レッツ採掘!~題名に意味はありません~

6.バトル・アックス又はバトル・ハンマー





 ロリホモから距離を取りつつ、今度こそ集中するヴァスの大きな背中を見つめる。その背中が段々と大きくなっていく気がする。身体に力を溜めているのだ、自分の力を最大限解放する為に。深く息を吸い込むたびに、周りの力を吸いこんでいるようだ。

 眼鏡に言わせると、世界に満ちているマナを取り込んでいるそうだ。マナが一体なんなのか私には分からない、見えないから。それでも、知識としては何となく分かる。マナは力の根源なのだろう、その程度。

 ヴァスの身体がぐうぅっと大きくなった。

「はぁあああぁぁっ」

 大気を打ち砕くような勢いで拳が門に打ちつけられた。

 門が一瞬二つにぶれて、一つが消えた。まるで吹き飛ばされるように消えたそれは、拳が作った風圧で消されたようにも見えた。残った木の板はミシミシと音を立てて砕ける。封印がなされていなければ、とうの昔に朽ちていたのだろう、封印が解けて本来の木に戻ったのだ。

 門の向こうには坑道の入り口があるはず。だった。

「キイィィィィ」

 銀ぴかのトゲトゲしたものがこっちを向いた。



**



「おっ出た出た」

 ヴァスが自分の上着を拾いながら、当たり前のように手に布を巻く。素早くテーピングを済ませると余りを上着に入れた。

 呆然としていると、銀ぴかのトゲトゲは虎のような動きで跳躍すると一人を押し倒して喉に噛みついた。血飛沫が散った所で、ようやく悲鳴と喚き声が広がったが、そこは慣れた状況。直ぐに正気になった。

 集団戦法に慣れているらしく、柄の長い武器を持った奴が、盾を構える剣士の後ろから突く。剣士は盾に隠れつつ銀ぴかを囲みつつ手にした武器で攻撃を加えていくが、

「弾かれてる」

金属の武器が良い音を立てて弾かれ、終いには折れたり欠けたりしている。身体は見た目と通りの金属なのだろう。

 木の上から色黒エルフが弓を射かけるが弾かれるばかりだ。

「どっけえぇえ!」

 ロリホモが盾の間を割って入り、銀ぴかに重い戦斧の一撃を加えた。振り下ろすそれは鎧ごと人間を潰すことができる程の威力がある。やっと銀ぴかは噛みつくのを止めて飛び退った。

 銀ぴかの姿は金属で無理やり作った鬣のあるライオンのようだった。荒々しい鬣は鋭く、身体もゴツゴツで棘が出ている。顔と思われるそこはさっきまで噛みついていた者の血で赤く染まっている。

「キイィィィ」

 そいつの唸り声は金属をこすり合わせたようで、耳が痛かった。全身が金属で出来た、虎の動きをするライオン。鬣が付いただけの虎は身軽で、次の獲物に狙いをつけて跳んだ。



「鎚(ハンマー)で討て! 刃物は弾かれるっ」

 ロリホモの指示が飛ぶ。自分は戦斧を振り銀ぴかの頭を狙い、潰しにかかる。どんな生き物でも頭を潰されれば生きられない。

 ロリホモの指示で戦(バトル)鎚(ハンマー)を持った者達が銀ぴかを囲み打ちつけようとするが、重い武器を振るより先に銀ぴかが動く。一人が振りかぶったところで横から引っ掻かれ胸にしていたプレートを引き裂かれた。仲間に抱きとめられたが、そのまま何人かがかたまって飛ばされた。

 後ろで本を開いていた者と、杖を持った者から光の矢が飛んだ。

「ギイィィィッ」

 矢は身体に刺さり銀ぴかが声を上げた。

 辺りで使えそうな物がないか探していた眼鏡が私を呼んだ。重そうに抱えているのは網。眼鏡一人で持ってくるには時間がかかる。傍に走り寄り、受け取ると大きく一歩踏みだし身体を回して銀ぴかに投げた。

 上手く銀ぴかだけに網がかかり、銀ぴかは身動きがとれない。そこにロリホモが戦斧を振り下ろし、頭を潰した。銀ぴかは痙攣を起こしそれ以上動かなくなった。

「なんなんだこいつはっ」

 ロリホモが息を荒げて誰ともなしに聞いた。こっちが聞きたいくらいだ。私達が探していたのは動かない金属の方だ。こんな奴聞いた事も見たこともない。

「それが、お前らが探していた物だぞ」

 門の向こうを見据えたままのヴァスが答えた。そして、その向こうで数匹の銀ぴか達と向き合っていた。



***



「キイィィィィ」

 上の方から金属がこすれ合うような音が聞こえた。門から離れた所で幾人かが耳にした。

「始めたらしいな」

 頬に幾筋かの傷を作ったファーンが音のした方向に目を向けながら呟くように言う。銃口を向けられたままにしては冷静すぎる。

「何の事だ? こっち向け!」

 二つの銃口をファーンとセシルのそれぞれに向けながら、ガスは肩を激しく揺らす。面白くないのだ、大抵の奴は銃を向けると怯えるのに、この二人は全く恐れていない。それが無性に腹立たしい。

 一人は分かる、全身鎧を着ていて金属の弾が当たっても効かない場合があるからだがそれでも当たれば分からない。もう一人は鎧を身に付けていない、厚手のコートを着ているだけだ。しかも先程、顔に向けて鉛玉をお見舞いしてやったのに全く意に介していない。そして、何より血がほとんど出ていない。ガスは気味が悪かった。

「上で何人生き残っているかな?」

 ファーンは舌舐めずりした。

 その言葉の意味が分かるのは、仲間の一人が息を切らして知らせにきた時だった。



「ガぁス! 来てくれ、変な奴が出たんだお頭が呼んでる! 来てくれ」

 誰よりも先に動いたのがセシルだった、その後にファーンが続く。重い鎧を着ていることを思わせない動きだ。どうしてあんなに早く動けるのだろうと、後ろをついて走る形となったガス達は山道に息を切らしながら思った。

「今夜の酒は美味そうだ」

 嬉しそうに先頭を走るセシルが前を向いたままファーンに感情の高ぶりを伝える。ただそれに苦笑いで応えるしかなかった。



**

 拳を握り、そこに集中し固い金属の塊を殴りつける。テーピングをしただけの素手とは思えないほどの威力、金属の塊が大きく凹む。

「うおぉぉらぁあっ」

 たたみかけるように両手で金属の顔面を殴る、殴る、殴る。…動かなくなった。もう顔面の部分に拳の形がうっすらと残る程度で、薄く伸びた顔の金属は後ろに反りかえっている。顔の面積が広がった後はゆっくりと後ろに倒れた。

 そんな暴挙をしているのは勿論ヴァスだけで、他の者たちは逃げ惑うか、斧や鎚を手に潰しにかかっている。それも無い者は鎚矛(メイス)などの他の武器を振るう。だが、こういった武器は重みで潰す為の物。それ自体が重く振るう者を選ぶし、どうしても動きが遅くなる。素早く動く金属の塊の餌になるか、それより先に振り下ろせる連携かが命運を分けた。

 最初にゼラニウムとパステルがやったように網を投げて動きを少し封じた所で何人かで潰しにかかる作戦が無言の内に成り立った。それでも数が足りない。頭数は圧倒的にこちらが多いのに、網や武器の数も勇気の数も不足していた。

 パステルも自分の武器は手にせず手近にあった採掘用のつるはしを武器になんとか自分とゼラニウムの身を守っていた。

「かったぁい」

 安物の大量生産品なんて持ってくるんじゃない馬鹿ロリホモ! あっというまに使いものにならなくなるじゃない。ここの金属はこんな硬度の低いつるはしじゃ掘れないわよっ! 

「! ヴァスもしかしてこいつらここら辺の金属で出来てるの?」

 三匹目を潰したヴァスが振り向いて、こちらに走ってきた。私が呼んだのは分かったが何を言っているのか聞こえなかったのだろう。無理もない、そこいら中で銀ぴかの鳴き声と金属を打つ音、悲鳴が上がっているのだ。私の声を聞きつけられただけでも素晴らしい耳の持ち主だと思う。

「なんだって?」

 やはり聞こえてなかった。ヴァスが顔を寄せたとき、後ろから銀ぴかが躍りかかってきた。ヴァスが目の前にいる、銀ぴかがその後ろにいる、つるはしを振るとヴァスに当たる。

 ヴァスの裏(バック)拳(ナックル)でその不安と銀ぴかは文字通り吹き飛んだ。

「なんだって?」

 さっきと変わらぬ声で、何事もなかったかの様に今一度訊いてくる。

「…こいつらって私達が探してた金属なわけ?」

「そう。昔誰かが金属に悪戯したんだろうな、それでここが閉鎖されたんだろう。簡単に言うと石像の悪魔(ガーゴイル)の金属版だな、金属生命体?」

 眼鏡が頬を引きつらせる、よくもそんな事を簡単に言ってくれるものだと怒っているのだ。

「ヴァスは知ってたの?」

 ヴァスに背後と眼鏡を任せて、近くにいる銀ぴかにつるはしを振り下ろすがそのまま刺さって抜けない。そこから振り回され、落とされるが受け身をうまく取れた。自分の身体能力を褒めまくるわ! そしてこんな時に発揮される幸運にも。

 すぐ近く私と同じ目に逢ったのだろう、動かない男から武器を借り受けて、つるはしが今頃抜けた銀ぴかに振る。

 棒が通過した後、時間差で棘の付いた鉄球が金属生命体の横っ面を引っ叩いた。遠心力のついたそれは、自身の重さだけでなくスピードでも威力を上げるモーニング・スター。まさに、寝起きの朝に星が飛んでいるような気分になれる。これで引っ叩かれたら、目の前で星が輝く事は間違いない武器。

 新たな武器を手にヴァスと眼鏡のもとに走り寄る。

「さっきの続きだけど、ヴァスは知ってたの? こいつらのこと」

「いや全く知らん。だがリーリアリの封印は神官級(クラス)の芸当だ。つまりかなりヤバいモンが中にいるが、肉弾戦で倒せないモンじゃないってことだ」

 そんな知らない物に手を出すんじゃない! って私もか。私はいいの、ちゃんと調べなかった眼鏡が悪いんだから。それと、そういった大事な情報は昨夜の内に教えておいてほしかったんだけど。

「私って非力なの! 夕べの内に準備しておきたかったわ!」

 ヴァスに文句を言って、さっき横っ面を引っ叩いた銀ぴかに躍りかかる。さっきより勢いをつけて上からモーニング・スターを振り下ろす。

「…非力って」

 ヴァスとゼラニウムはこんな状況なのに笑ってしまった。真横から金属生命体が襲いかかって来ても、ヴァスは同じ表情で横に殴る。

「はは。彼女モーニング・スター片手で軽々と振ってますよ?」

 パステルの言うとおり非力なら逆に武器に振り回されているし、軽々とは振るえない。彼女は自分が言うほど非力ではない。

 笑っているヴァスとゼラニウムの頭上を、金属生命体が身体を“く”の字に曲げながら飛んできた。目の前に落ちたそれは、周囲の視線を集めるには迫力十分だった。次にその視線は飛んできた先に向けられた。この状況下で唯一お気楽に構えていたヴァスが手を挙げ、手招きして視線の先の者に呼びかけた。

「いよぅ。好きだろ? セシル」

 両手剣を片手で構えるセシルと、手袋を外し始めたファーン、それに肩で息をする勧誘手続き部隊とガスだった。

「あぁ大好物だ」



***



 片手剣より一回りも二回りも大きな両手剣を見た周りは一斉に場所をあけた。両手剣を振り回すといったら戦鎚や戦斧と同じで、重みに任せて辺りを吹き飛ばすといったものだが、決定的に違うのは柄の部分が剣と同じ程度で、戦鎚や戦斧では柄の部分が代わりに刃になっているという事だ。上手く当ててくれると骨が折れたり吹き飛ぶだけだが、本当に上手いのは胴や腕をひっかけて切断してくれる。

 刃物でできた台風だ。

 金属を叩いているというのに弾かれていないところを見ると間接の部分や弱い部分を狙っているのだろう。

「セシルに逆らうのを止めようと俺は再決心したよ。今」

 左半分の顔が潰れた一匹を下に殴り倒し、痙攣を起こしているのを確認したヴァスは、魔法に集中しようと本を広げるゼラニウムの緊張を解こうとした。結果、集中どころではなくなるほど吹き出した。

 セシルが下から飛びかかる一匹に、本来の持ち方、両手で振り下ろした。切断とまではいかなかったが、半分以上が切られてなんとか繋がっているだけの状態で、痙攣すら起こさないまま倒れて動かない。これでは弱い部分を狙っても狙わなくても、動けなくなることに変わりはないだろう。

 金属生命体の破壊数はヴァスにとってかわってセシルが一番になりつつあった。派手に暴れまわるセシルと地味に相手を殴り倒していくヴァスとファーン。三人でかなりの数を減らしていくが、それでも、まだまだ坑道から出てくる。質も量もある鉱山だったらしいが、今はそれが裏目に出ている。

 いっそのこと坑道を塞いでしまおうかとパステルは考えたが、あれだけの数がいるのだ。直ぐにではなくても時間はかからず出てきてしまうだろう。ヴァスに頼んでもう一度封印を試みるか? いや、ヴァスが神官級でなければ封印はできないと言っていた。僧兵と宣言していたヴァスでは無理だろう。では、聖戦士のセシルや他の僧侶(ビショップ)、司祭(プリースト)ではどうだろうか? できるのなら今頃準備をしているだろうし、今の状況でセシルに近付くのは自殺行為だ。

「封印できないかしら!」

 幾筋かの光の矢を放った直後の眼鏡に走り寄り、相談を持ちかけるが、ヴァスも眼鏡も首を横に振る。

「何を言う! これは試練だ。それに封印なんてもったいない。こいつらが目的で来てるんだろ?」

「お金より命が大事ですよ! でもっ短時間で組める封印なら直ぐに破壊されますし、門を作り直す時間なんて」

 こんな時に役に立たないなんて! なんの為の魔法よ。眼鏡のバーカ! 後ろで次の魔法の準備してなさい。

「これで解呪を使え!」

 突然、長い棒きれがファーンの声と共に飛んできた。

 本能なのか、飛びついて来た金属生命体をヴァスが蹴り飛ばし空中でヴァスが棒を捕えらた。飛んできた方向には血を流して戦線を離脱した魔法使いらしきとんがり帽子の男が仲間に抱えられている。その隣りに一匹を沈めたファーンがいた。

 眼鏡が棒をヴァスから受け取った。棒は根が宝石を捕まえたようなデザインの殴る為の杖だった。受け取った眼鏡は初め何だか分からないようだったが、急に合点がいったのか、顔を上げて本を荷台に投げ入れた。

「これであいつ等にかかった呪文を解きます。パステル援護をお願いします!」

 杖を両手で握りしめ、集中する眼鏡にはいつになく迫力がある。たまには前に出て戦う気になったらしい。それで役に立つなら、大いに歓迎するぞ眼鏡。でも、

「直接殴らなくちゃダメなわけ? 遠くからは」

基本的に体力がない魔法使いがあの素早いのを殴れるわけ?

「やってみましたが効果はありませんでした、でもファーンさんは拳に呪文を溜めて直に当てて倒していました」

 つまり、接触でやっと魔法が解けるのね。当てられるのはファーンだからだと思うけど、やってみなくちゃ分からないわ。少しは使える魔法使いじゃない、褒めてあげる。少しだけ心の中だけでね。



**



 散々どこかの僧兵に襲いかかったのか、拳の跡がしっかりと横っ腹に付いている一匹に盾を前にして横からモーニング・スターを振る。銀ぴかにぎりぎり届かない横へ避けられた、だけどその先に眼鏡の杖が振り下ろされて額に直撃した。

「ィィイイイッ」

 かなりうるさい唸り声を上げて地に伏して、前足をばたつかせている。そこにもう一度モーニング・スターを振り下ろした。今度こそは動かなくなった。

「やったわ! 次に行くわよ」

「えぇ!」

 後ろで集中できずに唱えられない魔法より、一撃でのたうたせる方が随分と良い。これなら足手まといになりつつある魔法使いの立場もなんとかいい方に向かうはず。

 次の一匹にモーニング・スターを振ろうとした瞬間、横合いから違う一匹が飛んできた。

避けきれない。盾は横を守れない。

眼鏡が後ろから私に倒れこんできた。ぎりぎり上を通過した銀ぴかは滑って転んだ。そいういうところは本物の動物のようだ。

 一難去って…襲いかかろうとした一匹が、顔を上げた先で口を開いて待っていた。既に誰かを襲って血に濡れたその口に危なく顔を突っ込みそうになり、慌てて。下がった。

 私より先に立ちあがった眼鏡が杖で突くが簡単に避けられてしまい、逆に私が引っ掻かれそうになる。盾が今は凄く重い、持ちあがらない!

 胸のプレートが銀ぴかの爪を弾いた。

 そうだった、胸部だけはこいつらと同じ金属でできているんだった。それにこいつらより精製されているぶん固いはず。助かったんだ。  ちょっと安心している間に眼鏡が必死に杖で打とうとするが、素早い銀ぴかにかすりもしない。だが、突然当たりもしないのに、ゆっくりと倒れた。

 必至に突きを繰り出していた眼鏡には分からないだろうけど、横から一陣の風のようにファーンが首に一打当てたのだ。

「たっ助かったわ。有難う」

 息を荒くしている眼鏡に代わってお礼を言う間に、また風のように去っていく。

「魔法使いとしてのレヴェルも違いますね」

 息を整えながらやっとそんな事を言った眼鏡は悔しそうだ。魔法使いとしても負けたら何も残らないからだ。顔も、体格もファーンの方がカッコイイし、体力も魔法力もファーンの方がある。勝てるとしたらドジな所くらいじゃない?

「そうねたった一撃で倒しちゃうんだもん。私とあんたを足した以上ね」

 少しだけ慰めてあげるわよ、自分の為に。



**



 魔法使い達の活躍もあり、動かなくなった金属生命体が山となった。大半をセシルとヴァス、ファーンが積み上げたのは言うまでもない。残りが数匹になった所で坑道から一際大きな雄叫びが聞こえた。残っていた数匹が坑道に駆け戻る。

 何とか五体満足に残っているが、満身創痍。まともに動ける人数なんてたかが知れているのに、あの銀ぴか共を呼び戻せるような親玉が出てきたらたまったものじゃない。しかも、いつ出てくるか分からないのではおちおち封印の準備もできない。

「さてお次はなんだ?」

 服が所々破れている以外は最初と変わらないヴァスはどことなく楽しそうだ。

流石、自分の極限を求める僧兵。そうかいこの程度の事は経験済みってことね? そんな脳みそまで筋肉に付き合ってたら身がもたいない。こっちは盾は二枚目、持ってるモーニング・スターなんて棘が取れて鉄球の形も変わっている。鉄球と持っている棒の部分を繋いでいる鎖も外れかけてるのが一個や二個じゃない。

 隣にいる眼鏡も汗だくで今にも倒れそうなのだ。眼鏡の持つ杖も、魔法の媒体となる宝石部分に大きなヒビが入っていていつ砕けてもおかしくない。

 これでも私達はまだ無事な方。武器すら折れて盾で殴るしかなくなった者、何とか動けるが出血がひどい者、既に動かなくなり久しい者。

 まともに武器を手にして立っている者は少ない。ロリホモとガスが立っているのは、流石に一団を率いるだけの実力者という所だ。それでもガスは弾数を気にしている所を見ると、もう期待できないだろう。そもそも、遠距離からの魔法は効かないから魔法弾の効果はないし、片手で扱える程度の銃で撃ちだす弾丸なんて至近距離じゃなきゃ意味がない。物理的後方支援は全く効果が無いなのだ。今回に限るとガスの銃も色黒エルフの弓も無意味なので、むしろ兆弾が仲間に当たると邪魔この上ないのだ。期待も何もしない、帰れ! 

逆に銀ぴかの首を幾度も刎ねて、何故か原型を留めているロリホモの斧は是非とも何で出来ているのか聞いてみたい。あれだけあの金属の塊に叩きつけられて刃こぼれ程度で済んでいる理由が何なのか。

 両手剣を振り回していたセシルの武器に至っては刃こぼれすらしていない。あんな剣を片手で振り回す程の奴が扱う武器だ、根性のある武器なのだろう。素手で相手を殴りつけているヴァスに関してはもう何も言うまい。自分の拳や足に僧兵独特の魔法をかけて、自分自身を強化して身体を武器化していたのは分かっている。分かって入るのだが、なんか納得できない。ファーンもまだ元気そうだ。

 私の眼は間違ってなかったって事ね。上手くヴァスを引いて、これだけの戦力をここに持ち込めたのだから。というか逆にこの位の戦力がなかったら全滅していた。

「なんだよアレ」

 誰かが呟いた。

 砕けた門の向こう、坑道の闇から数匹の銀ぴかを伴って出てきたのは、向こう側が透けて見える雌ライオン。銀ぴかよりも一回り大きい。銀ぴかは荒々しい金属だが、こいつは向こうが透けている滑らかな物。しかも額に奇妙な模様が刻まれているのが見て取れた。

「アレは! そいつらの頭を潰して下さい!」

 悪い視力で模様を見た眼鏡が蒼ざめて叫んだ。

 透明なライオンから目を少し離した時、視界の端で何かが揺れた。何事かと振り返ると銀ぴかが飛んでいた。目の前が銀色に包まれ、鋭い恐怖が腕を押し上げていた。

 盾ごと押し倒され、息が出来ない。なんとか押し返そうとするが、重くて出来ない。下手に腕だけ伸ばせば爪と牙が容赦なく襲いかかる。先程までなら諦めて他を狙いに跳んでいるのに、私から離れようとしない。

 急に盾にかかる重みがなくなった。セシルが横から吹き飛ばしてくれたのだ。

「大丈夫か」

「なっ、なんとかぁ」

 大丈夫だから、私の頭上にその両手剣を持ったままにするの止めてくれないかしら。あなたがちょっとでも力を抜くと、私のか細い首がずっぱりと斬れるんだけど。

 心が通じたのか、剣をどけてくれた。これで安心して起き上がれる。盾を横にどかして起き上がると笑いたくなるような光景がだった。  透明な奴が銀ぴかに額を擦りつけると、再び銀ぴかが動きだし。



**



 眼鏡が頭を潰せと言ったのはこの為か。多少壊れていても気にしていない様子で、銀ぴか達は再び動き出した。透明が次々と銀ぴか達を起こしていく。ゆるゆると復活の儀式が行われる。

 眼鏡が最弱だが最も早く唱えられる呪文で、透明に魔法を放った。しかし、透明に魔法が当たったと思ったら身体の中を屈折して、元の方向に身体から出てきた。予期していたのだろう眼鏡は、大きく横に跳んで避けた。

「やはり。魔法は反射されます! 直接攻撃しかありません!」

 やはりって何よ! 知ってたんなら試すんじゃない馬鹿眼鏡。当たったらどうするのよバーカっ!

 直接攻撃ったって、銀ぴか共の真ん中にいるのよ透明は。近寄らせてくれるわけがないでしょう。しかも段々と数を戻しているのよ。

 眼鏡が絶望の中、ロリホモに走り寄った。お前、遂にそういう方向に走ったかっ。

「この中にツァコ神の信者はいませんか? ラウンド派でもハンベル派でも構いません。この際、バロック派でも結構です」

 眼鏡を追いかけ、しょうがなくロリホモに近寄る。自分の身もロクに守れないくせに一人でどっかに行くんじゃない眼鏡。生きて帰ったらその眼鏡を割ってやる。というか、もうヒビ入ってるけど。

「急にそんな事を言われても。いるにはいるが…」

 ロリホモは自分達が持ってきたトロッコの近くで腕を抑えたまま動かないとんがり帽子の男を見た。あいつかっ。

「なんでそんな奴を今探すのよ」

 前を警戒しながら傷付いた盾で身を隠す。この武器もいつまでもはもたない、後一撃でも当てられたらいい方だろう。武器を拾おうにも落ちているのは壊れているものばかり、まともなのは自分の腰にある剣だけだが、銀ぴかには意味がない。

 銀ぴかの復活を阻止しなければ全滅は免れない。それどころか、こいつらを放つ事になる。それだけは防がなければならない。

「あの他の金属動物たちを復活させている透明動物の額にあるのはツァコ神の模様です。正確には呪詛です。永遠の復活を望んだ呪詛で一度模様を刻まれたそれに主(マスター)となる模様を当てることで激痛と共に復活します。生物はそれで最後の死を迎えるのですが、こいつらは…」

 痛みを感じることがない金属なら永遠(エターナル)の(・)復活(リザレクション)が出来るってわけね。最悪っ! 考えた奴を殴り飛ばしてやりたくなるくらいに。

「同じ宗教者なら呪を解けるってわけね?」

「多分。ここは強調します。このテの呪詛が禁呪とされている可能性は大いにあります。下手をすれば解呪の方法が忘れられているかもしれません。僕が知っていたのは古書に似た記述があったからで、それも戦術兵器として載っていたんですから」

 昔の戦術兵器ってエゲツナイものばっかりじゃない。しかも解呪の方法がないかもしれないって、ツァコの信者が今へばってるんじゃ、どうにもならない。

「コルスト! 他にいないわけ? あんな大規模展開してる宗教の信者の一人や二人!」

 苦虫を潰したような顔をして、蘇り再び動き出した一匹に戦斧を振り下ろす。頭を潰すか、動けなくなるまで潰すまで動き続ける金属のライオンなど残された人数とレヴェルではどうにもならない。

 しかも、厄介なことに透明なライオンは金属生命体に守られながら次々と復活させている。魔法も返されるのでは遠くから狙えもしない。

 もしかしたらあいつを壊せばこの戦いは勝ったも同然?

「…取りあえず、あの透明な奴の頭を砕けば復活は出来なくなるんでしょうね?」

「それは補償します。あれが主なのは間違いありませんから」

 こうなれば一点突破あるのみ! 見てなさい女の花道!

 覚悟を決めて身体を低くし、走りだすタイミングを見計らっていた時、眼鏡が肩を抑えた。

「パステル待って! 誰かツァコ神の信者か信者だった者はいませんか? セシルあなたは!」

 眼鏡が苦しそうな声で必死に周りに伝える。誰か一人でもいいツァコの関係者はいないのだろうか、その耳に届かないのだろうか。銀ぴかの唸り声で掻き消えそうなその声を聞きつけたセシルが両手剣を振りながら叫ぶ。唸り声を上げていた銀ぴかの一匹が、遥か頭上を飛んでいく。金属同士が当たる音がした。

「済まない! 氷と炎の信者だ!」

 …どこよ、それ。もしかして名前もない土着の精霊教? セシルってヴァスより少数派なのね。いや、今はそんな事考えている暇はない。

透明なライオンが出てきてから、今まで各個で動いていた金属生命体は透明を守るような陣形を組み、連携してセシル達を襲っている。今までの大振りが出来ないセシルは苦戦している。どうやらセシルを一番厄介なものと認識しているようだ。

 ヴァスも複数体に囲まれると動きずらいが、上手く立ち回って数体と睨み合っている状態だ。素早く相手の呪文を解いていたファーンはそれでは効き目が薄いと分かりつつも、撹乱しながら透明の遠くで金属生命体の呪いを解いている。しかし、魔法使いのそれでは完全には解けていないのは透明なライオンが出てきてから分かっている。

「ツァコの関係者はいないか!」

 ロリホモが吠えるようにして叫ぶが返事がない。聞こえていないのか、聞こえていても返事ができないのか、それともいないのか。どれにしても絶望の色が濃くなる。

「ゼラニウム! その呪詛はどれ位古い物だ?」

 銀ぴかの陣形が崩れた一瞬の隙をついて、銀ぴかの檻から抜け出たヴァスが一匹の頭を打ち、寄る。もしかしてリーリアリの解呪でどうにかなるのだろうか。こいつらを封印出来ていたほどの女神の力だ、今すがっても損はないだろう。

 ヴァスの問いに対するゼラニウムの答えは曖昧で、答える口元は歪んで苦虫を潰したような顔だ。

「かなり古いものとしか言えません。おそらくツァコが成人男性として描かれ始める前です」

 ヴァスを囲んでいた一匹が今度こそ逃がすまいと口を大きく広げて飛びかかってくる。それを左足で横に蹴飛ばし、態勢を崩した所で、ロリホモが首に斧を振り下ろし、何撃が加えて銀ぴかの首を完全に切断した。

「よし! それ位なら大丈夫かもしれん! 俺が直接解呪を叩きこんでくれる!」

 いや、ヴァスの攻撃が当たれば普通に砕けると思う。だって透明なのは金属より砕きやすそうだし。一撃当てれば私にだって砕けそう。

「ちょっとまて、お前はリーニャク教徒だろうが」

 ロリホモが正論で冷静に突っ込む。確かにそうだ、それ程強くない呪詛なら解けそうだが、戦術兵器としても用いられているのだ、対策を講じていないわけがないだろう。こんな時に冷静でいられる事が逆に恨めしい。考える時間が判断を遅らせる。

 しかし、ヴァスはお構いなしだ。

「そんな物は愛と勇気と友情と努力と根性でどうにでもなる!」

 なるかっ! そんなもんでどうにかなるかっ!

 それでも助かりたい一心の私は必死にイチルノノゾミに賭けてみる事にした。解呪なんてどうでもいい、ヴァスの一撃さえ当たれば相手は砕けてくれるだろうから。…きっと。



**



 銀ぴかが復活するが早いか、透明を打ち砕くのが早いか、悩んでいる時間もない。まだ動けるうちに銀ぴかの中心にいる透明をヴァスに砕いてもらわないと、勝った後に襲われて全滅しましたなんて嫌なんだから。

 その為には愛と勇気と友情と努力と根性でどうにかしてもらいたい。あまり期待していないから、私も一撃与えるつもりで行くけど。

「行くぞぉ!」

 ヴァスが気合いをかけて走り始める、その左右を私とロリホモが挟んで後ろを眼鏡がついてくる。

 透明なライオンを守る金属生命体を寄せ付けないための無言の内に成立した策だがこれでヴァスを送り透明なライオンまで届けられるか、無謀な突進になるか、やってみなくては分からない。やらなくては現状は悪化するだけだ。

 銀ぴか達が透明に猛突進する私達に気付いて向き直り唸りを上げる。飛びかかろうと跳躍しかけた時、横から銀ぴかがそいつに体当たりをした。いや、自分の意志ではない、セシルが一匹をぶっ飛ばして当てたのだ。その証拠に道を作るように何匹もが同じ方向から飛んできて、手足をバタつかせながら銀ぴか同志がぶつかっている。

 セシルの援護もあり予想外に道が開けるが、それでも減った数は少ない、透明なライオンを守る金属生命体の数が多過ぎるのだ。しかも透明なライオンが金属生命体の復活を後回しに逃げ始めた。逃げた後を塞ぐように金属生命体が集まり、透明なライオンを逃がそうとする。

これではヴァスが近寄る前に私達の体力が尽きる。なけなしの体力を気力で補っているがそれも限界が近いのだ、何かの拍子に動けなくなるのは身体から伝わっている、それを無理に奮い立たせ走っているのだ。止まったら、もう動けない。

 逃げる透明なライオンの後を塞がれる前に必死に追う。透明なライオンは金属生命体程、早くないのが助けだが、金属の壁が邪魔する。

 透明なライオンが逃げた先で影が動いた、誰か元気な奴がもの凄い速さで透明なライオンに駆け寄ったのだ。この中でそんな元気がある者はほとんどいない。遠くで金属生命体の数を減らしていたファーンに、透明のライオンがいつの間にか近付いてしまったのだ。私達後ろに気を取られてういた透明なライオンは、いつの間にか目の前にいるファーンに気付かなかった。

 解呪の呪文を拳に溜めたまま、透明なライオンの鼻を正面から突く。



つるっ



 ファーンの拳が当たったのに滑った。

 見ていた者は皆、目が点になったのは言うまでもない。

 冗談としか思えない絵図だった。ファーンの攻撃は確実に当たっていたのに、それが滑らかな透明な身体で受け流された。力の方向が反れたファーンは体制を崩してつんのめる。が、踏みとどまって体制を立て直した。その間に透明なライオンは顔を振って逃げる。

 私達に壁を作っていた銀ぴか達が、今度はファーンに走る。思わぬ伏兵に優先順位を変えたのだろう。それを避けつつ再び透明に追いついたファーンは何を思ったか、自分の爪で透明の後ろ脚を引っ掻いた。

 殴ってダメならってそりゃないでしょ!



「ヒイィィィィィッ」

 透き通った悲鳴が辺りに満ちる。金属生命体の不快な声とは真逆のその声は転げまわる透明なライオンが放ったものだった。身を起こそうと力を込めるが引っ掻かれた足をかばい立ち上がれない。金属生命体が駆け寄り、寄り添いなんとか立ち上がらせたものの、足を引きずっている。

 これはチャンスだ! これ以上ない位のチャンスだ!

 透明を気にする銀ぴかの間をぬって動けない透明に走り寄り、モーニング・スターを振る。透明に寄り添っていた一匹が身を呈して庇い、鉄球を弾いた。弾かれた鉄球は鎖の束縛から放たれて宙を舞う。私の最後の一撃は透明に届かなかった。だが、こちらは武器を一つ失ったが相手も金属の盾を一つ失ったのだ。武器一つと引き換えに透明への道が見えた。

「だあぁ!」

 ヴァスより先に眼鏡が踏み出し声を上げて注意をひきつける。解呪の呪文を溜めたままの杖を突きだされて金属生命体の一匹は身をよじりその先で待っていた戦斧が引っ掛けて放り投げる。透明なライオンを引っ掻いたファーンも銀ぴかの注意を引きながらその場から離れる。

 透明なライオンの周囲が一瞬だけがら空きになった。

「あぁあぁぁっ」

 透明なライオンが逃げようとした時には、ヴァスが上から拳を振り下ろしていた。門を壊した時のように身体が一回り大きく見え、振り下ろした拳には陽炎がまとわりついていた。

 もう一度、麗しい悲鳴が上がった。



**



 地面をゴロゴロと転がり、土煙りを上げながら透明は暴れている。そこに残っていた銀ぴかが集まり、輪を作り唸りを上げ、跳ねまわる。これでツァコの呪詛が解けていなかったら怒るから、メッチャクチャに怒るから! 鉄球が取れて棒の先に鎖がお飾り程度に残った武器を投げ捨てた。もうこれでは役に立たない、町に行けば直せるかもしれないが、そこまでさっき拾った武器に愛着はなかった。  息をするのも辛い、喉の奥で血の味がする。口の中ががさがさで、今すぐにでも水が飲みたかった。ほんの一口でいい。たった一滴でもいい、今すぐにでも水が欲しくてたまらなかった。

「呪詛が…解け…てない?」

 眼鏡の最低な呟きに、無いはずの唾を飲み込んだ。

 土煙りが落ち着き、銀ぴかが動きを止めた。

 土に汚れてもいない透明な雌ライオンが目に赤い光を持ち、低く構えて怒りの形相で睨んでいた。透明の方が銀ぴかより迫力があった。  動いている、戦術兵器はまだ動いている。リーリアリの解呪では、ツァコの呪詛を解けなかったのだ。そうでなければ、何故アイツは動いている。こちらを睨みつけている。ダメなのか? こいつらを倒すことはできないのだろうか?

 酷い虚脱感に襲われて足腰の力が抜け、その場にへたり込んでしまった。有効な武器ももうない、盾だってもう持ちそうにない。

 涙が零れそうな目で見たのは、ゆっくりと倒れ始めた銀ぴか。



 一番驚いているのは透明のようだった。自分を囲む輪が段々と崩れていく。それも急速に。

 何が起きているのか分からないといった様子で赤い光が右往左往している、それでも睨みつけるその赤からは怒りが消えない。

「よっし! なんとかなったぞ」

 額に光る汗を袖で拭いながら、ヴァスは立ち上がった。目の前で倒れてゆく銀ぴかを確認しながら満足気に拳を握った。なんとかなった? なんとかなった! リーリアリがツァコの呪詛を打ち消したのだ。これで銀ぴかはもう蘇らない? そうよね!

「額の模様が消えています。解呪は成功しています!」

 今度は眼鏡がその場にへたり込み、眼鏡の下から溢れる涙を拭いた。

 仲間に額を擦りつけるが、蘇りそうにないと悟ると透明なライオンは、すぐ近くにいた余裕で腕を組んでいるヴァスを睨みつけ引っ掻かれた足はどうしたのやら、金属生命体を飛び越して牙をむく。

 迎え撃とうと腕を解いたヴァスの拳が当たる寸前に透明なライオンが横によろけた。標的がいなくなった拳は空しく宙を泳ぐ。透明なライオンは一回転して坂を転げた。それでも爪を地に引っかけて止まり、自分をよろめかせた相手を探した。

 坂の上から銃を構えるガスが目にとまった。震える手で、また一発無音の弾を撃ち、目前で土が跳ねた。それにじりじりと透明なライオンは下がる。今度は前足のすぐ前に着弾した。それを合図に透明なライオンは逃げだした。

「にっ」

 呪詛が解けたからといってアイツが安全とは限らない。それにアイツのおかげで辛い目にあったし、久々に絶望感を味わった。時間を大分無駄にした、死すら感じた。

 その原因が坂道を転げるようにして逃げて行く。我慢ならなかった。近くに落ちていた棘が取れて変形した鉄球を掴み上げ、さっきまでの虚脱感が嘘のように軽い身体で力の限り鉄球を投げつけた。方向もつけていない、力の加減もしていない。

「逃がすかあぁぁっ!」

 ただ怒りに任せて投げた。

 坂の下でガラスが割れるような音がした。