勇者様と魔王様

11.勝負だ、勇者・アルゴン





 手に剣と盾を持つ騎士、魔術師に扮していたが今は手に短刀を持つ暗殺者、準備が整ったと向き直っている魔術師、唯一の衛生兵は国王の後ろにいる。

 カンデラはジーメンスに作った鞘と鎖を棄て、鎧と同じ輝く剣を手にしている。片手で扱う剣の中では最も長い部類、反りは無く両方に刃がある。それを両手で握っている。兜の下で光る眼が映していたのは誰でもなくアルゴンだった。

 ここにきてカンデラは自分の本当の目的が分かりつつあった。

 嘘偽りなく魔王をこの手で討伐し、嘘を本当にする。そして昔の栄光と賛美を取り戻し愉悦に浸る。違う。

 カンデラの嘘を知り脅し続けたジーメンスを破壊し、真実、魔王を討伐したアルゴンの口を封じ、アルゴンの生存を知ったルーメンスを葬り去る。違う。

 嘘を塗り替え、偽りを知る者を消し去り安心を得る。違う。

 ここに至るまでの理由が浮かんで否定された。カンデラはジーメンスを失い、アルゴンを前に、恐怖や怒りとは違った胸にある熱を思い出した。それは何度も魔王を討伐していたアルゴンへの尊敬と対抗心だった。

 神を脅迫する前、子供が生まれる前、王女と結婚する前、カンデラが勇者になる前。初めて勇者という存在を知った時、剣を握りしめて家を出た時、確かにアルゴンはカンデラの憧れだった。

 そして会った事も無い好敵手だった。一度で構わない、全力でぶつかり、知りたかった。何を知りたいのかカンデラ自身も分からなかった、それは今でも分からない。

 心が歪む前、カンデラはアルゴンと正々堂々と勝負がしたかった。

 それが今なら叶う。

「勝負だ、勇者・アルゴン」

 カンデラは叫んだ。そして大きく一歩踏み込み、正面からアルゴンに振りかぶった。

 アルゴンはカンデラに応えた。

 ジーメンスを抜刀し、縦にくるカンデラの剣を横から叩き、下へ流した。刃同士が擦れて火花が散った。魔術で加工された剣特有の光が弾ける。

 横合いからアルゴンへ刃を向けた騎士の一人の前に、エクサが両手剣を抜いて立ちはだかった。一瞬で盾を前に構えた騎士を下から弾き飛ばした。重たい鎧を纏い、剣と盾を手にした騎士がカンデラを飛び越えてもう一人の騎士の盾にぶつかった。もつれるようにして騎士達は転倒し、大きな音を立てた。

 両手剣を担いだエクサの横合いから、影のように走り寄った暗殺者が首を狙った。

 エクサは両手剣を滑らせるように動かし、暗殺者の剣を両手剣の腹で受け止め、裏拳で暗殺者の顔面を殴った。体を大きく反らした暗殺者の足を払い、両手剣の腹を地面と平行に叩きつけて追い打ちをかけた。背中から地面に叩きつけられ、口の端から泡を吐きだして一人の暗殺者はそのまま動かなくなった。

 それを見た騎士の一人は内心怯えながらも平静を装い、背後の魔術師へ辿りつけぬようにセルシウスとケルビンを睨んでいた。騎士の更に前方に二人の暗殺者が並び、剣を構えている。

 セルシウスの隣にモノとルーメンが立った。

「退けい。帰らなければならんのだ」

 剣を構えるルーメンにモノは手を添え、優しく剣を奪い取った。

「貴方が参加すると後々障りが出ますよ。今は、やられたフリをして倒れておいて下さい」

 モノはルーメンの胸を蹴飛ばした。

 ルーメンは馬車にぶつかると同時に身動きが取れなくなった。意識が奪われなかっただけに痛みは酷く、慌てたテルルが倒れたルーメンに手を差し伸べ、呼吸の出来るように横向けに寝かせた。

「私も一緒に帰りますから、その時まで休んでいて下さい」

 体を斜に構えて剣の切っ先を揺らしながらモノはセルシウスを見た。

「鎧は何とかします。一番後ろの五月蠅いのをお願いしますね」

 言いながら、何気なくモノは手前の暗殺者の一人を切り払った。虚を突かれたとも言い難い、まるで木になった実に手を伸ばすように、あまりにも自然な動きで、腕を筋に沿って、モノは暗殺者の腕を切っていた。

 血が心臓と同じリズムで吹き出した事で、切られた事を自覚した暗殺者は瞬く間に血色を失った。腕を切られた暗殺者は慌てて腕の付け根に力を込めて止血をした。目の前は血の赤と白にとってかわり、危険視すべき相手を見失った。

 仲間の惨事に、一瞬気が反れた暗殺者にケルビンがナイフを投げつけ、同時にセルシウスが上に飛んだ。

 飛んでくるナイフを避け、セルシウスの影を避けた所にモノの刃があった。危なく、髪の一部を犠牲にして逃げた暗殺者の真上に、セルシウスはいた。

 額をぶつける勢いで顔を近づけ、両手で暗殺者の肩を掴み、そのまま足を振って落下の向きを変えて、セルシウスは暗殺者の背後に降りた。土を踏みしめると同時に体を曲げて掴んでいた暗殺者を地面に叩きつけた。

 衝撃で舞った煙は撒き散らされた血で落ち着き、視界を汚した。

 腕を切られたものの、筋力と根性で一時的に止血した暗殺者はセルシウスに刃を向けた。落下の衝撃さめやらぬセルシウスはギリギリまで動かず、首に刃が届く直前に前へ転がり避けた。

 宙を切った短刀は手から抜けて地面に突き刺さった。暗殺者の腕には五本、胴体には三本ものナイフが突き刺さっていた。

 倒れる勢いを失った暗殺者にモノは手の平を当てて押した。それだけで叩きつけられた衝撃から立ち直ろうとしていたもう一人にぶつかった。

「止血をすればまだ助かる」

 ケルビンは体の痺れが抜けきらぬ暗殺者に忠告しながら、更にナイフを構えた。

 セルシウスが転がった先には騎士がいた。未だ完全に体から衝撃が抜けていないセルシウスは、振りかぶられた剣をどうすることも出来なかった。更に横へ転がり、身を起こすと白い軌跡が目の前を通った。それは騎士が持つ剣へとぶつかり火花を散らした。

 姿勢を低くしたモノがセルシウスの前で騎士の剣を受け止めていた。モノはセルシウスに顎で合図し、後方の魔術師へ向かうように命じた。

 小さく頷き、セルシウスは後方へと跳ね、何か呟いている魔術師へ駆け寄った。

 魔術師へセルシウスが辿り着く直前、大きな声を上げて魔術師は杖を振り上げた。途端に杖の先端から雷が奔った。火花を散らしながら宙を奔る雷はセルシウスの服の一部を焼き、髪を焦がし、更にその先へと抜けた。

 服と髪を焦がしたものの、避けたセルシウスの後ろにはアルゴンとカンデラがいた。

 アルゴンとカンデラが雷に気付いたのは同時だった。

 雷に振りむいたアルゴンとカンデラはその場から逃げる暇もなかった。

 誰もが雷の直撃を想像し、雷の光に目を細めた。

 唯一、エクサだけが怒りに目を見開いた。正々堂々の一騎打ちに水を挿す行為が許せなかった。

 剣と剣の勝負に魔法を持ちこむのは嫌いだ、特に他人が持ち込んだ魔法など論外だ。

 雷が奔るその先にエクサは立ちはだかり、両手剣を地面に突き刺し刀身を拳で強打した。剣に浮かんだのは先が五つに分かれた葉、それを取り囲む円が次いで浮かび、円から蔦と葉が伸びた。模様は両手剣全体に広がった。

「邪魔を、するな」

 激怒してエクサは咆哮した。エクサの声に呼応するかのように両手剣に雷はぶつかる直前にかき消えた。

 雷の光で誰も確認出来ないと確信したエクサは女神の試練を利用していた。

 立ち向かう力を試す女神の壁、奥にある試練に向かう資格があるのか確かめる女神の優しさ。女神の試練を受ける者は入口の壁を叩き壊して奥へ進まなければならない、その為に壁は単純な腕力が試される。素手を前提とした試練には素手のみを許す入口、それは女神の与える唯一の盾とも言えた。

 本来、入口の腕試しにしか利用されない壁だが、盾としての効果は他の神に勝るとも劣らない。その盾は立てられた物に与えられる。素手以外の全てを拒絶し、マナを利用した全ての魔法、それを否定し無効化する。盾とした時に与えられた打撃以上の力のみが盾の効力を奪う。逆に盾とした時に与えられた打撃より少ない力全てを否定する。

 盾として利用する者は殆どいない。殆どの者が打ち破るべき壁としてしか見ていない。

 試練を盾として利用する事に抵抗はあったが、真剣勝負が邪魔される事の方がエクサにとっては耐え難かった。

 雷の光が消える前に、エクサはもう一度両手剣を強打して引き抜いた。誰も見えなかったと確信して、もしも見られていたら黙らせると決め、雷を放った魔術師を睨みつけた。

 光が消えた後、雷を目で追っていた全員がエクサを見る事になった。怯えたのは視線が合った魔術師だった。雷以上に光るエクサの双眸に圧倒され、魔術師は思わず目を逸らし、短い呟きの直後に杖を振った。

 魔術師が振った杖の先端から幾筋も光が飛んだ。エクサに届くと光は握りつぶされ、魔術師は息を呑んだ。

 沈黙したままエクサは両手剣を鞘に収め、猛然と魔術師に向かって走り出した。役目を忘れ、我を忘れ、魔術師は足を動かして逃げ出した。冷静さを失った魔術師が崩壊する前にエクサが追いついた。

 邪魔者はエクサにより完全に排除された。

 先に正気へ戻ったのはカンデラだった。魔術師を追いかけだしたエクサを目で追ってしまい、アルゴンはカンデラから目を離していた。

 不意にアルゴンの目の前を影が差した。それが振りかぶったカンデラの影だと確認する前にアルゴンの体は動き、重さを利用してジーメンスをカンデラの剣に叩きつけていた。魔術で加工された剣特有の火花が散り、カンデラの剣は真ん中から砕け散った。

 カンデラは剣が折れたことも気付かず、切り上げるつもりで手首を返した。

 アルゴンもカンデラの剣が折れたことに気付かず、カンデラの反撃にジーメンスを滑らせた。鎧と兜の僅かな隙間、アルゴンは確かにカンデラの首を捉えていた。

「おっと、足が滑った」

 アルゴンの真横で幾何学的な模様が展開し、そこへカンデラの頭が身体から大きくズレ、突き込まれた。ジーメンスの刃をギリギリで避けつつ、モノがカンデラへ両足で蹴り込んでいた。

 鼻先でカンデラは横へ蹴飛ばされ、アルゴンは驚きつつジーメンスを止めた。

 モノは模様の手前で身を翻し、馬車にもたれかかっているルーメンを担ぎ上げ、カンデラを突き込んだ模様へと飛び込んだ。モノ達の姿が模様の中に消えると模様も消えた。



 残されたのは砕かれた剣の先とカンデラが連れてきた満身創痍の者達だった。

 最初、呆然としていたアルゴンにテルルが抱きついた。驚いてテルルを抱きとめたアルゴンは素早く片手でジーメンスを鞘に収め、今度こそ両手でしっかりとテルルを抱きしめた。速い鼓動にアルゴンの身体は驚き、息が止まりそうになった。深く、テルルの薔薇のような角に頬を寄せて息を吸い込んだ。

 熱くなったアルゴンの体に顔を押しあててテルルは安心を貪った。いつまでもこの安心だけを食べていたかったが、テルルは自分の欲望を振りきってアルゴンから体を離して声を張り上げた。

「さぁ、早く行かなきゃ。子供は待ってくれないのよ、アルゴン」

 急かすテルルの言葉の先をアルゴンは奪い、ゆっくりと口を離し、頷いた。

 思わずエクサとケルビンは目を逸らした。セルシウスだけが目も逸らせず耳まで赤く染めた。内心二人が羨ましくてならなかった、だが同時に恥ずかしかった。

 気を紛らわせる為にエクサはアルゴンとテルルに背を向け、捕まえた魔術師に壁を取り除くよう、拳を握って頼んだ。

 魔術師は快く何度も頷いて、光の壁を消した。壁が消えたことを確認した上でエクサはテルルとアルゴンを馬車に放り込んだ。セルシウスが後に続いた。

 光の壁を消した魔術師は、涙を浮かべてケルビンにすがった。ケルビンはそれを快諾し、倒れた騎士と暗殺者を、衛生兵と一緒に縛り上げるように優しく命じた。

 陰で隠れるように、傷付いた暗殺者を介抱していた衛生兵は、魔術師のように逃げる事も出来ず、仲間が更に傷つかぬよう慎重に縛った。

 騎士と暗殺者が縛られた後、魔術師はケルビンによって優しく意識を奪われた。ケルビンは更に、衛生兵へ全員の持ち物を出すように頼み、ナイフの一本、指輪の一つまで残らず出させた。奪い取った武器と装飾品を袋に詰め込んで、ケルビンは準備が整った馬車に乗り込んだ。

 エクサが手綱をとり、最後にケルビンが乗り込んだのを確かめてから馬を走らせた。

 その場に取り残された衛生兵は、縛った時と同じく慎重に仲間を解放したが、まともに動ける者はいなかった。助けを呼びたかったが城からは遠い、ここには内密に来ており、今日一日は誰も来ないように、と国王は念を入れて命じていた事を衛生兵は覚えていた。

 頼みの綱の転移の陣は距離があり、転移の術が使える魔術師は意識が無い。転移の陣は術で移動する場所を確定するだけで、術がなければただの模様だった。

 衛生兵は仲間の治療をし、助けが早く来るように、魔術師が早く目覚めるように祈るだけだった。

 衛生兵以上にテルルは祈っていた。次に恐ろしい人達が来ないように、来るとしてもずっと後であるように。衛生兵の祈りは通じなかったが、テルルの祈りは通じた。

 追手は、なかった。