勇者様と魔王様
12.だが、他にも方法があったはずだ
モノに連れられて戻ったカンデラは呆然としていた。折れた剣を手に、目の焦点も合わず、転移した先、広い自室で兜を脱いで座りこんでいた。
カンデラを連れ帰ったモノはルーメンと共にカンデラを置いて部屋を出て行った。
カンデラの嘘は全てルクスに伝わるだろう、そして全てを失うのだ、と心のどこかでカンデラは思っていた。それ以上にカンデラの心を占めていたのは剣だった。
折れた剣。それはカンデラが十数年前、魔王を倒したと言った時についた嘘が始めだった。その嘘通りの剣が今、手の中にあった。しかし、現実に手にある剣は魔王に向けた物ではなく、勇者に向けた物だった。
嘘偽りなく、今の剣はカンデラの全力をぶつけて折れた。
剣は折れたが、カンデラの心には満足感があった。昨日まで背負っていた栄光や虚像はどうでもよくなっていた。すると目頭が熱くなり、自然と笑みが漏れていた。何もかも無くなると心が軽くなるのだと、カンデラは心底楽になった。
片手で頭を押さえ、笑いを堪えて泣いた。手にしていた折れた剣を放り投げると、投げた先にルクスがいた。
ルクスが部屋に入っていた事すらカンデラは気付かなかった。
「お帰りなさい。勝負はついたのね」
面を付けたような、無機質な表情で、ルクスは折れた剣を蹴り飛ばした。
カンデラは黙ってルクスを見上げた。ルクスも黙ってカンデラを見下げていた。見下げていた顔で整えられた眉が跳ね上がり、日頃とはかけ離れた荒々しい足取りで、一番近くにあった椅子を掴み、カンデラの前に運び、ルクスは裾を華麗に広げて乱暴に座った。
肘掛に扇子を持つ手を乗せ、背もたれに肘をついて、肘をついた手に頬をつけた。
「で、あんたが負けたのね」
行儀が良く、常に背筋を伸ばしてカンデラを威圧していた女王はそこにいなかった。まるで酒場にいる女主人のようにスカートの下で足を組み、椅子に横向きで座り、肘をついてカンデラに話しかけていた。初めて見るルクスの姿にカンデラは驚いたが、今はそんな小さな事はどうでもよかった。
「負けた。本当の勇者に負けた」
カンデラは力なく肩を上下させた。それにルクスは鼻を鳴らして笑った。
「当り前でしょう。アルゴン様だもの、勝てるわけないじゃない。しかも、奥様溺愛中。後ろに最愛の人が居るのに負けるわけないじゃない。あんたの後ろに誰か居たの、後ろに誰も居ない奴が勝てる相手じゃないわよ」
足を組みかえてルクスは声を上げて笑った。上品な、温室で育てられた最高級の花のような笑いではなく、どこにでもいるような女の笑いだった。
不思議と今のカンデラにはルクスがただの女に見えた。今日の今日まで見る事の無かった表情や態度だった。
まるで自分の妻のように、実際国王の妻だったのだが、今まで行儀の良い人形のようにしか見えていなかった、それが今は自分の妻に見えた。
「誰も、誰も居なかった。もう後ろにも前にも何もない、何も無い」
これからカンデラは堕ちていく人生しか残されていない、そう思っていた。それでも、嘘をつき続ける人生よりも楽だと思うだけで体は軽かった。
それを見透かしたように、ルクスは悪戯をした子供のような笑みを浮かべた。
「その割にはふっきれた顔をしてるわね。良かったじゃない、心の荷物が下りたでしょ。でもあんたには国王って仕事があるんだから、逃げんじゃないわよ」
カンデラは目を見開いてルクスを見上げた。
口の端を片方だけ上げてルクスは扇子を投げつけた。扇子は見事にカンデラの額に当たり、カンデラは思わず目を閉じた。足の上に落ちた扇子は広がり、鮮やかな色を見せた。
扇子を拾い上げ、カンデラはそれを見つめた。女王の権力の象徴に見えていた扇子が手の中にある。木で組まれた扇子は香木の匂いがしている。
「十数年、嘘をついていた。嘘つきに国王の資格は無い。あなたにも嘘をつき続けてきた」
開いていた扇子を閉じ、カンデラはルクスに扇子を返した。ルクスは扇子を受け取ると、その扇子でカンデラを叩いた。
子供のような仕草にもう驚きはしなかったが、本当にこれが女王だろうかと疑っていた。姿形など悪魔は簡単に変えられる、ルクスを唆していた悪魔が化けているのでは、とカンデラは思いたかった。
「あんた、本当に馬鹿ね。今まで何を見てきたの、私が何度嘘をついたと思ってるの。一生嘘をつかない人間なんていたら紹介して欲しいわ。絶対に嘘を見つけてやるから、連れてきなさい。それにね、あんたの嘘なんてずっと知ってたわよ。アルゴン様が負ける訳ない。それにね、絶対に王様にはならない人だから、私の旦那様にはならない。私の旦那はあんたでしょ」
溜め息交じりに、ルクスは扇子をカンデラに向けた。
カンデラは心底ルクスを疑った。今までカンデラの嘘を知っている素振りは無かった、嘘をついている様子も無かった。そしてここまで人間味のある女ではなかった。無機質な人形から温かい血の流れる人間に変わった瞬間だった。
十年以上、何も見えてなかったのだとカンデラはやっと分かった。
「そうか。何も、見ていなかったのか。本当にただのお飾りだったのか」
カンデラは目を伏せて苦笑した。
「そうよ。私のお飾りだったのよ、今まで。分かったかしら、今日から国王として仕事をしてもらいますからね、覚悟しておきなさい」
ルクスは椅子から立ち上がり、カンデラの顎を指先で持ち上げて視線を合わせた。目尻を下げて手を離し、胸を張り、扇子を広げて踵を鳴らした。
「私の後についてらっしゃい、愚かな旦那様。泣いたって逃がしてやらないんだから」
そしてルクスは、手を取れと言わんばかりに手の甲をカンデラに向けた。
カンデラは自ら立ち上がり、その手を取った。久しく触れたその手は意外な程小さく、カンデラの手に収まった。妻の女らしい小ささをカンデラは初めて知った。
ルクスがカンデラと話している間、ルーメンはモノと台所に立っていた。
モノに、まるで荷物のように担がれて城に戻った直後、女王の下へ秘密裏に走った。蹴られた胸の痛みに耐え、モノに支えられながら人払いをされたルクスの私室に迎えられた。手短に、しかし正確に、ルーメンは事実をルクスに伝えると、扇子を鳴らしてルクスは立ち上がった。
「して、国王は何処に」
目を瞬かせ、ルーメンが答えに窮しているとモノが代わりに答えた。
答えを聞くなりルクスは踵を鳴らして部屋を出た。その音は優雅とかけ離れており、荒々しく走っていた。
「陛下、怒られるんだろうなぁ」
残されたルーメンは久し振りに聞く足音に零していた。それにモノが笑った。
主の居なくなった部屋から退室し、ルーメンは何故かモノに台所へ案内するように頼まれた。体が痛み今すぐにでも休みたかったが、モノから目を離してしまうのは危険だと判断し、仕方なく台所へ案内した。台所にいた不幸な料理長を捕まえ、他の料理人を出して兵達を連れてくるように命じた。
まだ血の匂いがしているモノは、道具や水の場所を聞いて手を十分に洗い、女中を呼んで服を着替えた。濡れた髪を後ろに縛り、更に布を巻いて真新しい服に身を包み、静まり返った台所に立った。
そうこうしている間に到着した兵にその場を任せ、ルーメンは台所から離れようとした。しかし、それをモノは止め、手伝うように頼んだ。
「残って下さい。こんな怪我をしたか弱い乙女を放置して心苦しくないんですか」
隊長は全て否定したが、料理長にも残るように頼まれて渋々台所に残った。兵の一人に医者を連れてくるように命じ、ルーメンは大人しくモノを見張ることにした。
モノは料理長を連れて食材を漁り、道具を見比べ、窯の大きさを測り、必要な道具を一通り準備した。道具と材料から焼き菓子が想像された。道具を駆使して着々と調理をしていくモノに料理長は感心し、ルーメンも砂糖の甘い香りに鼻を広げた。
最後に、全てを型に流し込み、温めておいた窯へ押し入れ、モノは隊長の隣に座りこんだ。頭に巻いていた布を外し、背筋を伸ばしてモノは肩を鳴らした。
「やっと約束が守れました。本当に疲れました、骨も折れました」
エクサに蹴られた腹を撫でながらモノは呟いた。
「貴様、本当は何をしに来たんだ」
ルーメンは気になっていた疑問をモノにぶつけた。
魔王の出現を知らせ、危険を承知で城にまで来た。女王を唆したかと思えば、前線に現れ魔王と戦った。国王が現れると、騎士達と戦い、国王と隊長を連れ戻した。日和見に行動して、女王との約束だとケーキを焼いている。
ルーメンにはモノの行動が一貫しているようには見えなかった。
指を組んで顎を乗せ、モノは横目でルーメンを眺め、ルーメンの反対側に座った料理長を眺めた。
「私ですか。私は国王が持つジーメンスを助けに来たんですよ。今まで国王が地下に閉じ込めていたから外に出られず、ジーメンスは人には聞こえない音で叫んでいました。それがあんまりにも五月蠅いので神様にお願いしたんです」
魔王をもう一度出して下さい。そうしたらジーメンスは外に出られるんです。そう願ったのだ、とモノは付け加えた。
「お前が魔王を願ったのか、だから人のような魔王が出現したのか」
ルーメンは腰を浮かした。
平和を願っているとモノは言っていた。そのモノが魔王という乱世の到来を願った、そして魔王の討伐を人に頼みに来た。矛盾している、ルーメンは感じた。たった剣一本の為に魔王の再来があったのか、と思うとルーメンは目の前が暗くなった。
それにモノは否定の意を示した。
「確かに魔王を願いました。でもね、私の神様はケチなので叶えてくれませんでした。それでも、願いは他の神様が他の方の願いを叶えてくれたので私は幸運です」
誰の願いなのか、とルーメンと料理長は問いかけたが、モノも知らないとしか答えなかった。真実、モノは願いが叶えられた者がカンデラだとは知らなかった。
カンデラの不審な行動はモノと会う前から始まっており、モノはカンデラの変化を目の当たりにしていなかった。もしも、それを間の当たりにしていれば、願いを叶えられたのが国を治める国王だと知っただろう。
「別に誰かに怪我をして欲しかった訳でもないし、国を壊そうなんて大それた考え、私には無いんですよ。傷付けば痛い、家族も痛い。知ってるんですよ、そんなこと」
だから、国王と隊長を勝負がつくと即座に連れ帰ったのだ、と言う。
国王が居なくなれば、国が揺らぐ。隊長が居なくなれば、兵が揺らぐ。そこから戦争へ繋がることが一番怖い、とモノは呟いた。
モノの言うことにも一理あるとルーメンは思った。国王は秘密裏に動いていた、あのままモノが助けずにいればアルゴンに殺されていた。そうすると城に居るはずの国王が突然死んだことになる。王子達もまだ若い、実権は女王にあるといえ、権力を狙っての画策が活性化するだろう。
それでも、ルーメンは思わずにいられない。それは口から出た。
「だが、他にも方法があったはずだ」
モノは黙って耳を塞いだ。
「私には考えつかなかったんですよ。馬鹿なんですよ、本当」
口を歪めて噤んだルーメンを見ながら、モノは口の端を上げた。
モノはジーメンスがあまりにも五月蠅いので、自分で城に侵入して取りに行こうとも考えた。しかし、誰にも見つからずジーメンスを回収する術をモノは持ち合わせていなかった。血を流すことを厭わなければ不可能ではないが、そこまでしなくても構わないと諦めた。他者に手伝ってもらうことも考えた。血を流さずに決行できる者は、知り合いに居なかった。
解決方法を探している間にエクサが魔王として現れた。
もっと賢ければ方法があったのだろう、モノは、剣を作る以外全てが不器用だと自覚していた。それでも結果として今日、ジーメンスはアルゴンの下に戻っている。それだけで良かった。
想い出にモノが浸っている間、窯の中でケーキは膨れていた。