勇者様と魔王様
6.暫くは起きたくないような夢をね
ルーメンが時間稼ぎをした甲斐もあり、アルゴン達から逃げ切った最速部隊の二人は後方に続く探知部隊に合流した。
マナの量から魔王であろう者、他に四人が馬車で移動している。隊長を含め部隊は二人を残して捕まった様子で、最悪の事態も考えなければならない。
要件を伝えると、最速部隊の一人は探知部隊から数名を連れて報告に戻った。
残った一人は隊長達を救出する為、探知部隊に残った。魔王達は隊長達をその場に残して出発したことが探知により知れたからだ。
距離が近ければ近いほど探知の精度は上がる。探知を担う魔術師全員の結論は、マナの塊が隊長達を残して立ち去ったというものだった。
しかし、顔を知っている者達を残すということは死体を置いて行ったに違いない。
半ば諦めつつ馬車があった場所に戻ると、馬車は無く、縛られた隊長達が気持ち良さそうに寝息を立てていた。
隊長の足元には赤い薔薇の花が一輪落ちていた。
増えた荷物に轍が深くなった馬車を馬が必死に牽いていた。エクサが手綱を握るその隣にアルゴンが座っていた。荷台には女が三人、大きくない荷台に座っていた。
同乗する事になったセルシウスとケルビンの移動手段は主に馬だった、今その馬も馬車を牽いている。馬は増えたものの、馬車に留める道具も無く、無理矢理ロープで結びつけているといった方が正しかった。
揺れる荷台の上でテルルは髪を梳いていた。
薔薇が一輪減った髪は荷台が揺れる度に跳ねた。それまで黙って見ていたセルシウスはテルルの薔薇を見つめて訊ねた。
「テルルの頭にあるのは花ではなく、角なのよね」
角といえば急所の一つでもある。そんな大事な物をテルルは手折り、置いてきた。その理由はアルゴンが説明していた。
「テルルの薔薇はとても心地良い夢を見せてくれる。暫くは起きたくないような夢をね」
眠っている相手にしか効かないということで、縛った者達にテルルが指を回して催眠術をかけた。
ルーメンだけは上手く眠ってくれなかったので、テルルが目を反らした隙にアルゴンが眠らせた。そうした上でテルルは頭の薔薇を一輪手折り、置いた。
時間稼ぎの為とはいえ、大事な妻の角を簡単に利用するものだろうか、しかも夢の効果は長くても一日、それ程の時間稼ぎにはならないらしい。
セルシウスには分からなかった。テルルを傷付けるような頼みをすると思えない。
セルシウスの問いに、テルルは髪を掻き上げて見せた。
そこにはまるで薔薇の蕾を挿しているように見える角があった。
「花に見えるけど私の角よ。折っても直ぐに生えてくるから、大丈夫。痛くもないし。セルシウスさんも一輪いかが、良い夢が見れるらしいわ。私は見れないのだけれど」
テルルの言葉にすかさずアルゴンが荷台の前から顔を向けた。
「僕は薔薇が無くても、テルルと一緒だと良い夢が見れるよ」
テルルは顔を赤くしてアルゴンを見返した。そして口元に手を当てて、何度も頷いた。
恥ずかしそうに顔を隠したテルルに、未だ新婚気分が抜けないアルゴン、エクサは早くこの惚気が抜けないか鳥肌を立てた。
誰がいようとお構いなしにテルルとアルゴンは二人の世界に入ってしまい、ただ一人現実に残されたエクサは道中心地良くなかった。それは同行者が増えても同じようだった。
出来るだけ早く、国境へと向かうように予定を変更したエクサ達は馬車を飛ばした。
「私も、アルゴンと一緒だと幸せ」
自分の言葉にテルルは耳まで赤くなり、両手で顔を隠した。
照れるくらいなら言わなければ良いのに、口には出さず、セルシウスはテルルの様子を冷静に見守った。
セルシウスとケルビンは今まで遠くからアルゴンとテルル夫妻を見ていた。アルゴンに気付かれれば逃げられ、それを何度も追いかけていた。二組の間には確かな距離があった、今のようにテルルとセルシウス達がこれ程の近さになった事はなかった。
遠くから見ていただけなのだ。
本当はアルゴンの事も、テルルの事も殆ど知らない。そんな相手を追っていたのだとセルシウスはやっと分かった。
セルシウスは、アルゴンとテルル夫妻がこんな惚気夫婦だとは思ってもいなかった。
「エクサ様、アルゴンさん。この馬車はどちらに向かっているのですか」
馬車とは別に行動することもできた。しかし、セルシウスは危険を承知でエクサについて行くと言って譲らなかった。アルゴンとテルルが承諾する形で同じ馬車に乗り、兵達から逃げる形でその場を離れた。
ケルビンは目的地も知らぬままではいられなかった。無目的に馬を走らせ、消耗させるのは現状で最悪の判断だからだ。目的地が知れていれば、他の経路を考えることも出来る。そうすれば身の安全も確保出来るかもしれない。
ケルビンの問いかけにエクサが小さく畳んだ地図を確かめつつ答えた。
「とりあえず、この国の国境までの最短距離を走る。アルゴンの正体がバレて居辛いんだろう。今の所はそれが一番の目的だ。最終目的地は北にある大陸、農業国家なんだろう」
時々アルゴンを顧みて質問のような確認を投げかけるがアルゴンには反応が無い。エクサが声を掛けても荷台のテルルを見つめて聞こえていないのがよく分かった。
沈黙を肯定と無理に解釈して、エクサはケルビンに伝えた。
ケルビンは頭の中で地図を広げ、最短距離と日数を勘定した。
今の馬車ではまだ大分日数がかかる、今日のような兵士達でなくとも追いつかれる。先程逃がした二人が、ルーメンの言う通りに後方の部隊と合流してしまうと、魔王討伐隊が向かってくる。
そして隊長達が目覚めたその時にアルゴンの生存が知れ、女王は国の総力を挙げて追手を差し向けてくるだろう。
早々に国を出る必要があった。その重要性はケルビンしか感じていない。
同乗者が増え、速度の落ちた馬車よりも安全に、迅速に移動できる手段。ケルビンには容易に思い当たるものがあった。
「さしでがましいですが、空路をとっては如何ですか。国の管轄外の商人を選べば捕まる事はないと思いますが」
眉をハの字に歪め、エクサはケルビンに詳しく説明するように言った。
エクサは、魔王として地上にいるが、殆ど地上の事を知らない。未だ地上に来たばかりだとケルビンに伝えた。
ケルビンの脳裏に不安が過った、何も知らないエクサを利用してアルゴンとテルル夫妻が何かを仕出かそうとしているのではないかと。
しかし、その懸念は直ぐに消えた。
「悪魔の一部、飛行能力を持って人間達と友好な種が空を交通手段として商売をしているんだ。空の方が陸よりも早いからね」
テルルに見とれているのかと思っていたアルゴンが、ケルビンに代わってエクサへ説明した。そして顔を暗くした。
脅し文句を吐く時の表情だとエクサは数日間の付き合いから読み取った。表面上は笑っていながらも、影が差し、顔が暗くなる。エクサはアルゴンの機嫌を損ねた理由を考えた。
「僕は絶対に空なんて足元の危ない路は選ばないな。もしも落ちたら、どうするの」
エクサはどちらかと言うと人間に友好的で飛行能力を有している者だ。
今までそれを売り出した事は無かったが、もしも早く目的地に辿り着きたいならばそれも構わない、と聞こうとしていた時だった。
「僕は絶対に空路は使わないから」
アルゴンは断固として空路を許可しない。
落ちる危険性と素早く兵に捕まり難い事を天秤に掛けるならばケルビンならば空路を取る。馬車で陸を走れば地に足は付いているが、陸の方が進行の邪魔となる川や山もあり追い剥ぎ等もいる。しかも今は国に追われる身、ケルビンにはアルゴンの考えが理解できなかった。
その時、ケルビンの袖をテルルが引いた。
「アルゴンは私の体を心配してくれているの」
優しく自分の腹部に触れるテルル。
身重のテルルの安全を第一に考えての選択かもしれない、空路は地上と比べて体にかかる負荷も違う。
しかし、地上で馬車に長々と揺られるのを考えて、ケルビンなら空路を使う。
もしくは転移の術を使用するか、悪魔の移動手段を使えば空路を使わず、しかも見つかり難いはずだ。だが、その閃きは現れた時と同じく瞬く間に消えた。
転移の術は体に負担がかかり過ぎ、妊婦が使用すべきではない。悪魔の移動手段も同じく体に負担がかかり過ぎる。
悩んでいるケルビンの袖を引き、テルルが口元に手を添え囁いた。
「アルゴンは馬車や馬は平気だけど他の乗り物が苦手なの」
テルルの言葉はエクサの耳にも届いた。
聞こえているのか聞こえていないのか、アルゴンは黙って前を見据えていた。アルゴンの横顔を横目で見ると、やはり暗い。エクサは溜め息を吐いた。
アルゴンが何故空路を否定するのかが分かった。テルルの為もあるだろうが、アルゴン自身が嫌なのだ。
理由は言った通りの、落ちたらかもしれないが、本心は、乗りたくないだろう。エクサは自分の邪推に思わず苦笑した。
十年以上も安心できる場所を探していたにしては探した場所が少ない、何気ない会話でどんな場所を訪れたのか訊ね、地図で確認した時に気付いてはいたが気付かないふりをしていた。馬車と徒歩だけで移動していたのでは大分時間がかかっただろう。
勇者として魔王討伐に奔走していた時期、一体どうしていたのだろうかとエクサは想像を巡らせた。
エクサの脳裏に、暗い顔で決して乗り物に乗ろうとしないアルゴンの様子がありありと浮かんだ。
当時の仲間は知らないのでテルルとヴァスティスが代わりにアルゴンを説得している。ただでさえ体力と腕力が自慢のアルゴンだ、力ずくで説得は出来なかっただろう。
もしかして、アルゴンの同行者は魔王討伐と移動手段に苦労したのではないだろうか。それを思うとエクサは笑いが止まらなかった。
笑いだして、エクサはある事実に思い当った。
「アルゴン、目的地の大陸は海の向こうだぞ。お前、どうするつもりだ」
まるで錆びた金具を動かすように、アルゴンはエクサの方へ顔を向けた。
口を真一文字に結んでいたアルゴンは目で訴えた。時に口よりも雄弁になる目は確かにアルゴンの心を語った。
聞くな、と。
エクサだけでなくケルビンもそれを感じ取った。
ケルビンには思い当たる節が幾つもあった。陸路以外を利用されると追跡が出来なくなる場面が何度もあった。しかし、今日までセルシウスと一緒に追跡出来たのもアルゴンの乗り物に対する拒絶があったからだった。
追う側としては難しい相手ではない。追跡の専門家ではないセルシウス達でさえ出来た事だ、国の威厳を背負った追跡者達に出来ない訳がない。
早急に手立てを考えなければ、ケルビンは焦った。
エクサも少なからず焦ったが、どうにかなると楽観的に考えていた。いざとなればアルゴンが嫌がったとしても空路をとる。エクサは人を運んだ事はないが多分出来るだろうという思いがあったからの楽観だった。
手綱を握り締め直した矢先、正面から馬が一頭馬車へと向かって走って来た。遠かった馬は直ぐに馬車との距離を詰め、間近に迫った。馬の背には人が乗っていた、そしてその手には鈍く光を反射する刃が握られていた。
まさか、とエクサが手綱を捌こうとした瞬間、刃の一閃が馬へと繋がるロープを切り払った。そして突然馬の鼻先が変わり、ロープを切り払った者は横へと逃れた。
馬が減った馬車は激しく揺れ、バランスを欠いて倒れそうになる。
速度を緩め、揺れつつも転倒せずに馬車は止まった。止まったものの馬車は進行方向からずれ、馬の数が減り、走るバランスを欠いた。ロープを切られたのはセルシウス達が連れていた馬で、遅れた馬車を置いて走り去った。馬を失い、速さを失った馬車は緊張に包まれた。
追い剥ぎか、それとも早くも追いついた後方部隊か、素早く視線を動かしながら手綱をアルゴンに任せてエクサは馬車から飛び降りた。
続いてセルシウスが荷台から飛び降りた。一瞬、目を合わせたエクサが馬車の後方を示し、自らは前方に留まった。
エクサが前方、セルシウスが後方を守り各々身構えた。
エクサは重たい両手剣の柄に手を置き、セルシウスは手に薄手の手袋を嵌めた。どういった相手が、どこから現れるのか、神経を研ぎ澄まし、針が落ちる音すら聞き逃すまいと耳を澄ませた。
それは後方からやって来た。
エクサとセルシウスは同時に反応したが、エクサはその場から動かず、一歩踏み出してセルシウスが迎撃した。
接近の瞬間に小さく体をまとめ、全身を捻り、腕を突き上げる。セルシウスには見えていた、それが長い剣を持ち、勢いをつけるために体を僅かに開いた瞬間が。硬い感触が手袋越しに伝わるが、食いしばって相手の顎を天に向かわせた。浮いた体へ更に回し蹴りが入り、遠くへ飛んだ。
セルシウスが一人に気を取られた間に、同じ方向から遅れて二人が飛び出した。
今度はセルシウスではなく、馬車の車輪へ一人、セルシウスの後ろ側に一人が走った。車輪へと走った者はエクサが鼻先に両手剣を振り下ろすと素早く身を翻した。
完全にセルシウスの背後に回り込んだ一人に、セルシウス自身は寒気がした。体に点火するような冷たさ、背後を取られたという恐怖、そして向けられる刃。
セルシウスに向けられた刃は届く前に持ち手が落とした。
腕に深く三本のナイフが刺さり、痛みで落としていた。予想出来た範囲の事だったが、ナイフが三本も刺さる我慢は用意していなかった。そのままセルシウスの背後から逃れる事も出来ず、セルシウスが打ち下ろした足を避けきれなかった。
前方からもエクサへ向かって二人が駆けていた。エクサの左右へ回り込むように、僅かな時間差をおいて、まず右側に回り込んだ一人が短い剣を下から振り上げた。続いて左側に回った一人が両手にナイフを持った。
右側に引き抜いた両手剣を突き差し、素手で迎え撃とうとしたエクサの視界の端に映ったのは背後へと足を打ち下ろすセルシウス、そして車輪へと棒状の物を突き込む者。
車輪を留められた。
確認するが速いか、右側に回り込んだ短剣使いの頭を掴み、左側のナイフ使いへと当てた。金属同士が耳障りな音を響かせる。
エクサは棒状の物を引き抜こうと短い距離を走り、転がるようにして棒状の物を持った。
それがやけに重かった。慌てて引き抜いたそれを放り投げると、エクサは自分の左手に奇妙な模様が浮かび上がるのを確認した。同時に見覚えのある模様に、自らは姿も見せず人の手を借りる者に怒りを覚え、苦々しく腕を振った。
それは他の神の模様に違いなかった。その模様は描かれた生き物を緊縛し、動きを止める術を表すものだった。
気を抜けば模様が掴んだ手の平から腕へと上ってこようとする。弱い者ならば最後には心臓が止まる。借り物の肉体には関係の無い事だが、不快には違いない。
後悔したがどうにも出来なかった。だが、いくら呪いのような神の術だろうとも天使であるエクサには抵抗力があった。簡単に動けなくなることはない、時間をかければ解けない術でもない。重たくなった手を持ち上げてエクサは片手で重たい両手剣を構えた。