鬼蘇死霊学実験

一 鬼蘇死霊学とは







一 鬼蘇死霊学とは



 鬼蘇死霊学や死霊学を論じる前に、基礎の基礎である種族というものを論じる必要がある。現在において存在している種族を示し、我々という人間を示すことにする。まず始めに人間族は人間の一部であり、人間の多くを人間族が占めているという周知の事実を確認しておく。



 とりあえず、大量の紙束を広げられる場所を確保しようとカイは書館へ向かう事にした。時と知識を無駄に詰め込んでいる書館は、カイの第二資料整理所とも言えた。

 過去の最前線基地も、現代の最高学府に姿を変えてからは装飾が施され生活環境が整えられている。その最たる場所が書館とも言える。書籍にとっては最高の環境が約束されている上に、一部の閲覧も許されている。

 噂によれば閲覧できる書籍と同じ数だけの禁書、そして五倍以上の閲覧不許可の書籍が存在しているらしい。閲覧不可の書籍は地下の階に封印されており、職務怠慢な管理員にはそこの点検が命じられるらしい。そして戻ってくることは無いということだ。

 あまりにも馬鹿げた噂だが、それを信じさせる広さが書館にはあった。

 日頃、資料と向き合う事が多いカイにとって、見たくもない紙束は重石にしかならず、書館への遠い道のりが更に遠く感じられた。

「っだから! この学府は無駄に広すぎるんだって」

 自分達が与えられている部屋は狭いのに、学府内は広い。それが今のカイには許せなかった。すぐにでも荷物を放り投げて逃げ出したくなる衝動に駆られる。しかし、それは許されない。締め切りは三日後、エータは今でも狭い部屋の中で紙束へ真剣に向き合っている。既に存在している書籍との違いを探し、内容に矛盾がないかを必死に見ている。

 それに比べて、カイにできる事と言えば誤字脱字の点検、図式に付けられた番号に間違いが無いかを点検することぐらい。

 こんなことは学府に六年も居るカイでなくても出来る。単なる事務作業に近いのだが、専門の知識が多少必要だということと、内容点検に忙しいエータの助けとなりたかった。

 それを見越してグザイはエータにこんな仕事を回したのだと想像できる。

 エータに仕事を任せれば間接的にカイにも仕事ができる。エータ直属の学生はカイだけだ。そして、カイは多少なりともこの分野の知識を有しているのが最後の理由だ。グザイが担当する学生に負けず劣らずの知識と技術を持っている、とカイは自負している。グザイ直属の学生にはカイと同じ時期に学府へ入り、共に勉学へ勤しんだ仲間もいる。今でも顔を合わせれば石を投げ合う程の大親友だ。

 殴り合うなどという体力を無駄に消費するだけの友情関係などカイは欲しくなかった。腕力に自信が無いのが大きな理由だ。

 今はその腕力の無さが恨まれる。

 もしも、脳髄まで筋肉で汚染されているかもしれない連中のような筋肉と体力があれば荷物も軽々と運ぶことができるのだろう。

 もしも、今が夜間で守衛がいなければ試料で荷物を運ぶことができるだろう。

 カイの顔面は妙に固くなり、そのどちらも実行できないことに腹立たしさを覚えた。前者は単なる妄想や理想で終わるのだが、後者はカイが専攻するそれの本分ともいえた。労働の代行は試料の立派な役割の一つだ。試料は作成方法によっては知識の保存にも利用されている。

 自分に足りない部分を補う為の技術とも言える。それを利用するには現代は制約が多すぎる。

 溜息を一つ吐き出した時、学府を象徴する時の番人が声を上げた。

 講義の終了と開始を歌う、そのカラクリはカイが知る中で最大の時計と連動して時を告げる。一番大きな時計は学府の最も高い塔、過去の見張り台に設置されており、学府の外からも存在を知ることができるほどの大きさだった。

 塔は大きく五層に分かれている。

 最下層の第一層は四角い大きな建物、学府のほぼ中心部に位置するそこは食堂や購買部など利用頻度の高い施設だ。内部は広く、広場となっており待ち合わせをする学生が多い。

 第二層からは突然塔の様子を見せる。八面の柱に見える第二層には窓が多くあり、幾つかは外側の階段へ抜けることができる。内部の階段と合わせると螺旋を描き、何らかの術的構造をとっているとされている。

 第三層は面の数が二つ減り、六面の柱になる。この第三層は利用者がほとんどいない、第二層の螺旋階段があまりにも長いのと、利用できる施設がないからだ。この第三層には外階段が無く、立ち入り禁止の部屋が延々と続くだけだ。

 第四層に至っては部屋もなく、三面の柱に階段があるだけだ。しかし、この第四層が術的構造の核心部分ではないかと言われている。階段を含め、内部は磨きこまれた石で造られている為に自分の姿が全面に映る。この第四層には窓が無い。しかし、第五層に設置されている時計の隙間から一条でも光が入り込めば反射を繰り返し第三層までを照らし出す。

 第五層の三面にある時計を管理するのが学府長の最大の役目だとされているが、実際は作業員が労働力を提供している。作業員は時計の隙間から見える景色だけを心の支えに毎日の労働に耐えているそうだ。

 時計の針が僅かに動くと、カラクリは歌を止めた。

 もう少しすれば講義の開始を歌いだす。講義と講義の間は学府に比べて短すぎるのが難点だが、それに申し立てをしても誰も解決してくれない。講義の開始と終了を歌うカラクリを操作できる者が少ないのと、その全員が学府長から給料を貰っているからだ。

 学府長は講義の合間に走る必要が無いのでこの大問題を理解していない。理解するだけの頭に容量がないのかもしれない。

 時の番人を無為に見つめていると、後ろから膝に衝撃が走った。荷物の重さで、カイは見事に後方へと転がる。

 目を白黒させているカイへ甲高い笑い声が降りかかる。上下の反転した満面の笑みが覆いかぶさった。

「何見てんの~?」

 幼く見えるその表情だが、同期の友人はさも面白げに転がったカイを見下ろした。いつもとは立場が逆だ。身を起こしたカイは自分を転がした当人を睨み付け、荷物の汚れを軽く払った。完全に立ち上がれば、友人の頭はカイの胸辺りまでしかない。

 カイは腕を組んで友人を見下ろした。

「別に、何も」

 カイを見上げていた友人は、強制的にカイの視線を下げた。つま先立ちで振り上げた手を、カイの腕に引っ掛けて下ろした。

「うっそだー」

 体をくの字に曲げたカイと目線を合わせて、友人は薄桃色の髪を揺らした。

「うるさい、俺は忙しいんだ。暇なら手伝えよ!」

 左右で結んである髪の毛を両手で引っ掴み、カイなりの丁寧なお願いをする。カイよりも短い手足をバタつかせ、友人は夕食を奢ることを条件に手伝うことにした。

「こんな小さくてか弱い女の子に荷物持たせるのか~」

 文句を言いながらもカイから鞄を受け取ると、軽々と肩に掛けて体を上下させる。鞄の殆どが紙束で、装飾の多い書籍よりは軽いものの、その量は覗き込んだ友人を辟易させた。

 一方で身軽になったカイは先程ぶつけた頭部を撫で、友人を再度見下ろした。身長差がある為カイはいつも少し離れた位置で話しかける。

「お前は土貴族にしちゃ大きい方だろうが。何が小さくてか弱い女の子だ、俺ぐらいなら片手で持ち運べるくせに」

 実際にカイは階段から滑り落ちそうになった時、小さな友人に片手で助けられ、挙句に運ばれるという失態を演じていた。カイが階段から滑り落ちそうになった理由の一つが、力任せに背中を押された反動だという事も含めて。

 事実はどうであれ、友人は頬を膨らせて顔を横に振った。

「ふーんだ、ニューはそんなに大きくないよーだ。それにニューが怪力なんじゃなくて、カイがひ弱過ぎるんだよ」

 鼻を鳴らしたのはカイだった。

「この種族基準の人間族の中でも完璧な標準身長を誇る俺に向かってそれを言うか? 大体、土貴族ってのは人間族の六割くらいの身長が標準だぞ。お前、ここまであるだろうが」

 カイは自分の胸辺りを示し、両手でニューの髪の毛を掴んで揺らした。

「あー、面倒なこと言っちゃったよ」

 ニューは言うんじゃなかったと後悔した。体格の事になるとカイは特に煩かった。自他共に認める人間族の標準身長であるカイはそれを誇りに思っていた。エータに初めて褒められたのが身長だったのが少々悔しくもあるが、今はそれ以上に自慢となった。

 多数の種族が混在する今、様々な基準となっているのが人間族だ。人間族は他種族との繁殖が可能であった為、多数の種族との交流の結果その数を増やしている。また、種族が均一化し始めている中で人間族の影響は大きく、その幅も広がりつつある。人間族といえども一部分を見れば過去に交わった種族を見る事ができる。その為に身長を一つの物差しとし、標準身長が定められた。カイはその標準身長そのものなのだ。

 自前の物差しそのものだった。

「なんだよ、面倒なことって自分が言ったんだろうが。それにな、俺は頭脳労働が仕事! お前は肉大労働が仕事だろうが! 俺がお前より怪力だったらお前らの立場ないだろっ」

 胸を張って自らの非力を主張するカイに、ニューは溜息を吐いた。

「肉体労働言うな~。解体業だー」

 ニューの言葉を聞きながら、カイは歩き出した。身軽になったとはいえ目的地までの道のりは長い。走り出しても良かったが、ニューが追いつくのは容易に想像できたし、体力が先になくなるのはカイだった。

 先に歩き出したカイにニューは直ぐに追いついた。体格差からニューの方が足の回転は速く、見上げる形になる。

「お前な解体業言うな。れっきとした破壊技術分野って言う暴力集団みたいな名前があるだろ」

 一息ついて、カイはニューを見つめた。

 何事かと思い、ニューもカイを見返し、一瞬だけ息を止めた。

「解体業者に失礼だろうが!」

 この男に一体何を自分は期待したのだろうか、ニューは黙って青筋を浮かべた。言い回しが面倒なだけでなく、言う事自体が面倒なカイの友人であることを時々後悔するニューだった。だが、何故か友人を辞めたいとは思えない。

 片手でニューの髪を持ち上げてみたり、指で弾きながらカイは道を行く。

「ニューの専攻は解体技法だから解体業で合ってるんですー。それに、将来的には解体業者になるから良いんですー。暴力集団みたいな名前って言うな~」

 自らももう片方の髪の毛を弾きながらニューは文句を言う。少なからず学科の暴力的な面は認めつつも否定したい。

 肉体労働であることも、暴力的であることも否定はしない。そういう学部なのだから仕方がない。その為、ニューの所属する錬金学部は体の大きな者や筋肉の発達した者が多い。後者に当たるニューは多くの友人を見上げる立場にある。だが大きな者が強いとは限らない。

 ニューは自らの専攻において上位の成績を修めていた。

「そんなこと言うと、カイの専攻の方が物騒な名前してるよ~」

 頭を振って、ニューは髪の毛からカイの手を振り払う。カイも腕を組み、鼻を鳴らした。

「考古学部の古代魔術分野。これの何処が物騒なんだ?」

 今度はニューが腕を組んで、意図的にカイが省略した専攻のコース名を促した。

「その続きは?」

「死霊学コース。因みに労働力代行が専門ですが、将来的には知識保存の方で」

 さも当然のようにカイは言ってのけた。



 最高学府には幾つかの学部が存在する。

 過去の最前線基地であった場所以外にも最高学府に属する施設は幾つも存在している。だが、最高学府として最初に連想されるのは時計に象徴されるそこだった。

 そこには錬金学部、考古学部、神聖学部、森林学部、医療学部の五つの学部がある。学部内では更に細分化された分野があり、その中にコースがある。学部内での分野の違いなど他学部の者にはほとんど理解不能で、学部ごとの傾向だけで考えられる。

 ニューが所属する錬金学部でも大きく分けて二つの流れがある。種族ごとの肉体的な特徴を専攻とする肉体形成分野、道具など非生物を専攻とする加工技巧と破壊技術だ。カイが言う、肉体労働だけではなく道具などの加工に特化した学部でもある。その為に、力強い肉体を持つ体の大きな者と、手先の器用な小柄な者に大分される。デコボコ学部とも言われる所以だ。

 カイが所属する考古学部は学部が最前線基地として利用されていた以前の事柄を研究している学部だ。当時は種族の違いが今よりも明確で、種族ごとの魔術、技術、習慣も現在と違った。しかし、その全てを焼き払うような大戦があった。生物は激減し、繁殖力の強い人間族や生命力の強い種族との間で数を増やした為に現代のような種族の均一化が進んでいる。

 過去を研究対象とする学部だが、その中でもカイが所属するコースは異色だった。

 古代魔術分野の死霊学コース。古代魔術分野は現代で失われた魔法技術を復活させて現代に応用しようという分野だが、死霊学は失われずに現存している。

 自然に起こる現象を曲解し、具現化するのが魔術と称されるものの特徴だ。その中でも特に死霊学コースは自然現象を否定するような学問だった。

 文字通り、死霊を研究対象としている。更には死霊を利用しようというものだ。

 死者に魔術を施し、意思を持たぬ肉体として労働力とするもの。また、精神を当人の死体に閉じ込め思考や知識を保存するもの。どちらも自然の摂理に反し、いずれの種族からも嫌悪されている。その技術により残された知識や魔術を除いて。

 精神を閉じ込めた死体から得られた知識や魔術は、現代に応用され失われた技術を復活させるのに一役買っている。問題点は当人が知識を伝えるのは気分次第で、肉体は劣化する事だ。

 自然の摂理に反している為に精神を当人に閉じ込めることも難しく成功確率は低い。大半が使い物にならない。意思を持たない肉体労働力として利用するにも、知識を保存よりも成功率は高いものの肉体の消耗は激しい。魔術が失敗した場合、満たされる事のない食欲に駆り立てられて見境なく生物を襲う。

 現代においては精神を閉じ込めて知識や記憶の保存を行うよりも、現存する死霊の保存管理が主な仕事となっている。稀に魔術を施された死霊が見つかる事もあるが、死霊の総数は減少の傾向にある。

「絶対、破壊技術よりも物騒だって」

 これにはカイも顔をしかめた。

「そんなことは無いがぁ。死霊学コースって言うと可哀想な奴を見るような眼で見るからな」

 可哀想な、ではなく軽蔑した目の間違いではないかとニューは思ったが、口には出さなかった。実際に、死霊学コースはあまりにも学生数が少ない為、他のコースで溢れた学生が仕方なく所属している面もあった。

 カイは望んで死霊学コースに所属し、望んで死霊の労働力代行を研究しているエータの下にいる。カイのような人種は希少だ。

「でもな、必要な人材なんだぞ! 知識保存には管理者が必要で、管理者は少ないんだからな」

 それは自分から進んでなりたくなるような職業ではないからで、高い技術と知識が必要だからで、お給料も良くないから。ニューはカイが以前に語っていた現状を思い出して、可哀想になってきた。

 それがカイにも伝わったのか、大きく手を振って何かを否定した。

「違う、違うからな。他に選択肢がないわけじゃなく、俺が好きでなるんだからな」

 それが言い訳がましく聞こえる。

 ニューは不意に目頭が熱くなり、それを隠す為に書館へと急ぎ足で向かった。カイは慌ててニューの後を追うが、次第に距離は離れて行き書館へ辿り着く頃には肩で息をするような状態だった。

「カイ、遅いよー」

 先に辿り着き、平静を取り戻していたニューは呆れたようにカイへ言った。反論も出来ずに痛む胸の奥へ息を吸い込み、汗を拭う。日頃から肉体の鍛錬を欠かさないニューと、引き籠って書籍と試料に囲まれているカイの体力には大きな開きがあった。

 急かすニューに応えられず、カイはその場へ座り込みそうになる。その時、カイの頭に衝撃が走った。それは小さな衝撃だったが、その場へ崩れるには十分は威力だった。

「あ、悪ぃ」

 書館の方から声がした。

 カイには衝撃の正体も、声の正体もよく知っていた。