菓子は、隣に座るイェプシロンの栄養となります。試験期間中に疲労した脳に糖分を与えて、残る二日を乗り切ろうとしているのです。

 タウもいつも以上に甘い飲み物で喉と脳を潤し、筆記試験の内容を必死に暗記していました。筆記試験はタウの最も苦手とする試験でした。

「家に籠って作業」

 予想通りマンドラゴラの悲鳴で倒れた教師は戻ってこられず、解剖学は実技試験となっていました。ラムダの都合に合わせたような日程です。

「暇なら、行っていいか?」

 目の下に黒い模様を作ったタウは吐き出すように尋ねました。

 デルタの棺桶から助け出された学府長は約束通りに学生寮の建て直しを宣言しました。議会には、これまで学生から出されていた強い要望に応えるため、という事でしたがイェプシロンが書かせた書面が効果を発したのです。

 しかし、建て直しを決めたからといっても簡単に建て直しは始まりません。建て直しの工事にかかる費用や候補地、学生への対応など問題は山積しています。それまでの間は古い学生寮で過ごさなければいけないのです。

 タウが言うには、暑い季節には暑く、寒い季節には寒いという自然体の建物だったそうです。断熱や保温などというやわな物をかなぐり捨てた清々しい建物だったようです。因みに、私やファイは、ラムダやイオタお嬢様のように寒暖の差で大きく反応するような鋭敏さは持ち合わせていません。

 タウの狙いはラムダの家の書庫です。本棚が存在しない部屋は台所しかない家でも本を管理する書庫はあります。そもそもラムダが学府に通うその家こそ書庫のついでに住居スペースがあるような造りでした。そこは常に一定の温度と湿度に保たれ、本にも人間にも快適な部屋となっているのです。

 学府の書館も同じように管理されていますが、そこで睡眠をとることは許されていません。その点、ラムダの家では身の安全さえ守れればどこで寝ようと自由です。客間でも応接間でも廊下でも眠るタウは、ファイに邪魔者扱いされて窓から外へ放り出されそうになります。まだ実行されていないのはイオタお嬢様やラムダが止めているからです。

「お、いいね。僕も行って構わないかい?」

 白い焼き菓子を半分ほど平らげたイェプシロンはフォークを振りました。イェプシロンの狙いも書庫でした。タウとは違って動物的欲求ではなく、知的好奇心からでしたが。

「構わない」

 講義の必携図書ではなく、ご両親が書かれた本から目も上げずラムダは答えました。入念な事前準備をしていましたが、何度確認しても確認し足りない、今のラムダの状態がそれです。

 この時、プシー嬢の骨は洗浄され、表面の加工も終わっていました。

 長年待ち焦がれた時が、もう直ぐやってくるのです。

 ラムダはいつもと同じように振る舞っていたつもりですが、その日に試験がある講義の本を忘れる程に内心焦っていたのです。別段本が必要な試験でもなかったのですが。ラムダの意識は目前に迫った面白味に欠ける試験になく、机の上でその時をただ待っていた私に向けられていました。心という不確実な物は、その時確かに私と一緒にいたのです。

 そんな状態が試験最終日まで続きました。

「あれ、ラムダは?」

 殆ど人が居なくなった書館の禁書棚の前でイェプシロンはやって来たタウに問いかけました。タウも同じ問いをしようとした所でした。

 イェプシロンの今期最終試験はラムダの試験時間と同じ時間帯で、タウだけが二人よりも遅い時間帯に最終試験を受けていたのです。タウは、書館の禁書棚前に来れば先に試験が終了していたラムダが本の山に埋まり、その隣でイェプシロンが大きな包みを抱えていると思っていたのです。

 確かにイェプシロンは大きな包みにラムダ宛ての荷物を持っていましたが、ラムダの姿がありません。前回の学期末試験後には、三人で揃って試験の打ち上げに川へ釣りに出掛けたのです。ラムダの言う標本採取とタウの夕食、イェプシロンの睡眠の為に。

 今回もそんな所だろう、と二人は予想して待ち合わせをしたわけでもないこの場所に集まったのです。

「今朝は会っただろ。学府には来てるハズだよな」

 最後にラムダを目撃したのは書館でそれぞれの試験へと向かう時でした。いつもと変わらぬ様子で試験会場へと向かった姿をイェプシロンは見届けていました。

「さぁ。僕は試験が終わってから直ぐに来たけど、見てないよ」

 タウとイェプシロンは揃って首を捻りました。

 ラムダに打ち合わせもしていない予定を押し付けるつもりはありませんでしたが、イェプシロンが預かった荷物はラムダへ渡さなければいけません。イェプシロンはラムダに届けるという約束で金銭を貰い、配送の真似ごとをして稼いでいるのです。楽な仕事です。

 仕方なく、大きな包みをタウとイェプシロンはラムダの家に運ぶ事にしました。

「そういえば、考古学部の研究室が一つ無くなるらしいぞ」

 大きな包みを肩に担ぎ上げたタウが聞いたばかりの情報をイェプシロンへ伝えました。言いたくて仕方がなかったのです、タウはその理由に少なからず気付いていたので。

「次の学府長選挙に出ようとしてた学部長の研究室だろ。僕も聞いた。まぁ、直ぐに新しい研究室が増えるよ」

 考古学部は主に古代文明や文化を研究する学部です。その学部長が学府を退く為に、その学府長の研究室が無くなるのです。それでも最高学府です、代役は幾らでも見つかります。タウは研究室に友人がいるので、早く新しい研究室が作られるように望みました。出来る事なら、学生をそのままにして同じような研究を続けられたら、そう思っていました。

 イェプシロンも多少の影響を感じていました。次の学府長選挙で有利だと思われていた考古学部の学部長がいなくなれば、森林学部の学部長が名乗りを上げるかもしれないのです。そうすれば講義に多少なりとも影響し、それは遠からず学生へも影響してくるのです。

 学府長を生きて棺桶から出した時、多少の影響が出るかもしれないと覚悟はしていたのですが、実際に自分の身に降りかかるとは想像したくなかったのです。

「別に、関係ないけどさ。さて、ラムダの家までもう少しだ。頑張ろうか」

 イェプシロンの言葉にタウも頷きました。二人とも起きてしまった事をいつまでも悩む必要を感じていませんでした。

 ラムダの家に到着するなり、開け放たれた玄関から小ぶりのクッションと幼い声が飛んできました。

「バカバカバカバカー。お兄ちゃんの馬鹿っ」

 涙の交じる叫び声でした。

 イェプシロンは初めて聞く声に戸惑い、タウは荷物を置いて玄関から飛び出してきたクッションを拾い上げて家に入って行きました。

 中で何が起きているのか分からないイェプシロンは外の木陰で待つ事にしました。ラムダの家には先日掘り返した棺桶、中身の分からない棺桶があるのです、無暗に入り込む必要はありません。

 タウが中に入ってから家の中では騒ぎが更に大きくなっている様子でした。タウの声と幼い声は聞こえますが、ラムダの声は聞こえません。ラムダの声が小さく、言葉数が少ないからだと決めつけイェプシロンはただ待ちました。

 時折、幼い声が物騒な「拉致」「誘拐」「バカバカー」という単語を叫んでいますが、叫んでいる間は無事である事をイェプシロンは知っていました。

 いつまで待てば良いのだろうかと溜め息を吐くと、長身の人間族らしき男が小さな荷物を抱えて来るのが見えました。荷物は男に不釣り合いな程小さな鞄でした。

「ラムダにご用でしょうか、お客様」



 男は玄関近くでイェプシロンに声を掛けました。

 イェプシロンはラムダの家族構成を知らなかったので、その男がラムダの父親か兄だと思い、会釈して曖昧に男の言葉を肯定しました。

「正確にはこの荷物がね。いつもラムダに世話になっています」

 男は頷き、玄関から飛び出してきたクッションを受け止めました。タウが家の中に持って入ったクッションでした。

「あぁ。ラムダがお世話をしているようで、貴方がイェプシロンですね。中に入られないのですか、それとも」

 次に玄関から飛び出してきたのは子供でした。家の中で叫んでいたのと同じ声で喚きながら男に抱きついたのです。目には涙を溜め、目元を赤く染め上げた顔を男に擦りつけます。男は子供よりも背が高いので、鳩尾の辺りに顔を埋めて泣き声を上げていました。イェプシロンには親子のように見えました。

「入れないんですね」

 男は荷物を降ろし、子供の背丈にあうように膝をついて頭を撫でています。

「ふぁいー。おにぃちゃんが」

 子供はぐずりながら男へ訴えました。その殆どが難解な言葉でしたが、ファイには何が言いたいのか良く分かりました。子供が兄を馬鹿呼ばわりする原因となったその場、その時に居合わせたからです。

 ファイの肩に顔を埋めた子供は、首に抱きついて嗚咽を漏らしています。

 声を押し殺して泣く子供の顔はどこかラムダに似ていました。いえ、むしろラムダの子供の頃を想像させます。ただし、ラムダのように他人を惹きつけるような顔ではありません。何処が違うとも言えない、ただラムダを小さくして独特な雰囲気を取り除いた容姿です。

「ごめん。悪いと思う」

 縮小せず独特な雰囲気を纏う本人が玄関から現れました。

 今朝、試験会場へ入っていた時と同じ服装です。どうやら試験終了直後に帰宅して着替えもしていないようでした。

 ラムダと男に抱き着く子供を見比べて、イェプシロンは聞きました。

「ラムダ。隠し子かい?」

 泣いていた子供はピタリと泣き止み、驚いて何度も瞬きをしました。瞬きをする度に溜まっていた涙が頬を伝いました。ラムダとタウも口を噤んで何度も瞬きをしています。イェプシロンの言葉にはそれだけの効果があったのです。

 泣き声が止まり、ざわつきが収まった所でイェプシロンは頭を掻きました。

「娘は父親に似るっていうけど、本当らしいね」

 人間族の迷信に息子は母親に、娘は父親に似るという事があるそうです。子供の半分は片方の親から出来ているので、似ているのは当然です。骨格から似てくるというので、顔の造りが似ているのは自然な現象です。

 イェプシロンの言葉を否定したのはラムダでした。

「違う。イオタは妹」

 同じ両親から生まれた兄妹は、同じ成分から出来ているので似るのも当然です。しかし確率の問題らしく、同じ成分から出来ていても違う物ができるのも生物の特性です。

 全て同じ物が出来てしまえば種として残っていくことはできません、違うからこそ適応する能力があります。そうでなければ全てに対して完璧に対応できる完全な存在でいる必要があります、不完全だからこそ違う事で生き残ろうとしているのです。

 ラムダとイオタお嬢様は同じ両親から生まれ、顔立ちなど似ている部分はありますが全く別なのです。

「ラムダの隠し子って、一体いつ作ったんだよ」

 タウが肩を上下させてやっと笑いました。一人で笑うタウの隣を抜けて、ラムダはファイに抱き着いたままのイオタお嬢様に手を伸ばしました。

 ラムダに顔を向けたイオタお嬢様でしたが、ファイの首に抱き着いてそっぽを向いてしまいました。