勇者様と魔王様

10.ちゃっかり俺の服だけ持っていってんじゃねぇ





 鞘から滑り出たジーメンスは地面に落ちる寸前、剣から形状を変えた。

 二本の手、二本の足、屈強な褐色の肉体を晒し、十数年の怒りを拳に込めてアルゴンの顔に突き立てた。

「アルゴン、俺は今日という日を待ち侘びたぞ」

 首から上が消し飛んだような感覚に襲われたアルゴンは、熱を持った顔で殴った相手を見た。

 アルゴンにとって十年以上、偽りなく忘れていた存在のジーメンスだった。今は剣ではなく、元の悪魔の形で、人によく似ていた。

 不意に懐かしさに襲われたアルゴンは、無意識の内にジーメンスの鞘を振り、ジーメンスの額に勢いよく当てていた。鈍い感触が伝わり、そこで初めてアルゴンは自分が殴ったことを知った。相手がジーメンスだと分かり、笑った。

「ゴメン、本当に忘れてたよジーメンス。あんまりにも幸せすぎて他が目に入らなかったんだ」

 アルゴンが幸せすぎる原因のテルルの顔を腕で包み、柔らかな金色の髪の毛に顔を寄せた。頭にある薔薇と同じように、赤く頬を染めたテルルも自分からアルゴンに顔を埋めた。

「ちゃっかり俺の服だけ持っていってんじゃねぇ」

 上体を跳ねあげてジーメンスは叫んだ。声を上げてアルゴンは笑い、手にしていた鞘をジーメンスへ投げた。鞘はジーメンスの手に渡ると解けてジーメンスに纏わりつき、服に変化した。

 ようやくジーメンスは服を着た。

「おい、そこの元凶。これは流石に酷いだろう、十年以上忘れていた上に服も強奪か」

 エクサはジーメンスを横目で見ながら呆れていた。

 ジーメンスは鞘に収められたままカンデラの手にあったと想像していた。まさかアルゴンが持っていた鞘がジーメンスの物だとは思ってもみなかった。

 エクサはアルゴンの非道な行いにジーメンスが可哀想でならなかった。通常、剣は鞘と共に持つ物だ。刃が痛むのを避ける為もそうだが、刃が周りを傷付けない為でもある。しかもモノが鍛えた剣は悪魔が素材で、鞘は服の役割をしているらしい。ジーメンスにとって鞘の無い十数年は心底辛い期間だっただろうことが容易に想像できた。

 誰でも全裸で他人の手に渡されるのは嫌だ。

 自分の鞘に収まったジーメンスは喚き声を撒き散らしながらも剣の形状に戻り、地面に倒れた。汚れてしまうのではという周囲の心配を他所に、ジーメンスは何故か地面が落ち着くと呟き始め、余程辛い目に合っていたのだと図らずとも語った。

 地面に伏すジーメンスを持ち上げ、アルゴンは何度も謝った。次いで、黙って様子を見守っていたモノにも謝った。

 モノは黙って顎でカンデラを示した。

 カンデラはジーメンスの為に作らせた鞘と鎖を手に戦慄いていた。まさか、ここにきて裏切られるとは思っていなかったのだ。

 そしてカンデラは何も知らなかった事を教えられた。ジーメンスが人の形状を持つ事、脅されていた通りに自由に身動きがとれた事、鞘が服だった事。カンデラは喋る事以外何も分かっていなかった。

 十数年間カンデラを脅し続けていたジーメンスは本来の主であるアルゴンの手元に戻った。アルゴンが腰に下げると今までずっとそうしていたかのような自然さがあった。当然のようにジーメンスはアルゴンの下に戻り、カンデラの手にはジーメンスを束縛していた鞘と鎖だけが残った。

 刃を守り、周囲を守る為の鞘は本物ではなかった。鎖は自由を縛り、鞘の上から束縛していた。嘘で地位を守り、嘘で自由を束縛されたカンデラ自身を象徴しているようだった。エクサが持つカンデラの印象そのものだった。

 しかし、エクサはカンデラを可哀想だと思えなかった。それ以上にジーメンスが可哀想だったからだ。

「アルゴン、テルル。俺はお前達に言いたいことが山ほどある、これから覚悟しておけ」

 低く、しかし周囲にも聞こえる声でジーメンスは宣言した。

 呪いのように恨み言を呟き始めたジーメンスの飾りの部分をアルゴンは人差し指で強打した。一度ではなく、喋りだそうとする度にアルゴンはジーメンスの飾りの部分を指で弾き、硬質な音をさせた。

 あまりにもジーメンスが硬質な音をさせるので、エクサは騎士の脇を素早く抜けアルゴンの片手を掴んだ。モノがもう片方の手を掴み、両手を封じられたアルゴンはジーメンスを放した。落ちたジーメンスは鞘のまま地面に突き刺さり、押えられたアルゴンへここぞとばかりに子供のような罵声を浴びせた。

 アルゴンが蹴ってやろうと思った時、ジーメンスに横から手が伸びた。

 テルルの手だった。

 テルルは優しくアルゴンが弾いた飾りの部分を撫でて謝った。テルルとジーメンスの接触は二度目だった。今まで放っておいた事、自分達の幸せの為に犠牲になってくれた事、そのお蔭で自分達がどれだけ幸せなのかを語りかけた。

「煩い、煩い。お前なんて、勝手に幸せになってろ」

 黙ってテルルの言葉を聞いていたジーメンスは渋々ながらテルルを許す事にした。

「テルル、こんな奴に許してもらわなくても良いんだよ。出ようと思ったら出られたのに、今まで遊んでたに決まってる。どうせ国王を脅して血を浴びてたんだから自業自得だよ」

 アルゴンの言葉にテルルは驚いた。何度もジーメンスとアルゴンを見比べて、否定してほしそうに目に涙を浮かべた。

 困ったのはアルゴンだった。テルルを泣かせるつもりは無かったのに、意図せず泣かせてしまった。左右を押さえるエクサとモノを振りきって、テルルを抱きしめようとしたアルゴンに左右から後頭部に拳が当てられた。エクサとモノの拳だった。

 現・魔王と元・魔王に後頭部から殴られた元・勇者は地面に伏した。

「お前な、忘れていた相手に失礼だろう。しかも服を強奪しといて逃げていただと、全裸だぞ。可哀想だろう、分かっててやったんだろう。それが俺の根本原因だぞ」

 エクサは倒れたアルゴンを引き起こし、顔を突きつけて睨みつけた。

 エクサが放すと後頭部をさするアルゴンの顎をモノが両手で挟み、無理矢理顎を持ち上げ、アルゴンの頭の上からモノは笑いかけた。

「私がどれだけ恨み言を聞いたと思ってるんです。五月蠅いんですよ。貴方にも私の十分の一でも恨み言を聞いていただかないと不公平です」

 そのままエクサとモノがアルゴンに殴りかかりそうだったので、セルシウスはエクサの隣で、アルゴンから離れるようエクサとモノの胸に手を当てて離れるように促した。セルシウスがエクサとモノを押さえている間に、テルルがモノの隣に座り込んでアルゴンの頭を抱き寄せた。そして殴られた後頭部を撫で、涙目で止めるように訴えた。

「今は仲間割れしている場合ではありません、皆様方」

 ナイフを構えたまま、カンデラを斜めから見据えたケルビンは冷や汗をかいていた。

 アルゴンは唯一無傷の戦力だった。それが剣、エクサそしてモノに殴られて今やテルルの膝の上だ。

 アルゴンやエクサの力を信用していない訳ではない、それでも人数ではこちらが不利だ。ルーメンは今こちら側に押しやられているが、女王の下に戻る為にどのような行動をとるのか分かったものではない。

 セルシウスは鎧を着た相手が苦手だ、ケルビン自身もこの状況で決定打を持ち合わせていない。モノとエクサは互いの為に手負いだ。アルゴンの手に剣があるとはいえ、持ち主が動けなければ意味がない。それで騎士四人と着々と準備を進める魔術師一人、魔術師に扮した暗殺者を相手にしなければならない。更に衛生兵が神への祈りを捧げるだろう。

 ケルビンは不安だった。

「隊長さん、あそこの魔術師は暗殺者でしょう。血の臭いが身体に染みついて離れないような者が魔術師の訳ありませんよね」

 ルーメンにケルビンが確認をとると、ルーメンスは顔をひどく歪めて小さく頷いた。

「今だから言う。三人がそうだ」

 ルーメンと同じくケルビンは顔を歪めた。出来れば聞きたくない数だった。エクサとアルゴンを殺し、ルーメンの口を封じるにはそれだけ人数が必要なのは想像できていた。しかも、女王に知れないように最小限の人数で信用のおける者でなくてはならない。そこから算出した数だろう。騎士も国王直属の指折りに違いない。

 セルシウスだけでも無事に逃がす方法が無いか、ケルビンは必死に考えた。そして茶番を繰り広げるアルゴン達が急に目障りになった。

 ケルビンは、自分とセルシウスの命が今ここで消えてしまうほど安いと思えなかった。

「状況分かってるんですか。ここで遊んでいては、冗談ではなく全員死にます」

 実力があるからアルゴン達が余裕で遊んでいるようにしか見えなかった。そうでなければ、余程の馬鹿だ。ケルビンは真剣にアルゴン達を差し出して、その隙に国王を押さえて逃げられないか計画を練っていた。

「それは、まずい。テルルを怪我させたくない。ジーメンス、後で恨み言を少しだけ聞いてやるから、今は黙っててくれよ」

 セルシウス、エクサ、モノを押し退けてアルゴンがテルルの膝から起きあがった。地面に刺さったジーメンスを抜いて立ち上がり、座りこんだテルルを優しく引き起こした。

 アルゴンに手をとられてテルルも立ち上がり、土を払った。エクサとモノも武器を手に立ち上がった。

 セルシウスはテルルを馬車の近くまで連れていき、自分はケルビンの隣に戻った。ようやく折り合いがついたアルゴン達は囲んでいる者達を眺めた。