完璧彼女を造りましょう

16.「学府に入るのかい?」







 僅かに眉を寄せたラムダに、ファイも困った顔を作ります。片手でイオタお嬢様を足から抱え、もう片方の手で降ろしていた荷物を拾い上げて家の中へと入っていきました。タウがその後ろに続き、ラムダとイェプシロン、ラムダへの荷物がその場へ残されました。

 小さな溜息一つ吐いて、ラムダはイェプシロンが持ってきた荷物を眺めました。ラムダには不要の物でしたが、イオタお嬢様が喜ぶような甘いお菓子などが入っている荷物です。いつもなら自分から運ぶ事の無いそれらをイェプシロンと共に家の中へ運び込みました。

「ところで、イオタ嬢はラムダと幾つ違うんだ?」

 触り心地の良いソファに深く腰掛け、ラムダへの献上品にあった木苺のタルトを頬張りながらイェプシロンはイオタに訊ねました。甘酸っぱい木苺のタルトを香り高いハーブティで流しこみ、ハーブティのおかわりを自分でポットから注ぎます。前回、倒れる直前に飲んだ物とは違う割合のハーブティですが、イェプシロンは大変気に入っていました。

 同じく切り分けられた木苺のタルトにフォークを刺しながら、イオタお嬢様は答えました。ラムダと自分を比較するような質問をされる事をイオタお嬢様は嫌っていましたが、この時はタルトでご機嫌だったのです。

「共通歴で二つ。二歳違い」

 鼻先に木苺のコンポートのシロップを付けて、先程の泣き顔もどこへやったのか満面の笑みです。イオタお嬢様の鼻先に付いたシロップは隣に座ったラムダがさり気なく拭き取ってやり、イオタお嬢様の髪を優しく撫でつけました。

「だから、二歳児では生殖機能が発達してない。繁殖行動は無理」

 ラムダは一人だけイオタお嬢様とファイの合作である焼き菓子をハーブティで楽しんでいました。タウが嗅ぎ分けた一番安全そうな木苺のタルトを切り分けてイオタお嬢様のご機嫌をとりましたが、ラムダとしては誰がどういったつもりで作ったか分からない物をイオタお嬢様に食べて欲しくはありませんでした。

 それでもイオタお嬢様の機嫌が良くなったようで、一安心したのだと言います。甘いお菓子で機嫌が直るあたり、イオタお嬢様もまだまだ子供です。今でも十分に子供です。

 逆に、些細なことでも怒り出すと止まらないあたりも子供です。

「二歳差、ってことはラムダと同じ年で学府に入るのか。イオタ、おめでとう。何か欲しい物は無いか? 俺がお祝いしてやるぞ」

 一人で納得したタウは手を叩いてイオタお嬢様に手の平を見せました。イオタお嬢様も喜んでソファの上で跳ねました。

「本当? じゃあ、白い花がいい。白い花の鉢植えがいい」

 ひとしきりソファの弾力を楽しんだイオタお嬢様はラムダに捕獲され、ラムダの膝の上から身を乗り出してタウに欲しい物をねだりました。タウが金銭的に裕福ではない事をイオタお嬢様は知っていましたが、それとは関係なく純粋に花が欲しかったのです。切り花ではなく鉢に植えられた花が欲しかったのです。

 本当ならば庭に季節ごとの花を植えて楽しみたかったのですが、イオタお嬢様がこれから通う家には適当な広さの庭がありませんでした。既に大きな木が根を張っており、それ以上花を植えるのは木に悪いと思っていたのです。

 タウは胸を叩いて花を贈る約束をしました。

「学府に入るのかい? じゃあ、今日は卒業だったんじゃないかい。こんなに早く家に帰って来られるものだったっけ」

 修学期間はそれぞれの種族によって違いますが、共通教育では半年で一つの学期が終了します。入学と卒業も半年ごとにあり、必要な学業を収めれば卒業することができます。ラムダはまだ学府で必要とされる学業を全て収めていないので学期が終了しても卒業しません。しかし、イオタお嬢様は学府の一つ手前の学校を、その日卒業したのです。

 イェプシロンの一言に、イオタお嬢様は再び涙を目に浮かべて、自分を捕獲しているラムダに小さな拳を振り上げました。凶器となるフォークはイオタお嬢様に危険だから、とファイがイオタお嬢様の手から取り上げました。

 フォークを取られて、イオタお嬢様は両手でラムダの肩を叩きました。

 イオタお嬢様に叩かれてもラムダには大した痛みにはならないのですが、更に暴れられる前に両手首を片手で掴み、イオタお嬢様を膝上に抱え込みました。丁度、ラムダの顎下にイオタお嬢様の頭が来る位置です。顎を打たないよう、しっかりと抱き込むとイオタお嬢様はラムダの膝から逃げる事は出来ません。

「お兄ちゃんの馬鹿ー。来ないでって言ったのにー」

 両足をバタつかせ、イオタお嬢様は全身で怒りを表現しました。

「ごめん、ごめん。悪かった」

 怒りに暴れるイオタお嬢様にただ謝るラムダ。イオタお嬢様の怒っている理由が全く掴めないタウとイェプシロンに、ファイはハーブティのおかわりを勧めました。

「今日、卒業式の直後にラムダがイオタを迎えに来たのです。卒業式は少人数だったので狭い部屋を使って行われたのですが、卒業証明を受け取った直後にラムダがイオタを拉致しまして」

 正確には、部屋から飛び出したイオタお嬢様をラムダが捕獲した形です。

 そもそもイオタお嬢様が部屋を飛び出さなければいけなくなったのはラムダが来たからです。卒業生の卒業式に家族が出席する事は禁止されていません。しかし、多くの家族は翌日行われる卒業パーティに参加し、盛大にお祝いをするそうです。

 卒業式は学期末に行われる為に形式的な物で卒業証明を受け取るだけです。

 イオタお嬢様は、そのどちらにもラムダを出席させたくなかったのです。

 ラムダが現れればそれだけで大騒動になるのは分かり切っています。ラムダも分かっていましたが、イオタお嬢様の卒業式にご両親が出席出来ないので代理として出席したのです。それにラムダ自身にもイオタお嬢様を早く連れ帰りたい思惑がありました。

「大体の想像はついた。他の卒業生に見つかって、イオタ嬢が質問攻めにされた。他の卒業生は年上ばかり、怖くなったイオタ嬢をラムダが拉致して連れてきた、という事だろ」

 イェプシロンは思い当たる節がありました。

 ある時期から学府の書館でそれまでなかった人影が多くなり、禁書棚の辺りだけが妙に開けるようになったのです。危険な禁書でも入ったのか、と物見高いイェプシロンは本を探すフリをして禁書棚の方を探りました。そこには禁書以上に危険な者が座っていたのです。

 初めてラムダを見た瞬間、危険だとイェプシロンは直感しました。それが正解だと知るのは直ぐです。ラムダが帰った後に人影はそれぞれ行動に出、危険だと掲示されている禁書に触れてラムダが触れた痕跡を探したり、ラムダの背後を影のように追いかけたり、先に回って付かず離れず尾行していました。

 それだけではなく、誰かと会話をしていればラムダが去った後に会話の相手を捕まえて何を話したのか粘着質に訊ねています。タウという友人が大きな被害を受けていました。その様子を観察していたイェプシロンはこの現象を利用できると思ったのです。

 学府ではタウが被害に合いましたが、友人としての付き合いは二年程度。イオタお嬢様のように人生と同じ時間、被害を受けている訳ではありません。

「明日の卒業パーティに出らんなーい」

 頬を膨らせてイオタお嬢様は一しきり大きく暴れ、止まりました。諦めたのです。過ぎてしまった事をいつまでも嘆いていては先に起きる悲劇に対処できないからです。

「もう、いいもん。お兄ちゃんも花を頂戴ね、色は黄色がいい。くれなきゃベータ二六.九八はお兄ちゃんが起動させて」

 イオタお嬢様の小さな抵抗でした。そして最大の難問でもありました。

 ラムダは苦笑し、明日一緒に花屋へ行く約束をしました。イオタお嬢様は花の鉢植えだけで私を起動させるのではありません、イオタお嬢様にとっても私の起動は一つの夢であり目標でもあったのです。

 ラムダが待っていた最後の一つはイオタお嬢様です。

 古代兵器の部品の修理、部品である骨や人工筋肉の準備と組み立ては他の者でもできましたが、起動できるのはイオタお嬢様だけ。それは現在においても同じです。部品の組み立てはラムダでもできますが、イオタお嬢様しか起動は出来ません。イオタお嬢様がいなければラムダでも私に出会うことはできませんでした。

 イオタお嬢様が起動方法は教えられても、実行しても、他の誰がやっても起動できないのが現状です。

 甘いお菓子や花を欲しがるイオタお嬢様ですが、その気になれば世界中のお菓子や花が手に入るのです。しかし、イオタお嬢様はそんな事を望みません。

 自分の手が届く範囲、ラムダが取ってくれる範囲、ご両親が与えてくれる範囲、それだけで十分なのだとイオタお嬢様は言います。