勇者様と魔王様

9.貴様が魔王か





 エクサの動きを封じていた神の術も消え、馬車を囲っている光の壁が消えれば再び制圧されるのも時間の問題だ。先程までの武器も体力も、士気も無い部隊は役目を果たせない。応援の部隊が転移の術で移動するにも時間がかかる。

 部隊が馬車に先回り出来たのは先の最速部隊がアルゴン達と接触して距離を掴み、探知部隊でも近距離で正確な位置を探り、幸運にもアルゴン達の移動する先に以前から設置されていた転移の陣があったからだ。転移そのものは時間をかければ正確な場所に大人数で移動することが出来る、事前に準備されている陣に転移することでそれは容易になる。

 しかし、ここは城から大分離れており、正確な位置も連絡部隊が持つ情報だけ。部隊が利用した転移の陣を利用するとも限らない。

 エクサが光の壁を完全に破壊する前に応援部隊が駆け付けてくれるかどうか、神に祈るしかない。手を組んで光の壁が壊れないように、応援部隊が早くこの場所を見つけてくれるように、誰かが助けてくれるように、兵は神に祈った。

「エクサ、どうやってるの、それ。僕にも出来る」

 アルゴンから見ても光の壁が薄くなっているのが分かった。ただ殴っているだけにしか見えないエクサの行動にどんな不思議があるのか、アルゴンには興味があった。素手でも魔法の壁に対して攻撃が出来るのなら、剣に頼らずテルルが守れるとあり、アルゴンは覚えられるなら是非とも覚えたかった。

 アルゴンの問いにエクサは一旦手を止めて、肩越しにアルゴンを振り返り手で呼んだ。呼ばれたアルゴンは軽快に近寄り、壁に向かってエクサの隣に肩を並べた。次いでセルシウスも呼ばれ、エクサの隣に並んだ。

「こうやるんだ」

 特に構えも無く、ただ拳を壁に突き立てると光の壁が歪んだ。そして光の一部が離散し壁は目に見えて薄くなった。それに魔術師の一人がやっと悲鳴を上げた。

 アルゴンとセルシウスを振り返り、エクサは黙って問いかけた。分かったのか、と。

 アルゴンは首を捻り、セルシウスは黙って拳を握り開きしてから力を込めて壁を叩いた。壁は全く動かず、セルシウスは叩いた拳を軽く振った。エクサは両肩を上下させて手の甲で壁を優しく叩いた。今度はセルシウスと同様に、壁は微動だにしなかった。

「こういったマナで出来た壁は壊し方にコツがあるんだ。マナだけで出来てるからマナをぶつけてやると一部が飛んでいく、そうするとそこが薄くなる。そこだけが薄くなると困るから壁は全体を薄くするんだ。これを繰り返すと」

 エクサは手の平を壁に付け、優しく引いた。途端に光の壁が一枚拡散した。他の光の壁を突き抜けて光は天に向かい、消えた。

「こうなる」

 兵達は青ざめ、悲鳴を上げた。逆にアルゴンとセルシウスは興奮した。素手でも魔法の壁に対抗できるのなら、魔法に対抗できる力を手に入れたのも同然だと思ったからだった。

 しかし、アルゴンは直ぐに落胆した。

「まず、アルゴン。悪いがお前には無理だ。今まで見てきたがお前は殆どマナの集束もできない、才能の問題なんだ。それに、お前がマナの利用まで出来たらあまりにも不公平だ」

 多少なりともアルゴンは想像していたが、溜め息が漏れた。

「セルシウス、お前は努力次第で出来る。しかし、今は時間がないから俺がやる。見て覚えろ」

 セルシウスは頬を紅潮させた。何度も頷き、二歩後ろに下がりエクサが良く見える場所に移動した。

 アルゴンは肩を落として昼食の片付けを手伝いにテルルの傍に歩み寄った。そのアルゴンの頭をテルルは背伸びをして優しく撫でてやった。

 ケルビンは馬の様子を確かめ、馬車を一旦降りた。更に何度も狙われた車輪の様子を確かめてからもう一度馬車に乗り、手綱を片手で持った。いつでも走り出せるように準備を整えている。

 ケルビンの行動を読み取った数名が馬車の前へ盾を持って陣取ったが、陣取ったものの盾が役割を果たしきれるとは思ってもいない。馬の蹄が先か、セルシウスの拳が先か、アルゴンの剣が先か、どれも現状の盾と体で防ぐ自信が兵達には初めからなかった。

 盾を持つ兵達にケルビンは優しく語った。

「いくら高額の給金でも命には代えられないでしょう。それとも貴方達の命の値段はその程度なのですか」

 エクサは残された三層の光の壁に向かい、足元を確かめてから素早く深く光の壁に拳を叩きつけた。

 反応は一枚目の壁よりも早かった。

「全員配置につけ」

 大声が響いた。声は最速部隊の隊長・ルーメンが上げていた。

 ルーメンが心地良い眠りの世界から現実に戻ると、目の前には傷付いた兵と馬車を囲む国が誇るべき壁だった。ルーメンは驚嘆し、その一枚目の壁が目の前で消えた事で心臓が止まりそうになった。眠気は完全に消え去り、残ったのは部隊を任された重責と反射だった。

「壁が減ったなら作り直せ、馬鹿が。ここで逃げられたらどこで捕まえる気だ」

 腕を振り、ルーメンは怒鳴り散らした。それが身動きも取れなかった魔術師達を動かし、再び光の壁を作るべく集中させた。

 士気を取り戻しかけた部隊へエクサは打撃を与えた。三枚目の光の壁を叩き壊したのだ。誰彼ともなく、拳が壁と共々精神を砕いたかのような音が頭の中で響いていた。聞こえるはずのない音に力なく崩れ、諦めを表情に出し、涙する者もいた。エクサの行動はそれだけの意味を持っていた。

「魔王が相手ではこの程度は壁でも無かった、ということでしょうか」

 指で顎を押さえ、一人冷静にモノは呟いた。一人としてモノの言葉を否定することも出来ず、恨めしそうに睨みつけるだけだった。

 四枚目の壁にエクサが取りかかろうとした寸前、ケルビンが声を上げた。

「何か来ます。大勢が馬に乗って来ます」

 壁の直前で拳を止め、エクサは苦々しくケルビンに手を振った。そして馬車に立てかけてあった両手剣を持ち上げた。

 ケルビンに馬車から降りるように伝え、エクサは馬の鼻先へ向かった。

「神の加護が無ければ抜けられたんだが、あの野郎どうしても俺を困らせたいらしい」

 馬の鼻先、兵達が転移した陣がある方向を睨んでエクサは溜め息をついた。溜め息に応えるように、見つめるその先には人も、馬も、鎧に身を包んだ一団が土煙を上げていた。

 光を鈍く反射する鎧兜、手にしている武器の輝き、兜の間から見える雄々しい目、胸を飾る紋章。国王直属の騎士である事を示していた。

 武器を手に怯えていた兵達は路を開けて膝をつき、背後から現れる存在に頭を下げた。

 それは壁の前に馬を並べ、威圧してくる騎士の間から堂々と現れた。一際目立つ飾りの付いた兜を被り、胸には輝かしい栄光の印を刻んでいた。白銀に輝く鎧は昼の光を反射し、それ自体が光っているかのようだった。唯一、鞘の上から鎖で縛られたジーメンスを除けば光り輝く騎士そのもの。

 国が誇る、最高の鎧を身にしたカンデラだった。

「貴様が魔王か」

 馬の上からカンデラはエクサを見下ろし、威圧的に問いかけた。

 カンデラの正体を知るだけにエクサは途端に何もやる気が無くなった。

 今の状態でも、カンデラ一人を倒してしまうのはエクサにとって造作も無い事だった。一つ問題として、カンデラ一人を倒しても戦う為に来たのだ、と鎧からして主張している騎士達から馬車ごと逃げ切る自信は無かった。それ以上にエクサのやる気を奪ったのはカンデラそのものだった。

 女神から聞いてはいたが、大変心が捻じれてしまったらしい人物だ。出来れば会っても相手にしたくなかった。エクサが勝てば不満だろうし、負ければ図に乗って更に神を困らせるだろうと女神は予測していた。

 確かに、そんな顔をしている。姿形で相手を判断してはいけないが、顔はそれまでの生活を物語っている、目は心を映している。

 エクサにはカンデラの目の奥が捻じれているように見えた。

「俺が魔王・エクサだ。お前がカンデラ国王か」

 溜め息交じりにエクサが返事をすると、カンデラは後方の騎士に怪我をした兵達を城へ戻すよう命じた。最初兵達は戸惑ったが、足手まといだと言われてしまえば従うしかなかった。相手は国王だ。

 ルーメンとモノだけはその場に残ることを許された。その場に残ったのは光の壁の外側でカンデラ、四名の騎士、カンデラについてきた四名の魔術師、一名の衛生兵、ルーメン、モノ、光の壁に囲まれた五名だった。

 どうしてこれ程の少人数で国王が魔王に挑もうとしているのか、ルーメンには分からなかった。昔は勇者として魔王を倒したのかもしれないが、前線を離れて久しい筈だ。しかも直々に国王が出てくる理由が全く分からなかった。

「聞け、魔王と共に行動する者共よ。貴様らが魔王の配下であることは明白、魔王共々今ここで討伐する」

 セルシウスが口元を歪めたが、それだけで、口を開くことはしなかった。ケルビンもエクサと行動することの意味を分かっていた、配下もしくは類する者と判断されても仕方がなかった。それはアルゴンとテルルも同じだった。

 テルルは以前から魔王・テトラの娘という事でいつかは人から襲われる日を覚悟していた。それが今日なのだろうとアルゴンにしっかりとしがみ付いた。

 カンデラが手を上げると魔術師の一人が杖を一振りし、光の壁を動かした。既に一層へ減っていた壁は光を散らしながら広がり、カンデラ達をも含めて壁に戻った。

 そして騎士達はモノとルーメンごと馬車を囲った。

「あぁ、私達も一緒に始末するおつもりですね。特に悪魔の私が城に戻るのは困ったものですからね」

 両手を腰に当てて、モノは何度も頷いた。

 納得できないのはルーメンだった。ルーメンは悪魔ではない、この場に残ったのは自分の意思だったが、悪魔と一緒に始末される為ではない。アルゴンが最後まで生き残ったならば、いや生き残るだろう、その時は城に連れて戻るつもりだった。未だ手紙の返信を待ち続ける女王・ルクスの為に。

「陛下、私は戻らなければなりません。このような悪魔と同じではありません」

 無礼は承知の上だった。それでもルーメンは国王よりも長くルクスに仕えていた。今日、十年以上のルクスの憂いが消えるのならば国王の怒りなど恐ろしくはなかった。

 見上げるルーメンをカンデラは睨みつけた。

 その目は驚くほど冷たく、歪んでいるようにルーメンには見えた。

「止めた方がいいですよ。今の状況から分かりませんか。勇者・アルゴンと勇者・カンデラが今ここで共存してはいけないのですよ、なぜなら勇者・カンデラは勇者・アルゴンの死に依って存在するからです。アルゴンの顔を直接見知っているのは貴方だけなんですよ、他の誰が証言しても疑われる事でも貴方なら信用される」

 モノはルーメンの肩を押さえながら語りかけた。ルーメンは顔が青くなった後、頬を赤く染め、目を吊り上げた。

「陛下、女王は」

 ルーメンの言葉は馬の嘶きによって掻き消された。カンデラが強く手綱を引き、馬の向きを無理に変えていた。

 カンデラは鎖を巻きつけたジーメンスを潰すつもりで握りしめ、馬を降りた。

 それに続いて騎士達も馬を降り、一人がカンデラから馬を預かった。一人の魔術師がエクサ達から遠ざかり、荷物を広げて準備を始めた。重そうな箱から様々な形をした光り輝く宝石、金属が取り出された。

 エクサにはそれがマナの収束を容易にする道具だと直ぐに分かった。そして、その邪魔をさせまいと盾を手にした騎士が壁となっていることも。その壁は動かない光の壁よりも厄介で、神の加護が厚い。

 女神の信者ではないことに溜息を吐いて、両手剣の柄に手をかけた。

 セルシウスはどうにかして準備を進めている魔術師を止めようと騎士達の隙を窺うが、兜の奥にある目がそれを許さなかった。

 目を離せば動く、セルシウスの方が速い、エクサのように鎧ごと貫通するような力はない、打ち込んだ瞬間に切られるのは分かっている。

 セルシウスには騎士達が動くよりも速く魔術師まで駆け抜ける事しか考えられなかった。

 いつ走り出すか分からないセルシウスの為に、ケルビンは馬車から飛び降り、ナイフを取り出した。二人なら突破できるかもしれない、たとえ僅かでも可能性があるなら実行すべき、それがケルビンの考えだった。

 左右を騎士に守られ、荒々しくエクサに近づくカンデラはジーメンスの鎖を指で器用に外していった。

 アルゴンの隣でテルルは確かにカンデラが持つ剣を見た。反射的に強くアルゴンの手を握りしめ、アルゴンを自分へと引き寄せていた。テルルに引かれるまま、アルゴンは体をテルルに傾け、耳を澄ませた。

「アルゴン、あの剣。さっきモノが言ってた剣じゃないかしら」

 テルルは先程モノが怒っていた理由の剣を見つけたとアルゴンに伝えた。モノが怒っている理由は分からないが、アルゴンが悪いなら謝れば許してもらえると思っていた。

 テルルにとっては目の前に向かってくる異様なカンデラよりも怒っているモノの方が問題だった。友達なら仲良くした方が良いに決まっている、もしかしたら助けてもらえるかもしれない。テルルは同じ悪魔として、アルゴンの友人としてモノの事を見ていた。

 エクサは意図的にアルゴン達から離れ、カンデラからアルゴンを遠ざけようとした。エクサの思惑も虚しく、カンデラはエクサを放置し、アルゴンの方へと向かった。

 壁の中はそれ程広くない、カンデラはエクサを追わず、隣の騎士に命じ見張らせた。鎖を完全にジーメンスから外し、鞘から抜こうとした。

「そういえば、いたね。そんな剣が」

 アルゴンの言葉に、ジーメンスはカンデラの意思に関係なく鞘から滑り出た。